第146話 結婚式
丹念に手織りされて仕立てられたドレスの生地は、歳月を経ても色褪せることはなかった。
正絹の純白の色が、アレクシアの漆黒の髪と美しいコントラストを作る。ほんのりと紅を乗せた頬は、城下の森を彩る風と同じ春の色。
仕上げに鮮やかな朱華色の口紅をすっと引いて、ブリギッタは満足そうに筆を収め、うっとりと嘆美をこぼした。
「お嬢様……とてもお美しいですわ……」
ブリギッタは花嫁の介添え役を務めながら、城からの参列者一同とともに、会場となる街の教会へと向かった。
白を基調とした教会は、神聖で荘厳な空気に満ちていた。
教会の入り口は西、奥側は東と相場が決まっている。
内部は上質な黄金細工の装飾に彩られ、回廊には緋色の毛氈がまっすぐに敷かれていた。
突き当たりの正面、祭壇の上を見上げれば、あかり取りの役目も兼ねた見事なステンドグラスが嵌められている。
春の花で飾られた座席に、参列者たちは順々に座していった。
人数は多くない。
ブリギッタの他には、家令のエッカルトと執事のエヴァルト。エミールとリリーの兄妹に母のマリー。主厨長のハンスら料理人一同などなど、リートベルク城に伺候する者たちばかりだ。
騎士団長のニコラウス率いるリートベルク騎士団の面々は、警備も兼ねて教会の周囲をぐるりと取り巻いていた。
部隊長のユリウスとクラウスとマリウスの三人も、今日ばかりは制服を崩すことなく、きっちりと着こんでいる。
威風堂々と正装した三人は、村の子供たちが「騎士さまだ!」と歓声を上げるほど、どこからどう見ても立派な生粋の騎士だった。
新婦側の親族は父であるヴィクトルの他に、リートベルク家の傍系から数名が出席していたが、新郎側の親族は一人もいない。
いない……はずだったのだが、首都から移住してきた元ヴァルテン男爵家の使用人たち一同は、本物の親族以上に親族の顔になっていた。
幼いころからのルカの姿がしきりに思い出されて、彼らは開式の前から早くも目元をぬぐった。
贅を極めた豪奢な男爵邸の片隅で、肩身の狭い思いをしながら育った薄幸の令息。
父親に無視され、継母に疎まれ、弟と差別されて虐げられていたルカの姿が鮮明によみがえっては、彼らの脳裏でぐるぐると回っている。
どんなに冷遇されても自分たちへの思いやりを失わなかったあのルカが、ついに幸せをつかんだのだと思うと、元ヴァルテン家の使用人たちは後方親族面をせずにはいられなかった。
新郎に続いて新婦が入場した時点で、全員が滂沱の涙を流していたのだが、どんなに嗚咽の声を洩らそうが、どんなに鼻水をすすりあげようが悪目立ちすることはなかった。
花嫁の手を取って現れた辺境伯ヴィクトルが、その場の誰よりも号泣していたからだ。
滝のように泣いている父親に花嫁は苦笑する。添えられた大きな手をそっとにぎりかえして、父と娘はしっかりと抱き合った。
二人がゆっくりと離れた後、新郎も新婦の父と強く抱き合う。なんかこっちの方が長いし熱い。
男たちの熱烈な抱擁の後。手を取り合って祭壇の前へと進む新郎新婦を見送りながら、ヴィクトルは最前列の席に腰を下ろした。
花嫁のまとうドレスは、母のルイーゼが着た時よりも引き裾を長く足してある。
清楚なレースの裾は神聖な教会によく映えて、アレクシアの長身をより引き立たせていた。
ドレスと同じ純白のレースが回廊をまっすぐに這いながら、彼女を後ろ姿さえも美しく彩っている。
ヴィクトルはふところに入れていた妻ルイーゼの肖像画を取り出すと、祭壇が見えるように、前方に向けて胸に抱いた。
本来ならばルイーゼが座るはずだった、ヴィクトルのとなりの座席は空けられていたが、教会の扉が閉まる直前に、褐色の影が俊敏に飛び込んできた。
山猫のバルーだ。
バルーは新しい首輪に、新婦の引き裾と同じ素材のリボンを結んでいた。得意げにヴィクトルのとなりの空席に飛び乗ると、すました様子で腰を下ろす。こちらも完全に親族の顔である。
ヴィクトルは涙を拭いて、バルーの頭をそっと撫でた。
ルイーゼのための席を取られた、とは思わなかった。
彼女《《達》》はきっと天国で一番いい特等席から、この結婚式を見ているはずだ。
ルイーゼも──若くしてこの世を去ったルカの母も、必ず。
教会の高所に穿たれた天窓は、採光の役目を果たしている。
高い柱心で結ばれた屋根は、神聖さと解放感に満ちていた。
荘厳なステンドグラスの玻璃を通して、明るい日ざしが落ちてくる。
透過する光は美しく、あたたかかった。
宝石を重ねたような幻想的な光彩が主祭壇を照らし、集まった人々に降り注ぎ、白亜の教会を丸ごと包み込んだ。
司祭は新郎新婦を交互に見つめると、おごそかに問う。
──その命ある限り、真心を尽くすことを誓うか、と。
愛し愛され、敬い敬われ、慈しみ慈しまれ、与え与えられることを。
生きることの喜びを、永久に二人で分かちあうと誓うか──と。
「はい。誓います」
二人の肯定の言葉をもって、誓約はなされた。
司祭は祭壇の前に手を高く掲げた。神と法のもとに、二人の結婚が正式に成立したことを告げる。
その宣言と同時に、教会の尖塔が揺れた。
煉瓦を積んだ天井のさらに上、四角錘の形に伸びる鐘楼に吊り下げられた、青銅製の鐘が奏でられたのだ。
教会の鐘は鳴らす数や速度、リズムによって様々な意味を表現するものだ。
日々の礼拝の呼びかけ以外にも、危急の知らせ、死者を弔う葬送の祈りなど、いくつものバリエーションが存在するが、今流れているのはもちろん慶事を意味する奏法だった。
参列者たちから一斉にあがる拍手や喝采や歓声や、嬉し泣きやすすり泣きやむせび泣きや、さまざまな音声をすべて包み込んで、玲瓏な音色は奏でられる。
鐘の音は丘を越え、野に広がり、連なる山々の峰にまで染み入っていく。
尽きることのない祝福の声とともに、寿ぎの残響はこの地にたゆたっていた。
いつまでも、いつまでも。




