第132話 カッコウの雛
父に別れを告げてきびずを返すと、アレクシアが憮然とたたずんでいた。
「ルカは優しすぎる」
「そ……そうかな?」
「ああ」
アレクシアは厳しい口調で、アウグストを責めなかったルカの甘さを指摘した。
父親を苦しめろとは言わないが、ルカが長年味わってきた苦痛の分の不平不満くらいは、もっと洗いざらいぶつけても良かったのではないだろうか。
「だが、そこが好きだ」
「!!」
暴言も恨み言も口にしないのはもどかしくもあるが、それがルカらしいともアレクシアは思う。
そういう男だから、好きになったのだ。
(幸せになることが、一番の復讐なのかもしれないな……)
非難よりも罵倒よりも、感謝がアウグストを打ちのめしたように。
相手を不幸にすることよりも、自分が幸せになることこそが、何よりの報復になるのかもしれない──とアレクシアは感じた。
存命の父親がいるにも関わず、血のつながりのない義父の名をミドルネームにするなど前代未聞である。
ルカは実の父よりも、義父を選んだ。
アウグストはもう息子の人生に必要がないと言われたも同然なのだ。
それは口汚く責められるよりもずっと、アウグストの心にこたえたのかもしれない。
(……ルカを幸せにしなくてはな)
改めてそう心に刻みながら見返すと、ストレートに好きだと言われたルカはまだ顔を赤くしてあわあわしていた。
アレクシアは軽く笑んでから、確認するように尋ねる。
「本当に良かったのか? 男爵位を継がなくて」
「うん。君と約束したから」
忘れられないあの日。
長い昏睡から目覚めたあとで。
アレクシアから言われた言葉は今も一言一句違えることなく、心の一番柔らかいところで光を抱いていた。
──ルカ。頼みがある。
『ヴァルテンの姓を捨ててくれ。そして私の姓になってくれ』
あんなに嬉しいお願いを、されたことはなかった。
夢よりももっと夢のような、ルカの人生で一番大切な約束。
あの奇跡のような頼み事を、どんなことがあっても必ず守りたい。絶対に反故にしたりしない。
「私が頼んだからか? ルカが本当は男爵家を継ぎたいのなら……」
「いらないよ。ヴァルテンの姓に未練はない」
ルカははっきりとかぶりを振った。
望めばルカが男爵家の当主となることは可能だ。だが、爵位を有しつつ女辺境伯の夫となることはできない。
結婚した男女は必ず同じ姓を名乗らなければならないと、現行法で定められている。
そして生家の姓を放棄した者は、生家の継承権も喪失する。
夫婦のうちどちらか片方しか爵位を有することができないのはこの法律のためだ。
「僕が欲しいのは君と同じ姓だ。義父上と同じ名のミドルネームだ」
──僕がリートベルクを名乗りたい、とルカははっきりと告げた。
「君と家族になれるのなら、他には何もいらない」
ヴァルテンの姓も、男爵の地位もいらない。
ヴァルテン男爵と、リートベルク女辺境伯。どちらが誕生すべきかと言えば、圧倒的に後者だ。迷う余地すら存在しない。
アレクシアが爵位を授かり、女辺境伯としてリートベルクを統べる姿を見たいと、この世で誰よりも願っているのはルカなのだから。
「それから、マティアスの賠償金のことだけれど……」
「断る」
「まだ何も言ってないけど!?」
話を切り出しただけで断られた。
あわてるルカに、アレクシアはつとめて冷静に首を振る。
「法定刑で命じられた賠償金を、ルカが肩代わりするというのだろう? 私は受け取る気はないからな」
「全額肩代わりするわけじゃないよ。支払いの責任はマティアスにあると思っている」
それでも、一部は自分が負担するとルカは言った。
今のマティアスは無一文だ。いくら残りの生涯を通して刑務作業に従事させ、得た工賃をすべて差し押さえたとしても、賠償金の総額にはとても満たない可能性が高い。
もしもマティアスが本当にアウグストの実子だったなら、ヴァルテン家は生家として支払いの義務を負わされていたのだ。
結果的にはマティアスはヴァルテン家の血を引いてはいないことが判明し、アウグストは妻に謀られた気の毒な夫として好奇と哀れみの目にさらされるかわりに、マティアスに関する一切の義務を免除された。
しかし、マティアスがヴァルテン男爵令息として育ったのもまぎれもない事実なのだ。
二十年もアウグストと父子だと、ルカと兄弟だと信じきって暮らしてきたのに、今さら他人面をするわけにはいかない。
ヴァルテン家の富は、本来ならばマティアスの償いのために根こそぎ没収されてもおかしくなかった。
だから全額とは言わずとも、一部は補填すべきではないかとルカは提案する。
「マティアスを育てたのはヴァルテン家だ。あんなどうしようもない人間になってしまったのは、父や僕にも責任はあったはずだから」
「ない。男爵はともかく、ルカには何の責任もない」
アレクシアは断言した。
ルカは以前も「弟の不始末は僕の責任です」と気に病んでいたことがある。
あの時も「それは違う」とアレクシアはすぐに否定した。
「あの男がああなったのは、本人の素質と母親のせいだ。ルカが責任を感じる必要は何一つない」
それどころか、ルカは被害者だ。
カッコウは別の鳥の巣に卵を産みつけるという。そしてカッコウの雛は孵ってすぐに、巣にある他の卵を外に捨てて殺し、自分だけが親鳥からの給餌を独占できるように仕向けるのだと。
そんな残酷な習性には、あのマティアスを重ねずにはいられない。
血のつながりのない他人でありなから、その巣に本来生まれた雛であるルカを排し、自分だけが仮親のもたらす富を享受しようとした、あの厚顔な男の鬼畜な所業を。
他家に産み落とされたこと自体はマティアスのせいではないのだろうが、その後の成長過程における増長と勘違いぶりは本人のせいだとしか言いようがない。
父子関係の不存在が正式に認められた時点で、マティアスはもうヴァルテン家とは無関係になった。
父ではなかったアウグストにも、兄ではなかったルカにも、マティアスの罪に連座する義務はない。
さんざん虐げられてきた被害者が、今さら加害者を助けてやる義理などどこにもないのだ。
「でも……」
「あの男が犯した罪の尻拭いを、ルカは何一つする必要はない」
まだ迷いの残るルカに言いきって、アレクシアは手のひらを拳の形ににぎった。
「むしろあの男にはもっとルカに償わせたいくらいだ。有罪判決が出ようが懲役が確定しようが、私は足りない。法が許すならばこの手で叩きのめしてやりたい」
「お、落ち着いて……!」
アレクシアの鉄拳で叩きのめされたら、私刑を通り越して死刑になってしまう。
ルカは冷や汗をかきながら彼女をなだめた。




