第141話 墓参り
気が遠くなるほど数多くの手続きをやっとのことで終え、晴れてルカがリートベルクに帰還する日がやってきた。
出立の直前。王都を発つ前に最後に訪れたのは、城の西側にあるルートヴィッヒ礼拝堂だった。
数代前の国王の名を冠した壮麗な古典様式の礼拝堂は、国内でもっとも格式の高い教会であると同時に、歴代の君主やその后妃たちの棺を納める墓所でもある。
訪問者はまず初代国王が安置された聖櫃の前にひざまずき、敬虔に祈りを捧げるのが決まりだ。
それから寄進という名の心付けを聖職者たちに渡した後、ようやく礼拝堂の奥にある門をくぐることが許される。
厳粛に開かれた門扉の先。礼拝堂の影が伸びる裏手には、国営の公園が広がっていた。
慰霊を祈る意味を持つ木々が等間隔に植えられている。ゆるやかな傾斜を利用して、細い小川が引かれていた。清らかなせせらぎが流れ、苔むす岩根と静かに融けあっている。
この美しく管理された公園は、王侯貴族たちが眠る墓地である。
故人を天国へと導く鳥のモチーフや、翼を広げた天使たちの彫像。
王国に名だたる各家が威信をかけ、趣向を凝らして作り出した弔いのための緑園は、謹厳とした静けさに満ちていた。
壮麗な墓碑が点在する墓地の、一番端。もっとも格下といっていい区画に、ヴァルテン男爵家の墓はあった。
墓石の下には過去三代のヴァルテン家の当主たちと、その妻たちが埋葬されている。
もっともルカが直接対面したことがあるのは一人だけだった。アウグストの母──ルカの祖母だ。
「……お祖母様」
墓前に花束を手向けながら、ルカは祖母に別れの言葉を告げた。
アウグストほどではないが、祖母も物静かで、口数の少ない人だった。
それでも祖母が平民の血を引くルカを少しずつ孫と認め、ゆっくりと慈しんでくれたことを知っている。優しくて穏やかな愛情を注いでくれたことを覚えている。
「ありがとうございました。お祖母様」
今になって思うが、祖母とマティアスは接する機会が少なかった。
マティアスを過保護に溺愛していたヘルミーネが、少しでも気に入らない関わり方をするとぎゃんぎゃんと口うるさかったから、祖母としても近寄りにくかったのだろう。
ルカの方が気安く関われたのだろうが、今となっては何だか不思議な気持ちがする。
もしかしたら──とふと思う。
もしかしたら祖母は気難しい嫁と関わるのを避けただけではなく、血のつながった実の孫がルカだけであることを、本能的に察していたのではないだろうか。
ルカはハンカチを取り出すと、墓石についた汚れをそっとぬぐった。
「僕、お祖母様の鋏を壊してしまいました。申し訳ありません」
ヴァルテン家を追放された時に持って出た、祖母の形見の小さな鋏は、リートベルクに着いた初日に折ってしまった。
エミールを助けるためだったとはいえ、まさかあんな使い方をされるとは祖母も夢にも思わなかっただろう。
しかし考えてみれば、鋏どころではなかった。
そもそもルカはヴァルテン家を取り潰そうというのだ。
祖母を含め、この墓に入っている先祖たちはさぞかしルカの決断に怒っていることだろう。
「お叱りはいつか、そちらへ行った時に聞きます」
男爵位を返上し、父を平民に降格させ、財産はちゃっかりと受け取る。
身勝手でしたたかな行動だと自分でも思うが、後悔はしない。
──後悔しないように、生きなくてはならない。
ぽつりと雫が降った。
驟雨だ。
灰墨色に曇った空からぱらぱらと冷たい時雨が降り落ちて、供えたばかりの花を濡らし、故人の名の形に刻まれた墓石の窪みをたどっていく。
ヴァルテン家は爵位を返上するが、貴族であった事実は変わらないため、この墓が霊園から撤去されることはない。
平民となったアウグストや、リートベルク家の籍に入ることになるルカがこの墓に眠ることはないが、せめて永く大切に供養してもらえるようにと献金をはずんでから、ルカは礼拝堂を後にした。
***
「申し訳ありません、ルカ様」
高齢にさしかかったヴァルテン家の庭師は、土で汚れた帽子を胸にあてて深く頭を下げた。
「この老いぼれがもう少し若ければ、リートベルクにご一緒したかったのですが……」
