第120話 魔法などないのだから
「捏造よ!」
ヘルミーネはすかさず反論した。
「これらの結果が本当に私たちのものだという根拠がどこにあるの? まったく別人の血を鑑定したのかもしれないじゃない! 証拠になんてなるはずがないわ! でっち上げよ!」
「そうおっしゃるだろうと思いました」
アレクシアは一切動揺することなく、落ち着き払った様子で応じた。
「私たちが事前に用意した結果では認めず、ご自分の血液を鑑定したものではないと否認されることは予想していました。私は開廷の際に真珠に誓った通り、何の偽証もしてはいませんが、男爵夫人がそのように不正を指摘されるのであれば、この場でもう一度証明する以外にはありません」
「この場で? もう一度……?」
ヘルミーネは怪訝そうに目をしばたく。
アレクシアはアウグストに向かって手をさし出した。
「男爵、ご協力いただけますね」
「はい」
「あなた? やめて! やめてちょうだい!」
いつになくしっかりとした口ぶりで返答したアウグストを、ヘルミーネはあわてて止めにかかった。
「こんなうさんくさいことに協力するなんて! 一家の当主としての誇りはないの?!」
「黙りなさい」
芯から凍えた声だった。
元より夫婦仲は冷えきっていたとはいえ、夫からこんな冷淡な物言いをされるのは初めての経験で、ヘルミーネは瘧のようにがくがくと震えた。
「下がっていてくれ。私は真実が知りたいんだ」
妻を黙らせたアウグストは、青ざめた唇をぎゅっと引き結んで前へ進み出る。
同時に、白髪まじりの初老の男も進み出て、アウグストに会釈した。
「こちらの方は王宮の医師です。法廷における再鑑定に際してご助力いただきたく、事前にお願いしました」
アレクシアが紹介し、王太子エドガーもうなずいて肯定した。
「間違いなく王家の抱える宮中医である。リートベルクの手の者でないことはこの私が保証する」
宮中医はアウグストを椅子に座らせ、特殊な医療用のメスを取り出した。
瀉血にも用いられるメスで、ナイフよりもずっと細くて薄く、形状は針に近い。皮膚に穿刺することで、少ない痛みで血を抜き取ることができる器具である。
侍医はアウグストから採取した血を二種類の検査薬にそれぞれ混合させた。アレクシアが準備したものではない。医師自身が用意し、持参した試薬である。
しばし待って出た結果は、双方の試薬ともに凝集反応なし。
アウグストの血種が「0」であることが、改めて確認された形になる。
「──ヴァルテン男爵令息」
「……」
アレクシアに呼びかけられても、マティアスは顔を上げなかった。
被告席でじっとうつむいたまま、膝の上で両手を強くにぎりしめている。
「男爵夫人は先ほど、名誉にかけて抗議する、とおっしゃった。あなたがたの名誉とは、それほど軽いものなのか?」
くっ、とマティアスは歯噛みした。つくづくアレクシアに挑発されるのが弱い男である。
「やればいいのだろう! やれば!」
マティアスは怒りに任せて立ち上がり、止めようとする母のヘルミーネさえ力ずくで振り切って、壇上に進み出た。
つい先ほどアウグストは「真実が知りたい」と言っていた。マティアスとてそれは同じ気持ちだったのかもしれない。
何の前ぶれもなく揺さぶられた、自らのルーツ。
唐突に「父親と似ていない」と突き付けられたマティアスこそ、自身が本当にヴァルテン男爵家の後継者たる血筋なのかを確かめたいと願っていたのかもしれない。
初老の宮中医がマティアスに会釈する。
マティアスは唇を固く結んで、薄いメスが皮膚を穿刺するのを耐えていた。
「……!」
法廷は水を打ったように静まり返った。
すべての者が固唾を飲んで見守る中。
マティアスの血に浸された二種類の試薬は、いずれも中央に寄り集まり、ぎゅっと凝固する。
凝集反応が起きていることは、誰の目にも明らかだった。
「AB種……!」
「男爵令息はAB種だ!」
「リートベルク側の出した証拠と同じ結果だ!」
沈黙を破って、傍聴人たちが一斉に騒ぎ出す。
マティアスは無言のまま、困惑のような憤怒のような、名状しがたい表情を浮かべて天を仰いだ。
