第144話 思い上がらないでください
花嫁側の親族も多くはないが、花婿側は少ないどころではない。ゼロである。
そもそもルカにとって血のつながった身内は父のアウグストだけなのだ。しかしその父はすでに市井に降り、消息を絶ってしまった。
探し出すことは可能だが、おそらくアウグストは結婚式に招待されても辞退するだろう。長年、妻の虐待から守ることもできずに放置した息子に、父としてもう合わせる顔はないようだった。
地位も持たず、高貴な血筋でもない。
実家もすでになく、結婚式に参列する肉親の一人さえいない。
あらためて、アレクシアの夫としては物足りない男だと実感せずにはいられなくて、ルカは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「僕が結婚相手では、領民はがっかりするでしょうが……」
「ルカ様」
すかさず、鋭い眼光で睨んだのはブリギッタだった。
「うちの旦那様を侮っておいでなのですか?」
「そ、そんなつもりは……」
たじたじと後ずさるルカに向かって、ブリギッタは容赦のない口調で断言した。
「旦那様はその気になれば、ルカ様の出自くらい、いくらでも適当に偽ることができたのですよ」
ヴィクトルはやろうと思えば、ルカの素性について箔をつけて広めることもできたのだ。
たとえばルカの生みの母はわけあって平民に身をやつしていたが、本当は名門貴族の出なのだとか。実は亡国の血を引くやんごとなき姫君であったのだとか。
娘の迎えた婿は、辺境伯家にふさわしい尊い貴種なのだと言いつのることもできたはずだ。
正式な戸籍をいじることはできないが、そんなもの庶民には確かめるすべもない。
それっぽい逸話に尾鰭を付けて、まことしやかに噂を流せば、ヴィクトルを敬愛するリートベルクの領民たちは主君の言葉を信じただろう。
「そうしなかったのは、ルカ様の生まれや血統を恥だとは思っておられないからです。旦那様も、もちろんお嬢様も」
「はい……!」
「わかったなら堂々となさってください。夫婦となられる以上、ルカ様がご自分を蔑まれることはお嬢様を貶めることにもなるのだと、よくよく心得てくださいませ」
物言いこそ詰責するようで厳しいが、ブリギッタなりの激励であることは伝わってきた。
ルカは胸に手を当てて、ブリギッタをまっすぐに見すえる。
「はい! お約束します。二度と自分の出自を卑下したりはしません」
人は生まれを選ぶことはできない。
親も、家も、体に流れる血の種別さえも何ひとつ自分で決めることはできない。
けれど、愛する相手は選べる。
生まれた場所は選べないけれど、生きていく場所は選べる。
過去は変えられないけれど、未来は変えていける。
生まれも育ちも血統も大切ではあるけれど、いつまでも囚われていてはいけない。
これからの人生はアレクシアの夫として、リートベルク家の人間として、堂々と顔を上げて生きていきたい。
「……わかればよろしいのです」
ブリギッタはつくづくとルカを見つめて、深く首肯した。
まるで背負っていた肩の荷を下ろしたような、すっきりとした顔つきだった。
「……私はこれまで、お嬢様を幸せにしてくれるような甲斐性のある男など、この世にいないのではないかと悩んでおりました……」
ブリギッタが手塩にかけて育てたアレクシアは、意図に反して強靭でたくましい姫君になってしまった。
男に幸せにしてもらおうなどとはこれっぽっちも考えたことのなさそうな、剛腕の「野蛮令嬢」に。
「ですからルカ様。あなたがお嬢様を幸せにする、などとは思い上がらないでください」
深いしわの刻まれたブリギッタの目元に、うっすらと涙がにじんだ。
「……お嬢様と一緒に、幸せになってくださいませ」
「はい! 必ず!」
アレクシアと一緒なら、ルカは間違いなく幸せになれる自信がある。
今でも自分より幸運な男などどこにもいないと自負しているし、今後も一生、世界で一番幸せであり続ける予定しかない。
「必ず幸せでいると誓います。ありがとうございます、ブリギッタさん!」
「お、お礼なんて……別に……。わ、私に誓ってくださらなくてもいいのですし……」
きらきらした瞳で感謝するルカと、照れ隠しにぶつぶつと小言をくり出すブリギッタを見て、アレクシアは思わず軽く笑った。
ルカはブリギッタに一礼して立ち上がる。王都から大切に運んできた荷の中から白い箱を取り出して、アレクシアの前に片膝をついた。
「アレクシア。君に渡したいものがあるんだ」
「まぁ! 結婚指輪でしょうか?!」
アレクシアよりもブリギッタの方がわくわくと期待しながら、はずんだ声をあげた。
貴族は結婚に際して指輪を作るが、式の中で指輪を交換する習慣はない。
男性側が二人分の指輪を用意し、婚約期間中に女性へと贈る。
お互いにその指輪をはめてから、結婚式の日をともに迎えるのが一般的だ。
だからこのタイミングでの渡したいものと言えば当然、結婚指輪だと思われた。
「あら? 指輪にしては……箱のサイズが大きいですわね……?」
ルカのさしだした白い陶器製の箱は、片手を広げたよりも長さがあった。
彼が軽く手に力を込めると、箱は中央から縦にすっと開いた。
中からこぼれるまばゆい青色の光に、ブリギッタはしわの刻まれた目元を細める。
箱の内側には絹が張られている。なめらかな光沢のある生地の上に、金色の鎖が収められていた。
周囲にメレダイヤをちりばめた中央に輝いているのは、オーバルカットのブルーサファイア。
「サファイアの……ネックレス?」
「まぁ、見事な石ですこと!」
そうブリギッタが感嘆した石は、小ぶりの卵ほども大きさがあった。
繊細な巧緻で飾り刳りされたダイヤモンドの光が、主役のサファイアのきらめきを引き立たせている。
ルカはそっと笑んだ。
「モニカさんに相談して、ヴァルテン家で懇意にしていた宝石商を紹介してもらったんだ」
管財人のモニカにつないでもらった宝石の専門家は、さすがとしか言いようのない凄腕だった。
婚約者のために最高のサファイアが欲しいというルカの要望をしっかりと汲み、一流のバイヤーと一流の鑑定士とが手を組んで、期待以上の逸品を見つけ出してくれた。
希少な天然のブルーサファイア。明度が高く、非常に透明感が強いにも関わらず、深みのある青の色もたたえている。
その石を一流のデザイナーと一流の職人に託し、彼らの手でネックレスに仕立ててもらったのだ。
「君は今後、公式の場に出る機会も多いだろうから。使ってもらえたらと思って」
「ああ。とても活躍しそうだ。ありがとう」
吸い込まれるように深い青玉の色は濃厚かつ鮮やかで、アレクシアの瞳によく似ている。
どんな公の機会に身につけても恥ずかしくない見事な装飾に、ブリギッタも満足そうにうなずいた。
「大変よろしいと思いますわ! まるでお嬢様のためにあるようなお品ではありませんか!」
リートベルクにも代々受け継がれている宝石はあるし、母ルイーゼの形見のアクセサリーもある。
だがこんなにもアレクシア一人のために存在するような、一点物のジュエリーは初めてだ。
──ありがとう、ともう一度礼を言ったアレクシアの前に、ルカはもう一つの箱を取り出した。
今度こそ指輪だった。




