第133話 自由になってくれ
「でも収容所の再建には多大な費用がかかるよね? リートベルクにそんな負担をかけるわけには……」
「心配いらない。うちが負担するわけではないからな」
「えっ?」
「あの収容所はおよそ百年ほど前に、当時の国王がリートベルクの地に建設を命じたものだ。辺境伯領には何の打診も相談もない、無許可での竣工だったらしい」
「うん、聞いたことがある」
あの収容所はかつて王家が断りもなく建てたものだと。領地を勝手に流刑地にされた当時の辺境伯はおおいに憤ったのだと。そんな話を聞いたことがあった。
「ご先祖様は豪胆な方でな、国王を相手に一歩も引かずに強く抗議したらしい。そのかいあって、収容所の管理に関してはかなり我が家に有利な条件が締結されたのだ」
無許可で建設された収容所の監督に関して、当時のリートベルク辺境伯は相当に強気な約定を国からもぎ取った。
まず領内に収容所を置くことを許容するかわりに、まとまった額の解決金を要求。
これとは別に、監獄が存在する限り継続して手当を支給することも王家に呑ませた。
さらに、もともと他領よりも強かったリートベルクの自治権をさらに強力に拡大することにも成功したそうだ。
そして特に念を押したのは、辺境伯家は収容所にかかる一切の費用を負担しないという点だ。
監獄内部の管理は、中央から派遣される官吏である刑務官らが主に担い、辺境伯家は領主として彼らを補助する。現地の現状を報告はするし、問題があれば国に意見も述べるし改善の要求もする。
だが、収容所はあくまでも国営の施設だ。リートベルクの懐は一切痛めない。
勤務する看守たちの俸禄はもちろんのこと、維持費や諸費用、自然災害や人災による建物の修繕費に至るまで、すべてが王家の掛かりである。
要するにリートベルク側としては「手は貸すし、口も出すし、報酬ももらうが、一銭たりとも出さない」ということだ。
この条件のもと、今日まで収容所は、辺境の湖上に浮かぶ孤島に存在し続けた。
「我が領では、国内で実刑が確定した囚人たちの中でも特に凶悪犯と恐れられる者たちを積極的に受け入れてきた。そうした性質上、いつかはならず者たちの不当な狼藉に遭うだろうという予測は最初からあったのだ」
過去には囚人たちが実際に集団脱獄をはかった事件もあったし、投獄された裏社会の重鎮を解放するために部下たちが夜襲をかけてきた事件もあった。いずれもリートベルク騎士団に鎮圧され、未遂で終わったが。
国内でもっとも恐れられる監獄というものは、それだけ危険を伴うものなのだ。
起こる騒動のたびにいちいちリートベルクの私財を放出していては、ろくに領地経営もままならない。
「どんな事件に見舞われようと、どれほどの被害が出ようとも、国が補償する取り決めになっている。今回の事案に際しても、その契約が適用されることになる」
──保険のようなものだ、とアレクシアは説明した。
たまたま今回の事件の主犯がマティアスだったからルカは負い目を感じているが、犯行に及んだのが誰であっても、被害を補填し現状回復する責任は国家に帰属する。リートベルクの財政が傾くことはない。
また、いかに国の威信をかけて築かれた堅牢強固な監獄とはいえ、百年近くも経てばかなり老朽化が進むものだ。
マティアスによって監舎が大破したのは幸い……とは決して言えないが、遅かれ早かれ行わなくてはならなかった大規模な改修工事に踏み切るきっかけにはなった。
──わかったか? とアレクシアは言って、驚くルカの顔を真っ向から見つめた。
「何度でも言う。あの男はルカと他人だ。無関係なんだ」
ルカの優しい性格は好きだが、マティアスに対してはもっと非情になっていい、とアレクシアは思う。
生まれた巣をヘルミーネに侵略され、孵ったマティアスに乗っ取られて、無残に踏みにじられたルカの過去は消せないが。
せめてこれから先の人生は、彼らとは何の関わりもなく生きてほしい。
「ルカが受け継いだヴァルテン家の富を、あの男の贖罪のために一銭たりとも削ることは許さない」
マティアスの償うべき罰を肩代わりなどしたら、ルカはいつまでもあの男から解放されない。
「自由になってくれ。──あの二人から」
