第129話 もう手放せない
「エドガー殿下は心からリュディガー殿下を本当に大切に思っておられるし、リュディガー殿下も心からエドガー殿下を敬愛しておられるのですね。両想いで、素晴らしいです」
「両想いか……良い響きだな」
エドガーは満足そうにうなずいて、ルカを見た。
──なるほど、可愛い男だ。
きらきらした笑顔からは芯の明るさが伝わってくるし、純真無垢な表情には妙に保護欲をそそられる。まるで子犬のような愛らしさで、無性に撫でまわしてみたくなる。
「君が選んだのはこういう男か、アレクシア」
「そうです」
アレクシアはエドガーの横を素早くすり抜ける。そのままルカに寄り添って、手を重ねた。
「エドガー殿下。私にはもう心に決めた相手がいますので、他の男と結婚はできません」
「……!」
言ったアレクシアの方は涼しい顔つきのままで、言われたルカの方だけが赤面する。耳朶まで一瞬で鮮やかな朱色に染まって、まるでよく熟れた林檎のようだ。
「行こう、ルカ」
「アレクシア。あの……」
「あとはお二人でよく話し合ってください」
突き放すようにアレクシアが言うと、エドガーが詫びた。
「悪かった、アレクシア。婚約の申請は至急受理しておくからな。結婚式には呼んでくれ」
「呼びません。それでは」
にべもない物言いを遠慮なく投げて、王子たちの前を堂々と通り抜ける。
ようやく二人きりになってから、アレクシアは困ったように苦笑した。
「すまない。先に話しておくべきだったな」
――驚いただろう、と問われてルカはこくこくとうなずく。
とても驚いた。二人の王子が不仲だというのは有名な噂だったのに、実際はまるで違うのだから。
「もうわかったと思うが、王子たちが険悪だという噂は嘘だ。あの二人は仲が悪かったことなど一度もない」
「うん、すごくよくわかった」
大いに納得する。せざるを得ない。
第一王子エドガーと第二王子リュディガーは年齢も近く、母方の実家である公爵家の権勢も拮抗している。二人は王位継承権をめぐって最大のライバル関係にあり、国王は息子たちのうちどちらを世継ぎにすべきかを逡巡している。
それが「定説」だった。社交界における常識も同然といっていい噂だったのだ。
しかし、だ。
しかし先ほど己の目でしかと見たのは、弟が可愛くて仕方ない第一王子と、兄を支えたくてたまらない第二王子だった。ただの両想いだった。
「国王陛下の実子はあの二人しかいないせいか、王子たちは敵対しているに違いないと邪推する者が後を絶たないのだ。どんなに否定しても勝手に不仲説を立てられると、リュディガーは子供の頃から悩んでいた……」
──普通に過ごしているだけなのに、王太子の座を狙っていると勘繰られてしまう。兄上の地位を奪いたいなんて考えたこともないのに──と、幼いリュディガーはアレクシアに不満をぶつけたこともあるらしい。
これもエドガーに言わせれば「リュディに八つ当たりされるなんて羨ましい…!」だったらしいが。
「リュディガーは冷淡な性格でもあるが、昔から兄君のことだけは慕っていたし、エドガー殿下はあの通り筋金入りの弟思いだ。リュディガーが素でいられるからという理由で、私との結婚を後押ししようとするほどに」
「アレクシアとリュディガー殿下の……結婚……」
ルカはつぶやいて、わずかに目を伏せた。
エドガーが最愛の弟とアレクシアを娶せたいと願う気持ちは、少しわかるような気がしたからだ。
「王太子殿下がそう望まれるのも、無理はない気がする」
「そうか?」
「だって君は世界一美人だし、リュディガー殿下は本当に端正な方だから。二人が並んだらとてもお似合いだと、僕も思ったことがあっ……」
言葉が途中で途絶えたのは、アレクシアが続く発言ごとルカの唇をふさいだからだった。
「……っ!!!」
ルカは再び真っ赤になった。不意打ちの破壊力が強すぎて、心臓が仕事しない。
