第130話 判決
前回の口頭弁論が結審となってから、十日後。
王立裁判所の大法廷にて、判決の言い渡しが行われた。
建前上は有罪判決が正式に出るまで被告人は無罪と推定されるが、今回は事件の重大さもあり、マティアスに無罪が言い渡されることは極めて考えにくい。
有罪であることはもはや疑いようがなく、むしろ判事がどれほどの量刑を科すかに注目が向けられていた。
前回の風評を聞きつけた傍聴人たちの数はさらに増えて、裁判所の外周を取り巻くほどの大にぎわいだった。
ゴシップ好きの野次馬ばかりかと思いきや、意外に若い女性の姿も多い。前回の口頭弁論で活躍したアレクシアを見てファンになったそうだ。
乙女たちはまるで贔屓の役者を応援するかのように、熱い視線を原告席のアレクシアに注ぎ「なんて背が高くて凛々しいの!」「何頭身あるのかしら?」「男の人よりよっぽど格好いいわ!」とうっとりしながら、きゃあきゃあと黄色い声をあげている。
人目を引く美貌に加え、ヴァルテン家の相続人が爵位を捨てるほど深く愛している相手だという評判もあいまって、アレクシアはすっかり若い少女たちの憧憬の的になっていた。
判事がコホンと咳払いしつつ、「静粛に」と呼びかけた。
傍聴人たちはそわそわと浮き足立ちながら、座席につく。
人だかりがひしめく法廷の場に、ヘルミーネは顔を見せなかった。
仮病か、それとも本当に体調がすぐれないのかはわからないが、欠席するということはもはや何の反論もしないということと同義である。
マティアスは被告人であることから出廷を厳命されたため、否応なしに姿を現したものの、前回の口頭弁論の際に比べたら見るからに意気消沈していた。
逃亡の阻止のため王家直属の兵士にぴったりと張りつかれたマティアスはいかにも罪人らしく落ちぶれていて、彼の自慢だった華やかな容貌は今や見る影もない。
さんざん誇っていた「高貴な血筋」と、頼りきっていた「巨万の富」を両方とも失ったことは、マティアスにとって自身のアイデンティティが根底から否定されるほど大きなショックだったらしい。
あれほどかたくなに否認していた監獄襲撃事件の関与についても、自分の出生について知ってからは明らかに語気が弱まり、積極的に認めはしないまでも、訴状の内容に異を唱えることはなくなった。
金はすべてのドアを開くというが、今のマティアスにはどんなドアを開く力も残っていない。
すっかり腑抜けたようになった彼は、やみくもな反論やあきらめの悪い抵抗をする威勢さえも消失した結果、はじめて自身の犯した罪を思い知ったかのようだった。
「被告。起立を願います」
判事はマティアスに起立を求める。
のろのろと立ち上がったマティアスに向かって、被告人を有罪とする旨をまず先に述べ、それから懲役刑に処することとその理由を粛々と言い渡した。
過去の判例に照らして決定された妥当な年数であるとはいえ、気の遠くなるような年月だ。実質上の終身刑と言っていい。
懲役に加えて賠償金の支払いも同時に命じられたマティアスは、もはや反論する気力もなく、ただ茫然と両の目を閉じ、やつれた肩をがっくりと落とした。
「ルカ・ヴァルテン男爵令息」
「はい」
判事は続いてルカを指名し、ヴァルテン男爵家に関しての通達をおごそかに読み上げた。
彼の希望通りに、男爵家は断絶の運びとなること。
領地は返納を認められて王家の直轄地となること。
所有する財産はすべてルカが相続するものとすること。
以上の三点が、正式に国王より勅許を得たという内容だった。
「君の要望が全面的に通った、ということだ。おめでとう、ルカ・ヴァルテン」
パチパチと手を叩いたのは王太子エドガーだった。
「こう呼ぶのも最後になるのかな」
「そう願っています」
エドガーが握手を求め、ルカは丁重に返す。
