第134話 ナターリアとの決着
「ルカ! 会いたかったわ!」
ナターリアは潤んだ瞳でルカを見上げた。丁寧に巻かれたストロベリーブロンドの髪から、甘い香水の匂いがする。
「クレーフェ伯爵令嬢? どうしてここに?」
「ナターリアと呼んで。以前も言ったでしょう?」
上目遣いの視線を絡ませながら、ナターリア自身もルカに絡みついた。しなを作って、甘えた声でもたれかかる。
「ねぇ、どうして会いに来てくれなかったの? ずっと待っていたのよ」
「ちょ、ちょっと……落ち着いて。近すぎるよ、離れて」
ルカは制止したが、ナターリアは引かなかった。つかんだ腕に胸をぐいぐい押し付けてくるのを、強引に遠ざけて何とか距離を取る。
「マティアスならまだ裁判所内にいるはずだよ。今行けば移送前に面会できると思うけれど」
「マティアスのことなんて知らないわ! 彼とは婚約破棄したんだもの。赤の他人よ!」
どうやらマティアスを被告人とした裁判が開かれることが決まった時点で、ナターリアは早々に彼に見切りをつけ、婚約解消を申し出たらしい。興味がなかったので知らなかった。
「それなら僕の方が先に婚約破棄したんだから、もっと赤の他人なんじゃ……?」
「あなたは違うわ。私たち、もう一度やり直すもの」
「やり直……?」
「私はマティアスに騙されていたのよ。ルカ、あなただって彼の嘘に貶められていたのよね? だったら私の気持ちもわかってくれるでしょう?」
この「自分は騙されたんだ。だから悪くないんだ」論法、マティアスもよく言っていた記憶がある。
やはりナターリアとマティアスはお似合いのカップルだったのでは……とルカは思わずにいられなかった。
二人とも言い訳と自己弁護が先に立つタイプなのだ。他責的で自分の非を認めないところもよく似ている。
「マティアスのせいで私がどんなに白い目で見られていると思うの? 有罪判決が下された犯罪者の婚約者だってみんなに噂されているのよ! こんな屈辱、耐えられないわ!」
ナターリアは愛らしい顔を歪ませて、口を尖らせた。
「ルカ、わかってくれたでしょう? 私もあなたも同じ、マティアスの被害者だということを。だからもう拗ねるのはやめて。これまでのことは水に流して、もう一度私と婚約しましょう」
「え。無理」
反射的に拒否の言葉が出てしまった。
ナターリアはみるみる血相を変えて、ルカに食ってかかる。
「無理ってなに?! そんな言い方ある!?」
「だって無理だよ。僕は君のこと好きじゃないから、絶対無理」
「はぁ?!」
正直すぎるルカの返答に、アレクシアは思わずくすっと笑った。
ナターリアはその笑い方が癪に障ったようだった。可憐な眉を吊り上げて、アレクシアを睨みつける。
「……リートベルク辺境伯令嬢、お久しぶりですわね」
「ええ、クレーフェ伯爵令嬢。王宮のパーティー以来ですね」
「私、あのパーティーの時にルカから聞いていますのよ。お二人が偽りの婚約者だって」
「違っ……あの時は……っ!」
「婚約したなんて嘘だって。あの日だけの仮の関係だって、ルカが私に教えてくれたんです」
ナターリアは勝ち誇った顔をしたが、アレクシアはいささかも動じなかった。
「ええ。あの時はそうでしたが……」
先ほどナターリアの乱入で思わず放してしまった指をもう一度絡めて、持ち上げた手にそっと唇で触れる。
「今はこの通り、正真正銘の婚約者です。正式な婚約書もすでに作成して提出しています。王家に照会すれば、すでに受理されていることが確認できるかと思いますが」
涼しい顔で告げるアレクシアと、手へのキスだけで頭から湯気を発しているルカ。
温度差が物理的に激しい二人に見せつけられて、ナターリアはわなわなと肩を震わせた。
「なによ! お金目当ての結婚のくせに!」
「金目当て?」
「みんな言っているわ! リートベルクの令嬢がルカと婚約したのは、彼の相続する財産が目当てなんだって! ヴァルテン家を取り潰して、その資産はリートベルクが吸い上げる気だ、したたかで計算高くて強欲な悪女だって! みんな言っているんだから!」
「そうか。まぁ、言えばいいのではないか?」
ナターリアがわめき散らしたのを受けて、アレクシアも敬語を取り去った。
「クレーフェ伯爵令嬢。私は昔から好き放題に噂されることが多い。野蛮だ粗野だと言われる中に、さらに強欲が加わろうと、何とも思わない」
