第142話 念願の帰還
ヴァルテン家の元使用人たちを連れての辺境行きは、にぎやかな旅路になった。
同行する者の氏名と役職はあらかじめリストアップしてリートベルク側に伝えていたこともあり、アレクシアが適切な人事を考えておいてくれた。
新しい配属先にも前もって話を通していてくれたおかげで、リートベルクに到着してからも混乱はなく、スムーズに職務に入ることができた。
男爵邸の元メイドは、マリーをはじめとする城の女性陣からあたたかく迎えられた。初めて訪れる辺境の地を前に張りつめていた緊張も、リリーに手を引かれて城中を案内されるうちにほぐれていく。さっそく世間話に花が咲き、女たちはみるみる打ちとけていった。
厩舎で働いていた馬丁は、ヴァルテン家の何十倍にもなる広大な牧場に驚き、馬車を曳く馬よりも数段荒々しく頑丈な軍馬たちに目を丸くした。先輩となる城の馬丁たちに世話を習いながら、世界一の軍馬を育ててみせる! とはりきっている。
マティアスに剣を指南していた騎士は、国内でも最強と誉れ高いリートベルク騎士団を前に居住まいを正した。騎士団長のニコラウスに、部隊長のユリウスとクラウスとマリウス。頑健勇強を絵に描いたようなたくましい男たちに囲まれて、騎士としての魂が生き返るような心地がする。筋肉と筋肉と筋肉に挟まれながら、今度こそ騎士たる本懐を遂げようと固く心に誓った。
そしてヴァルテン家の食卓を支えていた料理人のヨハンには、城の厨房をくぐった瞬間に拍手喝采が降り注いだ。
「お待ちしていました! 師匠!」
「し、師匠?」
ぽっちゃりした丸い顔を満面の笑顔でいっぱいにしているのは、主厨長のハンスだ。
「ルカ様に料理を教えたのは師匠だとお聞きしました! かつてはあの国内でも指折りの有名店で勤めていらしたとか」
「いやはや、お恥ずかしい。昔の話です」
「何をおっしゃいます!」
ヨハンは恐縮するが、ハンスはふくよかな腹をたぷたぷと揺らしながら小躍りした。
ハンスはよい意味でプライドが高くない男だ。美味しいものは正義で、食べ物をくれる人は全員友達と信じているハンスは、料理人として大先輩であるヨハンのことも諸手を上げて歓迎していた。
「リートベルクに来てくださってありがとうございます! これから一緒に働けるのが楽しみです!」
「……こちらこそ……ありがとうございます」
初老といっていい年齢になってからの、新天地での再出発。ベテランのヨハンとはいえ不安もあったのだが、手放しで喜んでくれるハンスのおかげで、憂いが霧散していく。
なるほど。ルカがこの地に来てから見違えるように生まれ変わったのは、この気のいい人々に囲まれていたからなのか──とヨハンは目尻を下げた。
総料理長として自分の上についてくれと頼むハンスと、いやいや初心に戻って下働きから始めますと辞退するヨハンとで熱い攻防戦をくりひろげながら、料理人たちはさっそく王都の流行と辺境の郷土料理を組み合わせた、新しいメニューの開発にいそしんだ。
新しい風を取り込み、リートベルクがさらなる発展を遂げようとしている中。
城の執事を務める青年エヴァルトは、銀縁の眼鏡がずり落ちるほど大きく刮目していた。
「ヴァルテン家の管財人に、この城に来ていただけるとは……!」
感激するエヴァルトの視線の先には、ふわりと優しげに微笑むモニカ。
モニカは丁寧に片膝を折って一礼をした。貴族の令嬢にも劣らない美しい所作だ。
「リートベルク城の執事の方ですね。これからお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
「ようこそお越しくださいました! こちらこそぜひ教えを請いたいです!」
日頃いたって沈着冷静な執事にはめずらしいほど興奮しながら、エヴァルトはモニカの手をがしっと両手で包んだ。
「あっ、失礼を……申し訳ありません!」
「いいえ、お気になさらず」
初対面の女性に対して不作法な真似をしてしまった――と恥じ入るエヴァルトに、モニカは落ち着いた様子で眼鏡の奥の瞳を細める。
その物腰もいかにも理知的で洗練されていて、エヴァルトは顔どころか耳まで熱くなるのを止められなかった。
「……モニカさん……」
エヴァルトが初めて覚える胸の高鳴りに、どぎまぎと動揺しているころ。
彼以上に、燃える胸の鼓動を激しく炸裂させている男たちがいた。
「義父上えぇぇぇ!!!」
「ルカくぅぅぅん!!!」
大きな腕を全開に広げてルカを出迎えたのは、この領地と城の主だった。
ヴィクトルの太い筋肉質の腕の中に、ルカはまっしぐらに飛び込んでいく。骨が砕けるほど強く抱擁されて、うっとりと幸せそうな表情を浮かべた。
「義父上! 会いたかったです!」
「私もだルカきゅん! 変わりはないか? 少し痩せたか?」
「アレクシアがいなくて……うぅっ……寂しくて寂しくて僕は……僕は……!」
「そうか、そうだな。すまんな冷たい娘でぇぇ……!」
ヴィクトルも娘からつれない態度を取られることは日常茶飯事のため、同情を禁じ得ないらしい。
アレクシアも父を敬愛してはいるのだが、愛情表現に関しては熱量が違いすぎるのだ。
男二人がなおも欣喜雀躍しながら再会を喜んでいると、そっと扉が開き、その「冷たい娘」が入ってきた。
二人の会話は廊下まで丸聞こえだったらしい。アレクシアは猫のバルーを抱いて撫でながら、少し居心地が悪そうに苦笑している。
「アレクシア! 会いたかった……っ!」
三か月ぶりに会う愛しい婚約者は、いつにもまして明るい後光がさして見えた。
ルカが愛情と情熱と涙を爆発させて駆け寄ってくるのが怖かったのか、バルーはびくっとして身をよじった。アレクシアの腕を飛び降りて一目散に逃げ去っていく。
「好き、好き、大好きぃ……! 会いたかったあぁぁ……!!」
会えない期間に空想の中で美化してしまったかもしれないと思っていたが、そんなことは全然なかった。
「うん。おかえり、ルカ」
アレクシアは記憶よりもずっと綺麗で、凛々しくて、何度でも彼女に一目惚れしてしまう。
しっかりと鍛えられた隙のない筋肉に、鋼鉄かと思うほど堅い手。猛禽類のように鋭い眼光に、百獣の女王のような風格。間違いなく本物のアレクシアだ。控えめに言って最高である。
極上の光景を堪能しながら、ルカはさらに強くアレクシアを抱きしめた。
「そんなに寂しかったのか?」
うん、と半泣きの声がうなずく。
「寂しくて死ぬかと思った……。もう二度と離れたくない……!」
バルーが低い声で鳴きながら、再び二人の足元に寄ってきた。ルカの背中を蹴って飛び上がり、肩に乗ってくる。
バルーに肉球のついた手で頭をぺしぺし叩かれても、ルカは断固として腕を離さなかった。
「これからはずっと一緒だ」
アレクシアはそう言って、片方の手をルカの背に、もう片方の手をバルーの背に添える。
一人と一匹を、よしよしと撫でた。




