第145話 指輪の交換
上質な革張りのケースの中に、金無垢の指輪が光る。
金は溶けたり錆びたりしないことから、永遠の愛を誓う結婚の指輪として不動の人気を誇っている。ルカの用意した指輪も例に漏れず、ベースは純金だった。
鏡面のように自然光を反射する指輪のアームの中央には、小さな宝石がはめ込まれている。
だが、サファイアではない。
まるでよく晴れた日の海のような、明るく透き通った水色の石だ。
「……アクアマリン?」
「うん」
「ルカの瞳と同じ色だな」
「モニカさんに言われたんだ。相手の色に合わせるのも良いけれど、結婚の時だけは自分の色を贈るべきだって」
結婚指輪について、ヴァルテン家でモニカに相談をした時。
モニカは専門外の内容ながら、親身になって考えてくれた。
『ルカ様。いいですか、老婆心ながら申し上げますが──』
モニカはキラリと眼鏡の縁を光らせて、ルカに助言してくれた。
『愛する方にはご自分の色を身につけてほしいと望んでください。そのくらいの独占欲は見せていいのですよ?』
ルカがアレクシアの青い目に似たサファイアを贈りたい気持ちはわかる。
だから、彼女に似合う極上のサファイアを用意したいという希望にも尽力しよう。
『ですが、こと結婚指輪に関してはルカ様の色を贈るべきです。大切なたった一人の奥様だからこそ、ご自分の色をまとってほしいと望むべきですわ』
そうモニカに進言された瞬間、目から鱗がぽろぽろ落ちるような心地がした。
驚くルカにふわりと微笑んで、敏腕女管財人はさらに、ためになるアドバイスを付け加えてくれた。
『そうですね。アクアマリンはいかがでしょうか。ルカ様の瞳の色にぴったりかと──』
モニカの言う通り、サファイアはサファイアで探し求めた。
やがて見つかった希少な大粒のサファイアは、アレクシアのイメージを伝えて、彼女に似合うようなネックレスに仕立ててもらった。
そして勇気を出して、結婚指輪の石はアクアマリンで用意することにした。
自分の色を女性に贈るなんて、生まれてはじめての経験だ。
女性のつける指輪は複数の細い爪で宝石を持ち上げ、高い位置で留めたセッティングが多い。立て爪の方が宝石がより大きく見え、自然光を取り込んで華やかに輝くからだ。
だが、ルカは石の側面をベースで覆うように囲む覆輪というセッティングを希望した。
伏せ込みとも呼ばれる留め方で、宝石を地金に埋め込む形になるので派手ではなくなるが、しっかりと固定されるため外れにくくなる。
伏せ込みは元々は刀や甲冑の補強に用いられる技術だということもあり、かなり頑丈に留められたはずだ。
「立て爪にはしなかったんだ。覆輪にしてもらったけれど、気に入らなかったら直すから言ってほしい」
「いや。こちらの方がいい」
これなら剣や弓を使う際にも邪魔にはならないだろう。機能的で実用向きで、アレクシアの好みだ。
「僕の指輪もデザインは同じで、石はもちろんサファイア。君のネックレスの石をカッティングした時に出たかけらを加工してもらったんだ」
「同じ石から分かれた宝石なのか?」
「うん。君と同じものを身に付けたくて」
一対の指輪のベースはどちらも純金。永遠の愛を象徴する結婚指輪はアームも拵えも同じで、あしらった石だけが違う。
ルカのあふれんばかりの愛と、ほんの少しの独占欲が詰まった指輪を見つめて、アレクシアは顔をほころばせた。
「ありがとう、ルカ。とても素敵だ」
「気に入ってもらえた?」
「もちろんだ。私は今まで宝石には興味がなかったのだが……」
「君自身が宝石だからね」
さらっと甘い言葉を吐くルカに、アレクシアは苦笑した。
口説いているつもりなどなく、ただ思ったことを口にしただけという様子なのがなんとも狡くて、可愛い。
「……この指輪は好きだ。ずっと大切にする」