ヴァルテン家の領地を召し上げて国の直轄地とすることを王家が拒む理由はないと思っていたが、本当にそうだった。
建前上は「適切に審議する」ともったいをつけてはいたものの、実際は諸手をあげて領地の返還を受け入れた形になる。
マティアスに対する主文の宣告と、判決理由の言い渡し。
そして、ルカに対するヴァルテン男爵家の処遇の決定通告。
ものの数分で、裁判は終わった。
「……っ!」
有罪の確定したマティアスは、うつろな目を宙にさまよわせた。
控訴しようにも今のマティアスには財産も、後ろ盾も、約束されていたはずの地位も何もない。
自らの愚行で破滅を呼び込み、持っていたはずの爵位も輝しい未来も、すべてを剥奪されてしまった。
「兄上……!」
未練がましくルカを見つめるマティアスは、まだ兄と弟という幻想にすがりついてルカを頼ろうとする思いが捨てきれないらしい。
だが、駆け寄ろうとしたマティアスの目の前に、兵士たちの持つ槍が鋭く交差する。
行く手を阻まれたマティアスはルカに触れることも、一言の言葉さえかわすこともできずに、その場に膝をついてくずれ落ちた。
***
「判決が出たぞ!」
「元・男爵令息は有罪!」
「ヴァルテン男爵家は廃絶が決まった!」
解き放たれた傍聴人たちが王立裁判所の門前に走り出て、興奮した様子で騒ぎ立てる。
裁判所の周囲で待ちかまえていた人々は、大きなどよめきに揺れた。
判決が確定し、審理は結審し、裁判は閉廷した。
大法廷の錠が再び閉ざされたこの日、ヴァルテン家の断絶が正式に決定した。
ヴァルテンの姓がなくなるわけではないが、貴族階級からは削除され、爵位は消失する。
男爵家の最後の当主はアウグスト。初代男爵だった彼の曾祖父から数えて、わずかに四代限りの貴族だった。
平民から貴族に成り上がった曾祖父とは逆に、貴族から平民に降格することになったアウグストは、ミドルネームを失ってただの「アウグスト・ヴァルテン」となった。今後は市井に降り、平民として余生を送ることとなる。
ヴァルテン家の莫大な財産はアウグストの相続放棄をもって、彼の唯一の子であるルカが相続した。
この際に発生する相続税もかなりの金額にのぼるのだが、国王がヴァルテン家の廃絶をスムーズに認めたのは、まるごと国庫に上納されることになるこの大金のおかげでもあるだろう。
しかし、マティアスがヴァルテン家の血を引いていないと認められたことにより、ヴァルテン家は彼の犯した罪の賠償金を支払う義務から解放された。
どれほど天文学的な数字を請求されてもおかしくなかったことを思えば、国に支払う相続税など微々たるものだ。
ヴァルテン家の財布を預かる管財人たちは胸をなでおろし、喜んで納税の手続きを取っているという。
(男爵は異議を申し立てなかったか……)
アレクシアは意外そうに愁眉を開いた。
率直に言えば、アウグストが男爵家の廃絶に一切反対しなかったばかりか、存命にも関わらず自ら財産を放棄したことは想定外だった。
裁判でマティアスが相続権を喪失し、ルカが相続人と認められたとしても、アウグストが当主であることは変わらない。
当面はアウグストが男爵のまま、彼の老後もしくは死亡時まで男爵家を維持することを望んでもおかしくないと思っていた。
しかしアウグストは隠居を撤回することはなく、男爵の地位を惜しむことすらなかった。
アウグストは何も求めなかった。当主の座に固執することもなければ、財産の分与を希望することさえなかった。
ヴァルテン家は国内外の各地に二桁を越える数の別荘を所有している。アウグストが望むならばそのうちの一つを彼の隠居後の住まいとして譲ることもできたが、それさえ欲しがりはしなかった。
爵位を返上し、貴族の身分を捨て、保有していた資産さえことごとく放棄し、アウグストは文字通り身ひとつで市井に降りる心づもりのようだった。