アレクシアは両手を伸ばして、そっとルカの頬を包み込んだ。
見開かれる水色の瞳に目線を合わせて、決意のにじむ声で言う。
「あの卑怯で愚昧な母子に、もう決してルカを……私の婚約者を傷つけさせない」
「……!」
アレクシアに「私の婚約者」と言われたルカは、秒で悩殺されていた。
なんて魅力的な言葉なんだろう。もう一度言ってほしい。いや何度でも言ってほしい。鼓膜に閉じ込めて永久保存するから。もう一回言ってくださいお願いします。
そう切望した途端に、頬に触れていた手がすっと引かれる。
「アレクシア!」
「何だ?」
「もう一回言ってほし……じゃなくて! それなら……他にしたいことがあるんだ」
「他に?」
「うん」
マティアスの尻拭いのためにルカの個人資産を放出することは、たった今アレクシアにきっぱりと断られたばかりだ。
しかし、マティアスのために使うことはしなくても、アレクシアのためには使いたい。
ルカがヴァルテン家の財産を放棄することなく受け取ったのはただ、愛する人のために役立てたかったからだ。
リートベルクの領内における農林や水産、商工業の支援。領民の教育や福祉、医療面の充実。
金の使いみちはいくらでもあるが、ルカが特に取り組みたいと考えているのは道路の整備だった。
「道を作りたいんだ。以前、君が欲しいと言っていた街道を」
「道を……?」
「うん。ヴァルテン家の財産を相続できると決まる前から願っていたことなんだ。君と義父上が許可してくれるなら、すぐにでも着手したい」
以前からアレクシアが懸念していた領地の課題の一つが、老朽化して半壊しかかった古い街道の件だ。
天候の不順によって頻繁に土砂崩れが起き、人や馬車がしばしば立ち往生してしまう。
ルカが初めてリートベルクに来た時も、マティアスが侵入してきた時もそうだった。
ルカはアレクシアの発言は一言一句記憶しているという気持ち悪い特技があるのだが、かつてアレクシアが予算さえめどがつけば、大規模な工事に着手したいと願っていたこともよく覚えていた。
きらめく星月夜の下。
木箱に腰かけて芋の皮を剥きながら、アレクシアは言ったのだ。
『私としてはこの機に大々的な工事に踏み切り、道も橋も大きく改修すべきだと思っている。しかしな……先立つものがな……』
交通網の脆弱さはリートベルクにとって悩みの種だが、新路の建設には莫大な費用がかかる。
整備された街道は欲しいが税は上げたくない──と迷っていた彼女の横顔を、ルカは今でもはっきりと思い出せる。
アレクシアは目をまたたいた。
「……いいのか?」
領主側の立場としては願ってもない申し出だ。
だがヴァルテン家の資産はルカ個人のもの。結婚するからと言ってアレクシアに捧げる必要はない。
彼がいくら富もうとも、リートベルクのために供出させようなどと思ってはいない。
ルカは迷いのない顔で言いきった。
「僕の持っているものは全部、君とリートベルクのために使う。君の役に立つことが僕の望みで、喜びなんだ」
ルカは愛する婚約者の手を取ると、そっと大切ににぎりしめた。
「君はリートベルクを背負っている。僕はそんな君を支えたい。僕にできることは何でもするつもりだ。だからどうか……僕を頼ってほしい」
こうして手に手を取り合って、領民と領地とを守っていきたい。
彼女が愛する地を、彼女の大切な民たちを、ルカも大切に慈しんでいきたいのだ。
アレクシアの側にいられるのなら、それ以上の幸福は存在しないのだから──。
「手始めに、道を敷こう。リートベルクの未来につながる道を」
堅くて愛おしい手の感触と、ありがとう、と言ってくれる彼女の言葉。
それが何よりのご褒美だった。
二人はじっと目を見合わせる。
どちらからともなく身体が近づき、顔と顔とがそっと触れそうになった刹那。
「──ルカ!」
絹を裂くような甲高い声がして、二人は同時に振り返った。
荒々しく手綱を引きながら、一台の馬車が裁判所前に広がる円形の広場に乗りつける。
開いた扉の奥から現れたのは、愛らしい桜桃色のドレスだった。
まろぶように飛び出してきた令嬢を見て、ルカは水色の目を大きく開く。
「クレーフェ伯爵令嬢……?」
ルカの元婚約者。
ナターリア・ハンナ・クレーフェだった。