「気にしないで。気持ちだけで充分だよ」
庭師はこの期に職を辞し、隠居生活に入ることを決意したという。出身地である田舎の村に帰り、息子夫婦や孫たちと一緒に暮らすことになったそうだ。
「今まで長い間働いてくれたんだから、これからはどうかのんびりと余生を過ごしてほしい。息子さんたちによろしくね」
「はい。ルカ様からいただいた慰労金を見たら、息子も嫁も腰を抜かして驚きますじゃ……」
──胸を張って世話になれる、と老人は涙ながらに笑った。
長年男爵家に仕えてくれた庭師から教わったことはたくさんある。
挿し木や接ぎ木の仕方、剪定や切り戻しのやり方、多彩な肥料の配合方法。
かつてクレーフェ伯爵邸の庭でローゼリンデと薔薇を育てた時にも、習った知識は役に立ってくれた。
作業服に染みついた土と泥の匂いが思い出を呼び覚まして、ルカは涙を浮かべた。庭師の老いた肩をぎゅっと抱きしめて、これまでの感謝を告げる。
「ルカ様……どうか末長くお幸せに……」
年老いた庭師のように辺境への移住は難しい者もいたが、他の使用人たちからは予想以上に多くの人数が、ルカに従ってリートベルクに行くと名乗りをあげてくれた。
その中には、ルカに料理を教えてくれた料理人のヨハンもいた。
「喜んでご一緒しますよ。ルカ様」
一時はやつれて老け込んでいたヨハンだが、マティアスにかわってルカが男爵家の相続人になったと聞いて以来、みるみる元気を取り戻していた。
「いいの? ありがとう、ヨハン!」
「ええ。以前リートベルクのご令嬢が奥様に啖呵を切った時は痺れましたからねぇ。あの凄いお方とルカ様が夫婦になられるというのなら、ぜひ近くで見ていたいものです」
アレクシアは男爵家にはたった一度訪れただけなのだが、ヘルミーネを完全に圧倒した彼女の武勇伝は、使用人たちの間ですっかり伝説になっていたらしい。
「女性なのに威厳があって堂々としていて、本当に格好いいお方でした。あんな貴族もおられるのかと、できることならあの方にお仕えしたいものだと、みんな口々に言っていたのですよ」
ヨハンがしみじみと当時の衝撃を語ると、ルカは全文同意だと言わんばかりに深くうなずいた。
「あの時はみんな、一瞬であの方に惚れ込んでしまいましたよねぇ!」
「長年この屋敷に勤めていても、あんなに胸がすいたことはなかったよなぁ!」
他の使用人たちが口々に言い合う脇から、ひとりの女性が前に進み出た。
「私も行かせてください、ルカ様」
「モニカさん!」
モニカは旅装束に身を包んでいた。焦げ茶色の四角い旅行鞄をかかえ、つばの広い日よけの帽子をかぶっている。
「私もルカ様のお役に立ちたいです。どうかリートベルクで働かせてください」
「モニカさんが来てくれるならすごく助かるよ。でも、旦那さんは? 大丈夫?」
モニカは既婚者だ。妻が遠い辺境の地に移住するという決断を、夫は理解してくれているだろうか。
ルカがそう心配すると、モニカはつとめて明るく首を振った。
「夫とは離婚しました」
「え……!」
「夫はもともと私が仕事を続けることに良い顔をしていませんでしたし、結婚して三年が経ちましたが子供も授かりませんでした。なので、この機に別々の道を歩むことに決めたのです」
モニカは晴れ晴れとした顔で言った。
夫婦でよくよく話し合った結論なのだろう。未練は感じられない、すっきりとした表情だった。
「ごめん。立ち入ったことを聞いてしまって……」
「いいえ、お気になさらず。むしろ私はこれで思う存分仕事に没頭できると張り切っているところなのですよ。ですからルカ様、どうか私もお連れください。ヴァルテン家に仕えた管財人として、きっと私にもお手伝いできることがあると思います!」
お手伝いどころではない。相続したばかりの巨額の財産を、ルカ一人で管理するのは至難の業だ。
モニカはヴァルテン家を支える管財人たちの中でも白眉といっていいほど、抜群に優秀な逸材だった。彼女ならばルカの資産を必ず有益に生かしてくれるはずだ。
「ありがとう。モニカさんがいてくれたら、僕も心強いよ!」