瞳孔が開くほど驚いていると、アレクシアはふわりと微笑みかけた。
「心配しなくていい。私の夫はルカだけだ」
「アレクシア……」
「私がルカを選んだんだ。他の男に興味はない」
「……!」
言い切る声が甘美すぎて、ルカは呼吸を止めた。
思わず意識が飛びそうになって、魂まで半分抜けかける。
「たとえ誰が反対しようと、誰を敵に回そうとも、私はルカと別れたりしない」
「……アレクシア……」
──片恋に身を焦がしていたころ。
魔法で王子になりたい、とルカはどんなにか願ったことだろう。
不思議な力でアレクシアと並べる身分になることができたなら──と、どんなにか切望したことだろう。
魔法はなかったけれど、恋は叶った。
王子様にはなれなかったけれど、アレクシアは本物の王子様との結婚を断って、ルカを選んでくれた。
この想いの成就を、奇跡と言わずに何と言えばいいのかわからない。──言葉が見つからない。
「大好き……!!」
万感をこめてそうささやき、ルカはぎゅっと彼女を抱き寄せる。
二人の唇が、音もなくそっと重なった。
「……んっ……」
ルカは角度を変えて、桜色の口元にもう一度唇を添える。
そっと舌を滑り込ませると、あたたかくて柔らかいものに触れた。最初はゆっくりと、やがて夢中でついばみながら、より深くまで彼女を求める。
「本当に……上手いな」
アレクシアは吐息を洩らした。
どこまでも甘い口づけに、我を忘れそうになる。
何でもそつなくこなす器用な男だとは思っていたが……こんなところまで器用だとは思わなかった。
「そんなこと言われたら、歯止めがきかなくなるよ……」
ルカの喉の奥からも、切ない吐息が洩れた。
──そんな煽るようなことを言わないでほしい。
ただでさえ自制するのに必死なのに……抑えられなくなってしまう。
「愛している、アレクシア。君だけは絶対に失いたくない」
真摯にそう告げると、アレクシアはそっとうなずいてくれる。
その青の瞳が自分を映してくれていることが、何よりも誇らしかった。
(……リュディガー殿下とアレクシアが結ばれることを願う、王太子殿下の気持ちもわかる。でも……」
かつてルカもリュディガーとアレクシアの並んだ姿を見て、よく似合っていると感じたことがあった。美男美女でよくお似合いだ、と痛感したことは事実だ。
彫像のように整った美貌のリュディガーと、彼に似た美しい容姿を持つアレクシアは、それはそれは絵になる組み合わせだった。
思わず「尊い……!」と伏して拝み、二人をかくも麗しく造形したもうた神に感謝の祈りを捧げてしまったほどだ。
……それに、今年の王宮のパーティーの日。
リュディガーが言っていた言葉を、ルカは今もずっと忘れられずにいる。
『もしも我々の血縁がもっと離れていたとして。アレクシアが妃候補に選ばれたならば……私はやぶさかではなかった』
あの「やぶさかではなかった」は、揺るぎなくリュディガーの本音なのではないだろうか。
王太子エドガーもまた、そんな弟の本心は察していた。
だからアレクシアに何度断られても、リュディガーにやめてくださいと止められても、彼女を王族に迎え入れたいと請い続けたのではないだろうか。
近親婚が敬遠されることから、進んで想いを遂げようとはしないリュディガーのために。
最愛の弟を幸せにできる女性は、アレクシアだけだと信じて。
誰よりもアレクシアに恋い焦がれているルカだからこそ、彼女に魅せられる男の気持ちは痛いほどよくわかる。でも。
(でも……もう……だめだ……)
どんな男が相手でも、もう譲れない。
どんな権力者に望まれても、もう従えはしない。
ルカはすでにこの唇の甘さを知ってしまった。アレクシアの瞳に映る幸福を知ってしまった。
だから何があっても、あきらめることはできない。
何が起こっても、彼女だけは絶対に手放せない。




