第121話 真相
アレクシアはルカの手から、別の書類を受け取った。
「そして、もう一つ。こちらは我が家の執事が調べてくれたものなのですが……」
「まだあるの!?」
すでに厚い化粧が台無しになるほど取り乱していたヘルミーネは、錯乱して髪をかきむしった。
「男爵夫人のご実家、シェンバッハ伯爵家に長年仕える使用人たちに、聞き込みをした調査結果です」
「……っ! や……やめ……!」
「男爵夫人が伯爵令嬢でいらした時代を知る、古参の使用人を中心に話を聞きました。そして複数の使用人たちから証言を得たのです。"ヘルミーネお嬢様にはお気に入りの下男がいた"と──」
血種の鑑定によって、アウグストとマティアスの父子関係は否定された。
では《《マティアスは誰の子なのか》》。
夫との子を生んだのでないのなら、ヘルミーネはいったい誰の子を生んだのか。
アレクシアから依頼を受けた執事のエヴァルトは、シェンバッハ伯爵家に密偵を送り、当時の状況を捜査させた。
さすがに二十年も前のことである。そう簡単に有力な話は聞けないだろうと覚悟していたが、これが思いのほかスムーズに調べがついた。
シェンバッハ伯爵家に長年仕える使用人たちにとって、ヘルミーネは悪い意味で記憶に残る強烈な令嬢だったらしい。
彼らが特に眉をひそめていたのが、ヘルミーネが未婚の時から、気に入った男を密かに連れ込んでいたことだ。
特に印象に残っているのがある下働きの男だと、年かさの使用人たちは口をそろえて言った。
その下男は貧しい平民の生まれで、元は下町で日雇いの仕事をしながら小銭を稼いでいた。
学のない男だったが、見た目は秀でており、ヘルミーネが通りがかりに気に入って、伯爵家で雇うように手を回したらしい。
貴族の令嬢に見初められるほど容姿の良かったその下男は、目立つ長身と華やかなブロンドの持ち主だったという。──マティアスと同じように。
その下男はとっくにシェンバッハ家を去り、他の貴族の家で働いていたが、リートベルクの密偵は男の現在の勤務先を突き止め、直接本人に会って目的を告げた。
マティアス・アウグスト・ヴァルテンの出生に関して、母親であるヘルミーネの過去を洗っており、嘘偽りのない正確な証言を得たいこと。
真実を告白したからといって、決して証言した者に累は及ばず、不利な取り扱いはされないこと。
はじめのうちは何も話すことはないと拒み、密偵がいくら尋ねてもあいまいに言葉を濁していたその下男は、やがて王族の立会人のもと、大法廷で裁判が開かれることを知って震え出し、ついに観念したように告白した。
──二十年以上前、ヘルミーネお嬢様に脅されて関係を持った、と。
ヘルミーネは好みの外見をした男を自邸に雇い、しばしば私的な自室にさえ引き入れていた。
貴族階級からではなく平民から相手を物色したのは、金と権力でいくらでも従わせられる身分だということと、上流階級につながりがなく、被害を訴えても信用されない立場であること。
つまりは周囲に露見しにくく、かつ、いつでも口を封じることのできる手軽な相手だからだろう。
事実「使用人の立場でお嬢様には逆らえなかった」とその下男は語った。
当時のヘルミーネが婚約中の身で、まもなく男爵家に輿入れすると聞き、下男は怖じ気づいた。
嫁入り直前の令嬢と関係を持つなど、シェンバッハ家に対してのみならず、ヴァルテン家に対しても裏切り行為だ。
しかし、どうかお許しください──と伏して頼んでも解放されることはなかった。
もしも自分を拒んで恥をかかせるなら、解雇するだけではすまない。おまえに無理やり襲われたと触れ回ってやる──とヘルミーネは男を脅迫したのだ。
貴族の令嬢を襲ったとなれば、平民の男の首は飛ぶだろう。家族の身にも理不尽な刑罰が及びかねない。
ただ黙って言うことを聞きさえすれば、罪を着せられることもなく、ヘルミーネから通常の給金の何倍にもなる手当て金を貰うこともできる。
男は従った。
それ以外に、できることなどなかった。
***
神聖な法廷の場で明らかにされた、あまりにも不道徳なスキャンダル。
傍聴していた人々はしばし沈黙し、それから堰を切ったように騒然となった。
