第13話 ミドルネーム
黒髪がひるがえる。長い足が颯爽と歩み寄ってくる。透き通った青い瞳がこちらを見すえる。
そのすべてにルカは心から惚れ惚れとした。
流れるような一挙手一投足に、食い気味に見とれていると、彼女の方が先に名乗った。
「アレクシア・ルイーゼ・リートベルクだ。父は国境一帯の視察に赴いているため、一時的に私が城主を代行している」
「ルカ・ヴァルテンです」
ヴァルテン男爵、と周囲の人々からどよめきが起こった。金で爵位を買った平民出身成金貴族の姓は、辺境地帯でも知られているらしい。
「姓だけか? ミドルネームは?」
「ありません」
「ない?」
アレクシアは訝しそうに、青色の瞳をまたたいた。
この国の貴族は通常、名と姓の間にミドルネームを持っている。建国前の群雄割拠の時代、名のある豪族らが身分を示すため「誰々の息子」と名乗りをあげたことに由来するらしい。
慣習として男児は父親の名を、女児は母親の名をミドルネームにすることが多い。
とはいえ、必ずしも両親の名を付けるとは限らず、祖父母の名を用いることもあるし、先祖や親戚が有名な偉人だった場合はその名にあやかることもある。
たとえばルカの父アウグストのフルネームはアウグスト・ゲオルグ・ヴァルテンだ。ゲオルグとは先代の男爵、ルカにとっては祖父の名である。
ちなみに継母はヘルミーネ・ゲルトルーテ・ヴァルテン。弟はマティアス・アウグスト・ヴァルテン。元婚約者はナターリア・ハンナ・クレーフェ。
彼らの絢爛たる名前と比べると、確かに「ルカ・ヴァルテン」は短く、簡素な名といっていい。
ルカは少し気まずそうに頬を掻いた。
「僕は私生児なので……ミドルネームは与えられなかったんです」
正確には、継母であるヘルミーネが許さなかったのだ。
ルカは覚えていないが、実は男爵家の戸籍に入った時にはルカにもミドルネームがあったらしい。慣習に倣い、父アウグストの名を与えて、ルカ・アウグスト・ヴァルテンと届け出た。
それが取り消されたのは、弟のマティアスが生まれた時だった。マティアスにミドルネームを与えるにあたって、愛する息子が私生児と同じミドルネームを名乗るなど絶対に嫌だと、ヘルミーネが強固に言い募ったのだ。
『マティアスは正当なヴァルテン家の後継者! 旦那様の名を継ぐのは当然のことです!』
ヘルミーネは決して主張を曲げなかった。
ではマティアスのミドルネームをヘルミーネにしてはどうか、と提案されれば、後継者に当主の名を与えないつもりか、旦那様はこの子を我が子と認めていないのか、と火のごとく苛烈に怒る。
ではルカのミドルネームを祖父のゲオルグの名に変更しよう、と提案されれば、庶子ごときに由緒あるヴァルテン家の偉大な当主の名を与えるのか、正当な貴族の血を引くマティアスよりも平民の血を優先する気なのか、と氷のごとく冷徹に切り捨てる。要するに手が付けられない。
なお、ヘルミーネが普段は成金と小馬鹿にしているヴァルテン家を由緒あると褒めたり、会ったこともない先代当主を偉大だと称えたのは、この時限りである。
それならば、とアウグストが持ちかけた案が最後にして最低の悪手だった。ルカに実母の名を与えようとしたのだ。
しかしアウグストがルカの生みの母の名を口にするよりも前に、ヘルミーネは活火山のように噴火した。
『汚らわしい売女の名を、ヴァルテン家の籍に刻むというの!?』
──商売女の下賤な名前など聞きたくもない、戸籍に載せるなど言語道断だとわめきたてて、もはや話にならなかった。
ルカの母は花屋で働いていた若い娘で、客を取っていた娼婦ではない。だがそんなことを訂正したところで、火に油を注ぐだけだっただろう。
結局、アウグスト側が根負けした。戸籍を管理する役所に無理を通し、役人に大金をにぎらせてまで、ルカのミドルネームを削除させたのだ。
そして結果として、男爵家の息子二人のうち、父の名を授かったのは弟のマティアスのみ。兄のルカにはミドルネームがないまま、今に至るというわけだ。




