第124話 唯一の相続人
「ヴァルテン男爵、男爵夫人」
判事は被告席を向き、ゆっくりと男爵夫妻に語りかけた。
「リートベルク辺境伯令嬢の主張の通り、人間の血が四種類に大別されることは事実であると見なされます。試薬を用いた鑑定についても正確性は確認されており、テュルキス王国ならびに我が国はこれをすでに承認しています」
血の種別の発見と解明はテュルキス王国の功績であるが、国籍や人種に関係なくあらゆる人間に適用される普遍的な事実でもある。外国の研究だからといって否定できるはずがない。
そもそもペルレス王国の大図書館にも、同件の論文はとっくに納められているのだ。
王家が正式に効能を認めるのは時間の問題だったが、この裁判に先立って承認されたのは幸運だった。
「国王陛下もこの研究には感銘を受けられ、テュルキス王国に倣って血種の研究を進めることを我が国の医師団に命じておられます。ゆえにこの裁判においても、ただ今行われた鑑定結果は証拠として認定されます」
「つ……つまり……」
マティアスがごくりと喉を鳴らす。
判事はおもむろに首肯した。
「マティアス・アウグスト・ヴァルテン男爵令息は、アウグスト・ゲオルグ・ヴァルテン男爵の実子ではないと推定されます。これにより、令息、あなたは男爵家の有する領地および財産について、一切の相続権を失います」
顎が外れるほど空いたマティアスの口が、ばかな、と動いた。
マティアスはアウグストの息子ではなかった。
彼はヴァルテン家の血を引いていないことが確認され、今この時をもって相続の権利も喪失する──ということは。
判事の言葉を引き継いだのは王太子エドガーだった。新緑の色をした切れ長の双眸が、原告席へと向けられる。
「君が男爵家の唯一の相続人ということだ。ルカ・ヴァルテン」
「僕が……?」
指名されたルカの大きな水色の瞳が、さらに大きく見開かれた。
ルカと目と目を合わせたまま、エドガーははっきりと告げる。
「男爵の爵位。治める領地。そして有する財産。すべてをルカ・ヴァルテンが相続するものと認める」
「ルカ!」
エドガーの宣言にかぶせて、ヘルミーネが叫んだ。
「ルカ! 私を助けて! あなたの母を助けてちょうだい!」
ルカは耳を疑う。
声すら発することができずに困惑していると、ヘルミーネは間髪を入れずにたたみかけた。
「今までのことは全部、あなたをヴァルテン家の長男として立派に育てなくてはと思ったからなの! 厳しく接したこともあったかもしれないけれど、すべてあなたへの愛情ゆえだったのよ!」
「は?」
渾身の「は?」だった。
あっけに取られ過ぎて、一文字しか言葉が出てこない。
「行き違いがあって誤解を招いてしまったのね。あなたのことはいつだって我が子のように愛していたのよ……!」
さめざめと泣いて縋るヘルミーネに、ルカは唖然とすることしかできなかった。
「……何を言っているのですか? 奥様?」
「奥様だなんて! どうしてそんな他人行儀な呼び方をするの? いつものように母上と呼んでちょうだい!」
とんでもない手のひら返しに、ルカは反論する言葉も失って目を白黒させる。
「私はただ、本当のお母様にかわってあなたの母親にならなくてはと、つい力みすぎてしまったの。うまく愛情が伝わらなかったかもしれないけれど、私はずっとあなたを大切に育ててきたつもりよ?」
「"お母様"……?」
聞き慣れなさすぎる言葉に、ぞぞっと怖気が走った。
ヘルミーネはいつもルカの実母のことを売女と罵っていたのに、お母様だなんて初めて聞いた。
「恥知らずとはこのことだな」
かわってアレクシアが、ヘルミーネに軽蔑のまなざしを投げた。
「あなたはルカを大切にしたことなどない。愛情は伝わらなかったのではなく、かけたことがないだけだ。私が初めて会った時のルカは痩せ細っていた。貴族なのに身なりも質素で、ミドルネームも持たず……」
「ミドルネーム! そうだわ! ミドルネームをあげましょう!」
ヘルミーネはアレクシアの言葉を途中でさえぎって、良いことを思いついたと言わんばかりに大きく手を打った。
「ついうっかり、あなたにミドルネームを付けることを失念してしまったの。悪気はないのよ。わかってくれるでしょう、ルカ? 愛情のしるしに、すぐにでも私の名前をあなたのミドルネームにするわ!」
「ついうっかり……?」
思わずくりかえして、ルカはぽかんとした。
ついうっかりルカのミドルネームを剥奪して、ついうっかり今まで放置してきたとでも言うのだろうか。
無茶すぎる言い訳だ。いくらなんでも支離滅裂すぎる。
「酷いわ。私が血のつながらない継母だからって、冷たく拒否するのね……」
ルカが賛同しないのを冷淡だと非難して、ヘルミーネは涙を流しながら嘆いた。
「わかったわ、ミドルネームはアウグストの名がいいのよね? あなたの望み通りにしてあげるから、もう機嫌を直してちょうだい。マティアスと同じミドルネームなら、仲の良い兄弟らしくてちょうどいいわ!」
「お断りします」
「はぁ? この私がここまで譲歩してあげているのに、どうして逆らうの!?」
ルカに即座に断られて、ヘルミーネは気分を害したようだった。慣れない猫をかぶり続けるのにも無理があるようで、早々に化けの皮が剝がれてきている。
「ミドルネームを戻してあげると言っているのだから、感謝して受け取ればいいでしょう!」
「僕はもう尊敬する父の名を、ミドルネームとして授かっているんです」
「何を言っているの!? あなたはアウグストの名を持ってなんかいな……」
「ヴァルテン男爵の名ではありません」
ルカは首を振った。
「婚約にあたって、リートベルク辺境伯の名をミドルネームにいただきました。僕を慈しんでくれる父は、この世であの方だけです」
それを聞いて、アウグストが傷ついた表情を浮かべた。
ルカが自分以外の父親の名を与えられたことに絶望するような、それでも怒る資格は自分にはないと悟っているような、あきらめに満ちた哀しげな目。
「奥様……いえ、ヘルミーネ様」
静かに呼ぶルカの声に、今度はヘルミーネの方が総毛立った。
怒鳴っているのでも叫んでいるのでもないのに近寄りがたい、底冷えのするような声。
どんなに虐げても逆らわなかった継子が、こんな氷のようなまなざしをするのは初めてだった。
「あなたはいつも僕を“卑しい平民の血が流れている”と……そうおっしゃっていましたよね」
「そ、それは……違うの! ルカ、聞いてちょうだい!」
「マティアスもそうだったのですね」
痛いところを突かれて、二の句が継げない。
ヘルミーネがさんざんルカに吐き捨ててきた侮蔑の言葉が今、彼女の首を絞めていた。
「別に僕は平民が卑しいとは思いませんが、あなたの中ではそうなのですよね。あれほど口癖のように僕を蔑んでいらしたのですから。それなのにご自身は平民の子を産んで、僕の父をずっと騙していた。本当に卑しいのはどちらなのですか?」
「……っ!」
「あなたこそ卑賎で汚らわしい。二度と僕の母などと名乗らないでください」




