第118話 血の種別
傍聴人たちが一斉にざわめき出す。
「四種類!? 人間の血がか?」
「国籍や人種、性別に関係なく四種類なのか? 本当に?」
アレクシアは静かに論文を掲げた。
「研究に携わったテュルキス王国の医師たちは、すでに自国民のうち五桁にのぼる人間の血液を採取して種別を鑑定しています」
その上で、誰しもが分類した四種のいずれかに、必ず該当すると結論付けている。
調査対象はテュルキス王国に戸籍を持つ民たちだが、中にはペルレス王国やグルナート王国から帰化した者もいるし、混血の人間も多く含まれている。人種や国籍は関係がないと考えていいだろう。
「人間の血に種別があるなど、考えたこともなかったな……」
傍聴席の最前列に座った紳士が、感心したように言った。
血はみな赤いのだから、見た目や色などで判別することはできない。それなのに、人によって型が異なるというのだから不思議な話だ。
大法廷は騒然となり、渦のようなざわめきはますます大きくなった。
「つまり、これまでに起きた輸血後の死亡事故は、血の不適合によるものだということか?」
「同じ血種間での輸血であれば、適合する……?」
異なる抗体を持つ血種を体内に入れてしまうと、体は拒否反応を起こす。
血液の量は足りているにも関わらず、患者は死に至る。
逆にきちんと血の種別を調べてから、適合する人間どうしで行えば輸血は成功する。
血液の凝固反応は起こらず、患者は失血状態から回復することができる。
アレクシアは凛とした声を大法廷に響かせた。
「──研究中の段階では、四つの血種はそれぞれA・B・C・Dと呼ばれていました」
便宜上、Aと名付けた抗原を持つ「A種」
同じくBと名付けた抗原を持つ「B種」
AとB両方の抗原を持つ「C種」
どちらの抗原も持たない「D種」
以上の四種であるが、これらは正式に学会に論文を発表するにあたって、名称を改めた。
C種はAとBどちらの抗原もあるという特徴から、AB種に。
D種はどちらの抗原もないという特徴から、ゼロを意味する0種に、それぞれ正式名が定められた。
A、B、AB、そして0。
この四つの血の種別こそこれまで知られていなかった──この度新たに発見された、画期的な事実なのだ。
「この発見により、テュルキス王国内での輸血事故は激減しました。血液の鑑定を経てから実施した輸血で、死亡事例は一件も起きていません」
「すごいな……!」
傍聴人たちは顔を見合わせてどよめいた。
「さすがは大国テュルキスだ……!」
「血の種別という言葉は初めて聞いたが、テュルキス国内ですでに浸透しているというのなら、信頼できる情報なのではないか?」
ざわざわと話しあう声をかき消すように、ヘルミーネが怒り心頭で叫んだ。
「それが何だというのです! 輸血なんて話、今は関係がないでしょう!」
「この血種の違いが重要なのです。四種類の血は、すべてが均等な比率だけ存在するわけではありません。人数には偏りがあるのです。人が四つのうちどの種別を受け継ぐかは、両親からの遺伝によって決まるためです」
血は受け継がれる。四つの種別は無作為には決まらない。
子が親に似るように、血種も親の影響を大きく受けるのだ。
アレクシアは四種類の血種がどのように親から子へと遺伝するかを、端的に説明した。
「──このように、両親の血の組み合わせによって子の種別も決まります。では、その血種を鑑定する方法ですが……」
言って、アレクシアは検査用の道具を提出した。
小さなガラス製の器の中に、赤い色をした丸薬と、青い色をした丸薬がそれぞれ納まっている。
「もちろん我々が開発したものではありません。テュルキス王国より正規のルートを使って入手した、本物の試薬です」
血の種別は簡単にかいつまんで説明すると、血液の中に含まれた抗体の種類によって識別される。
二種類の試薬に血清を混合し、凝集反応が出るか否かによって判定されるのだ。
赤の試薬が凝集し、青の試薬に反応が見られなければ、A種。
青の試薬が凝集し、赤の試薬に反応が見られなければ、B種。
赤と青、両方の試薬が反応すれば、AB種であると判定される。
「ルカ」
「はい」
アレクシアに呼ばれたルカは堂々と前に進み出ると、さっと書類を掲げた。