ルカも説明に加わる。
「婚約書はすでに提出していると言ったよね? 照会すれば日付も確認できるはずだけど、僕たちが婚約を申請したのは裁判が始まるよりも前のことだ。僕が実家の財産を相続するなんて何も決まっていなかった時だよ。結果的に相続することにはなったけれど、それは本当に結果の話だ」
「それは……! 決まってはいなかったかもしれないけど、相続する可能性はあったから早めにあなたを取り込んだだけよ! もしも相続が認められなかったらあなたは婚約破棄されていたわ。その女はあなたの財産が目当てなんだもの!」
もはや格上の家の令嬢を「その女」呼ばわりである。
ナターリアも頭に血がのぼっているのだろうが、いくらなんでも非礼が過ぎる。
「無礼だよ、クレーフェ伯爵令嬢」
ルカは蜂蜜色の頭を厳しく振った。
「僕のことは何と言ってもいいけど、アレクシアを貶める発言は許せない。僕の愛する人を侮辱しないでくれ」
「ルカ……!」
生まれて初めてルカに咎められたナターリアは、息を飲んでたじろいだ。
アレクシアは静かに述べる。
「クレーフェ伯爵令嬢。私は風評は気にしないが、あなたに対しては気になることがある。あなたがこれまでただの一度も、ルカに謝っていないことだ」
アレクシアも自分への侮辱は流せる。だがルカへの態度は見逃せなかった。
ナターリアが自己弁護に終始するばかりで、ここまで一回もルカに詫びたことがないのはいかがなものかと、首をかしげずにはいられない。
「あなたは自分が被害者だと、マティアスに騙されたのだと言っているが、ルカとの婚約を破棄したのはあなた自身の意志だろう? それも内々で私的に済ませればいい話を、わざわざ昨年のパーティーで大々的に宣言した。ルカの名誉をどれだけ傷つける行為だったかわかっているのか?」
「ど、どうしてそのことを……。ルカ、あなたが話したの?!」
「ルカは何も言っていない。リュディガーから聞いた」
「リュディガー……って……まさか……!?」
「第二王子だ。私の親戚でもある」
ナターリアの顔がさっと青ざめた。
マティアスとの婚約を披露した日、美貌の第二王子から浴びせられた氷のように冷たい視線と叱責を、昨日のことのように思い出す。
「ルカは衆人環視の中で婚約を破棄される恥辱にさらされたのだ。その原因を作ったあなたが一言の謝罪もなく元の鞘に収まろうとするのは、さすがに虫が良すぎるのではないか?」
アレクシアの冷徹な瞳が、あの日のリュディガーのまなざしを想起させる。
まるでよく似た二人に同時に睨まれているかのようで、ナターリアは小刻みに震えた。
「……ご……」
まごまごと口ごもってから、ナターリアはようやく初めて謝った。蚊が鳴くよりも小さな声だった。
「ごめんなさい、ルカ……」
ナターリアの口から謝罪の言葉が出たのは初めてだ。
婚約破棄に際してさえ一度も詫びられたことがなかったせいで、聞き慣れなくて、ルカはかえって困惑してしまう。
「マティアスの嘘を見抜けなくて、あなたを悪く言って、一方的に婚約を破棄してごめんなさい。でも、でも私気が付いたの! 婚約していた時のあなたはとても優しかった。私のことを本当に愛してくれていたんだって」
ナターリアはちらっと横目でアレクシアを見上げ、ルカは自分のことを愛していた、というあたりを強めに発音しながら話した。
「今度こそあなたの愛に応えるわ、ルカ。私はクレーフェ女伯爵になる、あなたはヴァルテン家の財産を持って私の夫になる。それで平等だわ。過去のすれ違いは乗り越えて、私たち今度こそ幸せになりましょう」
「平等とは……?」
ルカは目をまたたいた。
平等の意味もわからないし、過去はすれ違っていたのではなく一方的に断罪されただけだ。今の話のどこにルカ側にメリットがあるのかも不明である。
そもそも金目当ての結婚はしたたかで強欲だと、ナターリア自身が言ったばかりではないか。
それなのに彼女の夫になるためには、ヴァルテン家の全財産を持参してくることが真っ先に挙がるのはどうしてなのか。
ナターリア自身はその時々の自分の感情を正直に口にしているだけで、矛盾など何も感じていないのだろうが、いくら何でももう少し考えて言葉を発した方がいいと思ってしまう。




