第12話 どうしよう、これは恋だ
「ごめんね、お兄さん」
ルカに背負われながら、男の子がすまなそうに肩をすくめた。
女の子は野いちごの入った籠を両手でかかえながら、ルカのとなりをとことこと歩いている。
「いいよ、大丈夫。それよりも僕はこのあたりの地理がわからないから、案内してもらえて助かる。こっちでいいんだよね?」
「うん。あの辻を曲がって、あの先の坂を登るんだ」
男の子はエミールと名乗った。年齢は八歳。
妹はリリー、六歳。
二人とも辺境伯領の領民で、しかも今は城の一角に仮住まいしているのだという。
「ほら、見えるでしょ? あれが旦那様……リートベルク辺境伯様のお城だよ!」
エミールがルカの肩ごしに、晴れた空をさす。
小さな指先にそそり立つのは、天上に浮かんで見えた、あの黒色の城だった。
重厚な黒い屋根瓦が降り注ぐ陽光を受けて、燻した純銀のように渋く光っている。
──あれがリートベルク辺境伯の居城、とルカが固唾をのむと、エミールが続けて教えてくれた。
「ぼくたちのお母さんは、お城に仕えるメイドなんだ」
聞けば、もともとエミールとリリーの兄妹は両親と一緒に領内の城下町に暮らしていて、母親は城に通いで働いていたらしい。
しかし二年前に父親が不慮の事故で亡くなり、母親は幼子二人を抱えて途方に暮れた。そこに手をさしのべてくれたのが、領主であるリートベルク辺境伯とその令嬢だったそうだ。
「お嬢さまがぼくたちもお城で暮らせばいいって言ってくれて、旦那さまも許してくださって、住む部屋も用意してくれたんだ」
以来、親子三人で城の一画に間借りして、母親はメイドの仕事を続けているそうだ。
エミールとリリーは普段は領内の街にある学校に通うかたわら、母や他の使用人たちの仕事を手伝ったり、今日のように野草や木の実を探しに山を徘徊したりしているという。
エミールは栗色の髪を揺らして、首をかしげた。
「お兄ちゃんは? お城に働きに来たの?」
「そんな感じかな。雇ってもらえるといいんだけど」
「きっと雇ってもらえるよ! ぼくが推薦してあげる!」
「リリーも!」
二人が力強く言ってくれて、ルカも思わず笑顔になる。
やがてなだらかに続く丘を抜け、エミールの言った通りの坂を登り切った先だった。
剛直厳威としてそそり立つ黒城の門が、ついに三人の目前にまで迫ってきた。
「あっ!」
はずんだ声をあげたのはリリーだった。おかあさん、と可愛らしい声で呼んで、まろぶように走り出す。
「おかあさーん!」
「エミール! リリー!」
リリーが駆けていく先で、白いエプロンをたくしあげながら、メイド服姿の女性が手を振っているのが見えた。
兄妹の母親が、帰りの遅い二人を心配して出てきたのだろう。
「え……!」
ルカは水色の目を開き、そのまままばたきをすることも忘れて見入った。
城門の前に立っていたのは、あの女性だった。
颯然とした長身。なびく艶やかな黒髪。引きしまった凛々しい口元。気品のある涼やかな瞳が、リリーと母親が抱き合うのを微笑ましそうにながめている。
ルカが穴が開くほどまじまじと見つめていると、彼女の方も気が付いて、ルカを見返した。
「……おまえは……先ほどの……?」
青玉の瞳で射るように、彼女はルカとエミールを交互に見た。
しかめっ面をしても美人で、ルカは心臓を撃たれたような衝撃をまともに食らったまま、言葉を失う。
「部下が手荒なことをしてすまなかった。後を追っても見つけられなかったのだが、無事で良かった」
──崖から落下した自分を探してくれていたのか、とルカは声も出ないほど感激した。
突然ひざまずいて求婚してきた見ず知らずの男なんて普通に不審者だし、滑落しようが行方不明になろうが自業自得だ。そのまま放っておかれて当然なのに、わざわざ追ってくれたなんて親切すぎる。
「だが、なぜエミールを背負っている?」
「お嬢様! この人はぼくを助けてくれたんです!」
エミールが背中から手を挙げてかばってくれたが、ルカはさらに目を白黒させた。
「……"お嬢様"……?」
このリートベルク領の城において、そう呼ばれる人物はたった一人しかいない。
リートベルク辺境伯の一人娘にして、粗野な蛮人と評判の姫君。
社交界で悪評の的となっている、噂の「野蛮令嬢」だ。
「え……ええ……えええ?!」
「大丈夫か、エミール」
しどろもどろになっているルカの背から、彼女はさっとエミールを抱き上げた。
「マリー。すぐ医師に診せよう」
「お嬢様、お医者様なんて私たちには分不相応で……」
マリーと呼ばれた兄妹の母親は、あわてた様子で首を振った。
城内に医師は常駐しているが、それは城主一族や騎士たちを診察するためであり、使用人たちまで診ることはない。
「かまわない。私が命じたと言ってくれ」
彼女はそのまま、エミールの足に巻かれた布とルカの破れた上着の袖とを見比べた。──ありがとう、とルカに礼を告げる。
「エミールを救ってくれたことに感謝する」
「……」
ルカは茫然としながら、ただ彼女を見つめた。
──辺境の野蛮令嬢、と悪しざまに叩かれる陰口。
未開の地で育った粗野な姫君。品位に欠け、淑女らしいたしなみもなく、粗暴で野卑で無教養で常識外れで──。
「違う……野蛮なんかじゃない……!」
ルカははっきりと否定して、かぶりを振った。
勇ましい弽。きりりと引き絞った結弦。風を切り裂いて飛んだ一陣の羽矢。大丈夫か、とルカを気遣ってくれた凛とした声。
あれは野蛮ではなく、勇敢というのだ──と強く思った。
「……あああ」
先ほど全身を貫いた電撃が、再びルカの身体を締めつけて流れた。
頭がくらくらして、顔が熱くなって、胸がどきどきと高鳴る。
長旅の疲れからではない。体の芯から湧き上がってくる熱のせいだ。
全身を駆けめぐる熱情にどっぷりと浸されたまま、ルカは無意識のうちにつぶやいていた。
「好き……」
どうしよう。これは恋だ。恋に落ちてしまった。