「──男爵夫人」
「嫌よ! 嫌です!」
アレクシアに呼ばれたヘルミーネは、反射的に拒否の声をあげた。
「絶対に嫌よ! 私はそんな怪しい鑑定などしませんから!」
「いいえ。あなたの鑑定は要求していません。もう結構です、男爵夫人」
「えっ?」
かたくなに検査を拒絶していたヘルミーネは、あっけに取られてアレクシアを見返した。
「あなたの血種を再鑑定するまでもない、ということです。0種の父親からAB種の子は生まれないのですから」
「は……?」
「ヴァルテン男爵とあなたの産んだご子息の間に、父子関係は認められません。男爵夫人、あなたの血の種別が四つのうちのどれであろうとも、この事実に変わりはないのです」
「ど……どういうこと……?」
血の種別というものを今日初めて聞いたばかりのヘルミーネは、四つの種別の組み合わせによる遺伝の顕れ方を、まだよく理解できていなかったようだ。
とにかく自分の血さえ再鑑定させなけば、逃げ切れると思ったらしい。
もうヘルミーネの鑑定は必要がないと聞いて、狐につままれたような顔をしている。
「ヴァルテン男爵が0種である以上、母親の血種が何であろうと子供はAB種にはなりません。あなたを再び調べずとも結論は明らかなのです、男爵夫人。──男爵とあなたのご子息は父子ではない」
そんな、とヘルミーネは頭を抱えて震撼した。
「そんな……血に種類があるなんて……信じられるはずがないわ……」
「これまで知られていなかった新しい発見であるのは事実ですが、嘘でも捏造でもありません。テュルキス王家お抱えの医師団によって研究され、正式に承認されて、安全な輸血法が民間にも普及している現状は先ほど述べた通りです」
「研究は本物でも、検査に使った薬には何かしかけがあるに決まっているわ!」
「しかけ?」
「あなたの用意した薬なのですもの! あなたに都合のいい結果が出るよう、細工が施してあるのよ!」
──あの試薬が怪しい、とヘルミーネは金切り声で叫んだ。
狙った結果が出るように、薬の中にあらかじめ色が仕込んであるのだ。
それとも医師の使ったメスの方だろうか。平たい針のような薄い断面に何らかの薬品が塗ってあって、皮膚を切った時にそれが血中に溶け込み、試薬の色を変えているのかもしれない。
あるいは王宮の侍医にさえリートベルクが裏から手を回し、懐柔して不正を行わせているのかも──。
ヘルミーネはしつこいほどに疑い、思いつく限りのトリックを声高に訴えたが、アレクシアは髪一本乱さなかった。
「いいえ、細工はありません。お疑いなら王太子殿下のご采配で改めて医師と試薬を手配いただき、再々鑑定を行いましょう」
「捏造よ! これは捏造なのよ!」
「いくらでも調べていただいてかまわない。種もしかけもない」
偽造でも捏造でもない、とアレクシアは毅然と言い切った。
適切な条件を満たせば、いつ、どこで、誰が検査を行おうとも毎回同じ結果が出るのだ──と。
「なぜなら──この世には魔法などないのだから」
もしも世界に魔力や異能があったならば、この鑑定結果は何の証拠にもならないのだろう。
ただ心で念じるだけで、試薬の色を変える魔法。
手を触れずに対象物を入れ替え、あるいは異物を混入する特殊スキル。
呪文を詠唱するだけで書類の記載を消し、検査結果を思うままに修正する超能力。
そんなものがこの世にあったなら、どんなまっとうな研究であろうと、嘘偽りのない科学的な検証だろうと、何の信用も得られない。
いくらでも結果を恣意的に改竄できる超常現象が存在したなら、このような裁判の場も、法廷における公正中立も、何も成立することはないのだ。
だが、この世界に便利な魔力はない。
都合のいいチートなスキルもない。
恋する男を一瞬で王子様に変身させてくれる、人智を越えた特別な力はどこにも存在しない。
存在しないからこそ、真実は証明された。
ただの人間が地道に手を回し、着実に拾い集めた物的証拠だけが、真相に肉薄した。
一つ一つの裏を取り、膿むことなく進んだ結果だけが、法廷において効力を持つに至ったのだ。