「……まぁ……なんてこと!」
「いやはや……破廉恥な……!」
ただれたゴシップは下世話であればあるほど、聴衆を惹きつけて放さないものだ。
傍聴人たちは興味津々で、食い入るようにアレクシアの弁舌に聞き入っている。
閉廷後はさぞかし自発的に周囲に触れ回ってくれることだろう。そうなれば、もはや社交界にヘルミーネの居場所はない。
「もちろんこの男の血種も、本人の同意を取って鑑定しました。結果はA種──この結果だけで決めつけることはできませんが、男爵夫人がB種である事実を踏まえれば、AB種である男爵令息との父子関係に矛盾は生じません」
男が最後にヘルミーネの寝室に呼ばれたと証言している日は、まさに結婚式の前夜である。
アウグストとヘルミーネの結婚式の日取りは調べればすぐにわかる。
マティアスの誕生した時期から逆算しても、血種の結果から考えても、外見の類似性を考慮しても、この下男はマティアスの実の父親であると推定することができた。
「嫌! 嫌! もうやめて……!」
衆人環視の中、婚約中の不貞を追及されたヘルミーネはもはや、錯乱という言葉では言い表せないほどに取り乱していた。
男爵の正妻という立場。
後継者の母という地位。
大富豪の女主人としての名誉。
ヘルミーネの持っていた何もかもが粉々に壊され、面目が丸潰れに潰されて、無残に崩れ落ちていく。
「嘘……噓! 嘘! こんなの全部嘘よ!」
「先ほども申しましたが、お疑いならいくらでも再検査に応じましょう」
マティアスの生物学上の父親と推測される下男は、本意ではないとはいえ婚約者のいる令嬢と関係を持ってしまったことに、ずっと後悔の念を抱えていたという。
下男はヘルミーネが嫁ぐと同時にシェンバッハ伯爵家での職も解かれ、他の家に移っていたが、ヴァルテン男爵夫人となったヘルミーネがすぐに懐妊した話は風の噂で聞いていた。
──まさか自分の子ではないか、と戦々恐々とするも、確かめる方法があるはずもなく、下男はこの二十年もの間、密かに後ろめたさを抱いてきたらしい。
まったく悪びれないヘルミーネに比べたら、よほど良心的な男である。
アレクシアの密命を受けた使者はこの下男に対し、決して咎めることはしないから正直な供述をしてほしいと真摯に頼んだ。
もちろん血種の鑑定も、どんな結果が出ようとも決して罪には問わないことを固く約束した。
下男もこちらを信用してくれた様子で、逃亡のおそれはなかった。望めば再検査にも応じてくれるはずだ。
だから今回の法廷に持参した彼の鑑定結果を偽造だと疑われようとも、何度でも証明することができる。
「……こんなっ……こんなの……あってはならないわ!」
ヘルミーネはすっかり化粧の剥げた顔を真っ青にしながら、アレクシアに食ってかかった。
「どうしてこんなことを公にするの!? 今回の裁判とは何の関係もない話じゃないっ!」
「血種の鑑定については捏造だでっち上げだとおっしゃっていたのに、この報告書にはおっしゃらないのですね? 心当たりがあると思ってよろしいですか?」
「あっ……そ……そんなことは……!」
すでに青ざめていたヘルミーネの表情が、さらに硬くこわばった。
お得意の「捏造だ」という反論すらとっさに浮かばないほど動揺していたらしい。
「も、もちろん根も葉もない作り話に決まっているけれど……! それ以前に名誉毀損よ! 非常識よ!」
「ご子息が爵位を継承するこそ一番の解決策だと、非常識な提案をされたのは男爵夫人です。ですからご子息がヴァルテン家の血を一滴も引いていない事実を、今ここで明らかにしたまでですが」
「私の名誉を著しく毀損しているのよ! 個人の私情を法廷という公の場で暴露するなんてどうかしているわ!」
「個人の私情である婚約破棄を、王宮という公の場で行ったのはあなたのご子息では?」
凛々しくも冷たい声で、アレクシアは指摘する。
「衆人環視の中でルカに婚約破棄を突きつけ、断罪して貶めたご子息こそ、彼の名誉を著しく毀損したのです。その行いを許容したあなたに抗議される筋合いはありません、男爵夫人。──あなたにそんな資格はない」