「前もって、僕の血液を調べていただきました。その鑑定結果です」
おおっ、と傍聴人たちは沸いた。わらわらと立ち上がって、掲げられた書類に見入る。
「これは……?」
「どちらの試薬にも反応していない?」
「どういうことだ? 失敗か?」
掲載されている図には、赤と青の試薬ともに凝集反応なし。
一見して鑑定ミスかと思われるような結果だが、検査はきちんと行われ、終了していることが記されている。
人々は首をひねった。
「"0"です。試薬に反応が見られないということは、AとBどちらの抗原も持たないということ。そのため、ゼロを意味する0種と呼ばれるのです」
アレクシアは説明し、続けて別の書類を取り出した。
「そしてこちらが、ヴァルテン男爵の血液を鑑定した結果です」
「ええぇっ!?」
ヘルミーネが裏返った声をあげた。
アウグストも目を白黒させて驚いている。
「わ、私の……?」
示された書類に綴られているのは、ルカのものと同じく、赤青ともに凝集は見られないという検査結果。
「男爵の血種も0。ルカと一緒です。この結果だけで断定できるわけではありませんが、少なくとも男爵とルカの父子関係に矛盾は生じません。外見上の相似も含めればなおのこと、ルカは男爵の実子であると推定されます」
「ど、どうしてそんなものが?! いつのまに……!?」
ヘルミーネは両手で口を押さえて、わなわなと狼狽した。
アレクシアは涼しい顔でアウグストを見すえる。
「男爵は長年、お抱えの医師の診察を受けていらっしゃいましたが、治療の効果がかんばしくないのか、最近になって医師を変えられましたね。王都でも名医と評判の医者に」
「は、はい。なぜそれを……?」
アウグストは長年ヴァルテン家の主治医にかかっていたが、気鬱の症状は重くなるばかりで良くなるきざしがなかった。
そんな時、王都に腕のいい医者がいると聞きつけて、男爵邸に往診に来てくれるようにと依頼したのだ。
あの日もそうだった。
ヘルミーネがマティアスの謹慎処分について、当主であるアウグストから抗議してほしいと望み、もう一度夫と話そうとした時。
『旦那様にお話があるのだけれど。この後、執務室に行くと伝えてちょうだい』
ヘルミーネはそう命じたが、男爵家で雇ったばかりの冴えない新人メイドは、太い三つ編みを揺らしながら答えた。
『旦那様は今、お医者様の診察をお受けになっていらっしゃいます』
『医者? また? あんな治療……意味があるのかしら……』
アウグストの不調は身体的な疾患が原因ではなく、精神的なものだ。
だから治療といっても、できることは限られていた。
せいぜい脈を取ったり、問診をしたり、《《瀉血をしたり》》といった程度の──。
「……瀉血……?」
瀉血は昔ながらの治癒法だ。意図的に皮膚を傷つけ、よどんだ血を抜くことで病状を改善させる効果があると言われている。
医学的な根拠はないという批判もあるが、未だに国内外で広く行われている、ごく一般的な治療法でもある。
アウグストを診察した医師が、瀉血という名目で血液を抜き、採取した血を鑑定のために横流しした──そういうことなのか。
ヘルミーネは悲鳴のように叫んだ。
「まさか! あれは偽の医者だったの!?」
「本物の医者です。名医との評判も本当です。前もって我が家が手を回したのは事実ですが」
"目的を達成したいのなら使える者は使え"との父ヴィクトルの教えに従って、アレクシアはリートベルク家の息のかかった間者を、新人メイドとしてヴァルテン家に送り込んだ。
ヴァルテン家では日に日に悪化するヘルミーネの癇癪に耐えかねて、次々と使用人が入れ替わっていたから、身元を証明する書類さえきちんと用意すれば、屋敷の内部にもぐりこむことは造作もなかった。
そして男爵邸で働いていれば、嫌でも当主のアウグストが心身の不調に悩まされていることは話題にあがる。かかりつけの医師ではどうにも快復させられずにいることも、だ。
──王都に評判の良い医師がいると聞きます。
メイドに扮した間者は、さも心配そうに装いながら、目当ての医師の名と所在を告げるだけでよかった。
──旦那様も診ていただいたらいいかもしれません。
彼女がそうささやくだけで、あとは家令や執事が自ら動き、医師を招いてアウグストにつなげてくれた。




