第119話 血の種別(2)
「ま、待って……待ってちょうだい……!」
ヘルミーネはあることに気がついたらしい。愕然と目を剥きながら、にわかに震え出した。
「……だ、だって、あの医者は……!」
アウグストが街医者の往診を受けていると聞いた、あの日。
ヘルミーネは忽然と姿を消した息子のマティアスを心配して、屋敷中を探し回っていた。
そして疲労のせいなのか頭痛やめまいを感じて、メイドを呼びつけたのだ。
『旦那様を診た医者はまだいるの?』
しかし医師はすでに診察を終えて屋敷を去り、帰路についていた。
『奥様、お医者様はつい先ほどお帰りになったそうです』
『呼び戻しなさい!』
強引に呼び戻された医師は、億劫そうにため息を吐きながら、せわしなく男爵邸に入ってきた。
ぐったりと伏せるヘルミーネの前で、医師はいくつかの問診をしながら、せかせかと医療鞄を開けて中身を取り出した。
婦人用の気付け薬に、医療用の器具類。──そして、瀉血のための道具を。
「あ、あ、あの医者は……わ、私にも……! 瀉血の処置を……っ!」
「はい。こちらが男爵夫人から採取した血液を鑑定した結果です!」
「はぁっ!? なんて勝手なことをッ!」
ヘルミーネは激昂したが、アレクシアは涼しい顔で書類を広げた。
赤い試薬に反応は見られず、青い試薬だけが凝集していることが報告されている。
ヘルミーネの血種は「B」ということだ。
「ありえないわ! 同意もなくこんなことをッ!」
ヘルミーネは地団太を踏むものの、アレクシアは取り合わなかった。
これはヘルミーネに明かす気はない話だが──彼女が顎で使っていた新米メイドは、目当ての医師の情報を男爵家に吹き込んで、往診を依頼させただけではない。
『お茶を淹れてちょうだい』
例の医師がヴァルテン邸に滞在している最中。
ヘルミーネは鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと、そう命じた。
『はい! かしこまりました!』
あの時、メイドはヘルミーネに出した茶の中に薬を混ぜたのだ。
飲用するとめまいや倦怠感をもよおす薬だ。
効果はごく一時的なもので、毒性はなく、後遺症なども残らない。
『奥様、お待たせいたしました──』
狙い通りにヘルミーネは帰りかけていた医師を呼び止め、自分も診察するように要求した──というわけだ。
アレクシアが父のヴィクトルに相談を持ちかけた時、ヴィクトルは言っていた。
──我が家の力を使えばさほど難しい話ではないだろう、と。
『ちょうど人選には心当たりがある。あの者なら首尾よく動いてくれるはずだ』──。
父の「人選」に狂いはなかった。
彼女はいかにも田舎から出てきたばかりの垢抜けない小娘を演じながら、アレクシアの依頼をそつなくこなしてくれた。
そんな裏事情を知るよしもないヘルミーネは、すっかり怒り心頭だった。
「横暴にもほどがあるわ! 私たちの血を勝手に鑑定されていたなんてっ!」
激怒しながらも、ヘルミーネは気をしっかり持つようにと自らを鼓舞した。
(大丈夫。まだ希望はあるわ!)
アウグストとヘルミーネはまんまと血液を供出させてしまったが、マティアスはまだ調べられていない。
なぜなら医師が来ていたあの時点で、マティアスはすでに男爵邸にはいなかった。
両親にも告げずに屋敷を出奔して、辺境地帯に向かっていたのだ。
だからこの卑劣極まりない辺境伯令嬢も、マティアスの血液はまだ入手できていないはずだ。
「マティアスを鑑定することは許しません! 血を抜き取るだなんて恐ろしい! そんな野蛮なこと、私は決して許可しませんからね!」
「あいにくですが、男爵夫人」
被告席から大きく身を乗り出したヘルミーネに、アレクシアは淡々と言った。
「あなたのご子息の鑑定もすでに済んでいます」
「な……な……!」
信じがたい言葉を聞いて、ヘルミーネの頭にカッと血が上った。
「酷すぎるわ! マティアスを捕縛して、無理やり血を抜き取ったのね!」
マティアスの鑑定がもう済んでいるということは、彼の血をリートベルク側が入手したということ。
間違いなく今回の騒動で身柄を拘束された時に、血液を奪われたのだろう。
マティアスがこんな怪しい検査になど同意するはずがないから、間違いなく無断で、もしくは有無を言わさず強引に採血されたはずだ。
「誰なの!? 誰がそんな非道なことをしたの!? 傷害罪と暴行罪で訴えてやるわ!」
「猫です」
ヘルミーネは虚をつかれた顔をした。
「……猫……?」
「ええ。私の飼っている猫が、ヴァルテン男爵令息に噛みつきました」
あっさりと言ったアレクシアに、マティアスは逆上して声を荒げた。
「あれのどこが猫だ! 化け物だったぞ!」
バルーに噛まれたマティアスの腕には、まだ白い包帯が巻いてある。ほぼ癒えてはきたものの、傷跡は一生残りそうなほど深かった。
「正確には山猫ですので、少しばかり獰猛かもしれませんが。私にとっては可愛い飼い猫です」
──少しばかりなものか、とマティアスは強く拳をにぎって、机に叩き付けた。
突然爪を立てて飛びかかり、鋭い牙で嚙みついてきたあの巨大な猫は、大げさではなく異形の化け物だった。
貴族に愛玩動物として飼われる、毛並みのいい血統書付きの猫しか知らないマティアスにとっては、バルーは恐ろしい猛獣も同然に見えたのだ。
「ヴァルテン男爵令息はルカを背後から襲おうとして、私の猫に攻撃されました。血液を入手しようとの意図ではありませんでしたが、結果的にそうなったことは認めます」
バルーに噛まれたマティアスの傷は深く、牙が食い込んだ皮膚からは鮮血があふれて止まらなかった。
失血死することのないよう、捕縛後にリートベルクの医師に命じて手当てはしてやったが、その際に鑑定のための血液を少量、採取することはたやすかった。
「ご覧ください。こちらがヴァルテン男爵令息の血の種別です」
大法廷があたかも地震に見舞われたかのごとく揺れる。
傍聴人たちがなだれを打つように前方へと詰めかけ、アレクシアの掲げる書類に見入った。
図を読み解けば、赤の試薬と青の試薬、両方ともに凝集していることが確認できる。
マティアスの血種は「AB」ということだ。
アレクシアはここまでの流れを総括するように、判事や傍聴人たち、そして立会人である王太子エドガーに向けてきっぱりと言い渡した。
「ヴァルテン男爵は0種、男爵夫人はB種、男爵令息はAB種。この結果からはっきりと断言できます。令息は男爵の子ではありません」
いつも読んでいただきありがとうございます!
現実にはボンベイO型やシスAB型など、実の親子でもまれに血液型が矛盾することがありますが、今回の話には当てはまらないと思ってください。ご都合設定すみません!