少し照れたようにはにかむアレクシアの前に、ルカは片膝をついた。
青玉と同じ色をした二つの瞳を愛おしそうに見上げながら、指輪の箱を彼女に向けて開く。
「愛しています。どうか僕と結婚してください」
はい、と凛とした声が降る。
アレクシアがさし出した左手を、ルカは大切そうにそっと取った。
硬い手の甲。生傷の絶えない手のひら。節くれだった強い拳。鍛錬の妨げにならないように切りそろえられた、令嬢らしくない短い爪。
この手が好きだ。
手のひらに散る剣胼胝の一つ一つが、肉刺がつぶれて固くなった皮膚がとても好きだ。
自ら矢面に立って領民を守る勇敢な拳を、出会った日からずっと愛している。
"守護者"の名に恥じない強い手は、どんな念入りに手入れされた傷ひとつない手よりもずっと美しいと、心の底からルカは思った。
小箱から指輪を取り出すと、アレクシアの指にそっと通す。
深窓の令嬢とはほど遠い、陽に灼けた指には、はっきりとした純金の色がとてもよく似合った。
「私からも……いいか?」
「もちろん!」
アレクシアから望んで取ったルカの手も、やはり細かな傷であふれていた。
貴族らしくない、労働に慣れ親しんだ手だ。
この城でまめまめしく働いていた頃は、もっとあかぎれやしもやけが絶えなかったのだが、最近は実家でデスクワークばかりしていたせいで、これでもましになった。
「……働き者の手だな」
愛おしそうにアレクシアはつぶやいた。
ルカの手は自分にできることを懸命に考えて、まっとうに努力を重ねている者の手だ。苦労をいとうことなく、地道な研鑽を続けている者の手だ。
それは何の努力もせずに、ただ綺麗なだけの手をしているよりも、よほど立派で美しいことなのだ。
人に命令することしか知らない、ふんぞり返った貴族の白い手よりもずっと好ましいと、素直にそう思った。
アレクシアは指輪をケースから外し、ルカの左手に通してから、そろいの指輪をはめた自分の手を上に重ねた。
「生涯、この指輪を外さないでくれ」
それは生涯この結婚を継続してくれということだ。
「うん。死んでも外さない」
力強く答える声に、迷いはない。
立ち上がったルカの目線の位置は、出会った時よりもずっと高くなった。
背丈だけではない。体つきも立ちふるまいも見違えるほど堂々と成長したのに、捧げてくれる想いの真摯さだけはずっと変わらない。
男女間の恋愛の駆け引きなど不得手でしかないアレクシアにとって、何の計算も腹の探り合いもしなくていい彼のまっすぐな愛情は、ただ心地が良かった。
もっと試すような行動をしてきたり、好きな相手に素直になれず意地悪してくるような男だったら殴っていたかもしれなし、そもそも好意を抱くことはできなかった。
「受け取ってくれてありがとう、アレクシア。君だけを永遠に愛すると誓うよ」
ささやく言葉はどこまでも愛に満ちて、温かい。
彼の声に癒される。彼の存在に力づけられる。
これほど自分を想ってくれる彼に報いたいと、素直に思うことができる。
胸が、心が、全身が幸福で満たされて、ずっと一緒にいたいと心がささやいた。
大切にしてくれる彼を、自分も生涯大切にしたい。
ルカの愛に──応えたい。
「……ルカ」
はじめて結婚指輪をつけたばかりの手と手を取り合って、ルカがそっと指先にキスを落とした時だった。
アレクシアは気まずそうに背後を振り返った。
「……あの、ブリギッタ」
「どうぞ、お気になさらず続けてください」
二人の指輪の交換と愛の誓いを、ブリギッタは乙女のようなまなざしでじっと凝視していた。しわしわだった頬も心なしか若返って、つやつやと光っている。
「この程度で照れていてどうするのですか! 結婚式では皆の前で誓うのですよ? さぁどうぞ、予行練習だと思って!」




