第117話 異議
「お待ちください」
毅然と割って入った声がある。アレクシアだ。
「マティアス・アウグスト・ヴァルテンの爵位相続に異議を唱えます。彼にヴァルテン男爵位を継ぐ資格はありません」
「無礼ですわ! リートベルク辺境伯令嬢!」
ヘルミーネはすかさず怒鳴った。
──マティアスに爵位を継ぐ資格がないとは、いったいどういう意味だ。
まさかルカが長男なのだから、継承順位が上回るとでも言い出すつもりか。
それとも罪を犯したマティアスは廃嫡にすべきだなどと、ふざけたことを主張するつもりなのか。
冗談ではない。正統な後継者はマティアスだけだ。庶子のルカに譲ることだけは絶対に認めない。
マティアスが今回の事件に関与していたという容疑だって、断固として認める気はない──!
そう息巻いて、ヘルミーネは強くはねつけた。
「我が家の後継者のことは我が家だけの問題です! いくらあなたが上位貴族であろうと、口を出されるいわれはありませんわ!」
「いいえ。聞いていただきたい」
拒絶されても、アレクシアは一歩も退かなかった。
アレクシアが持ち出した話は、長男であるルカが年功序列で優位だという主張ではなかった。
この裁判の争点となっている、先日の襲撃事件の容疑ですらなかった。
それよりももっと前の話──アレクシアがマティアスやアウグストやヘルミーネに初めて会った、あの王宮のパーティーの日のことだった。
「今年の建国記念パーティーが行われた日のことです。私は男爵夫人より招待を受け、ヴァルテン家にうかがいました。そこで男爵夫妻と晩餐をご一緒して、感じたことがあるのです。男爵は父親だけあってやはりルカと似ている──と」
初めて出会ったヴァルテン男爵アウグストは、積年の疲労が色濃くにじみ、面やつれた陰鬱な雰囲気をただよわせてはいたが、それでも顔かたちはどことなくルカと似通っていた。
『男爵はやはり父親だけあって、ルカと顔立ちが似ているな……』
それが初対面のアウグストに対して、アレクシアが率直に抱いた感想だった。
「そんなの当たり前のことでしょう。ルカは夫の庶子なのですから!」
ヘルミーネはかぶりを振った。
夫の子、ではなく、夫の庶子、とわざわざ言うあたりに長年染みついた差別意識がありありとにじみ出ている。
アレクシアはかまわずに続けた。
「男爵夫人。私はその前に、王宮のパーティーであなたのご子息に声をかけられました。彼の愚にもつかない話を長々と聞かされたのです。そのくだらない話の内容はさておき……その時、思ったことがありました。この男はルカとまったく似ていない──と」
あのパーティーの日。互いに婚約者を同伴する身でありながら、ぺらぺらとアレクシアを褒めそやし、ルカを悪しざまに貶めるマティアスを見て、ふと疑問に駆られたのだ。
──こんな軽佻浮薄な男が本当にルカの弟なのか?
ルカの人柄から異母弟もきっと誠実な人物なのだろうと想像していたのに、悪い意味で予想とは違った。
見た目といい、中身といい、この男はルカには少しも似ていない。
「男爵とルカは似ている。だが弟はルカと似ていないし、男爵とさえ似ていない」
「ひどい侮辱ですわ!」
腹に据えかねた様子で、ヘルミーネが机を叩く。
彼女が怒るのも無理はない。アウグストとマティアスが似ていないという指摘は、そのままヘルミーネの不義を示唆することにつながるのだから。
「いくら格上の辺境伯家といえど、こんな誹謗中傷が許されるとでも思っているの!? 私の名誉のためにも、断固として抗議いたしますわ!」
「男爵夫人がご不快に思われることは承知しております。しかし、ことはヴァルテン家の存続にも関わる問題。夫人の顔色をうかがって疑惑を封殺することはできません」
「双方、落ち着くように」
加熱する言い争いをなだめるように、片手を挙げて制したのは王太子エドガーだった。
「リートベルク辺境伯令嬢は先ほど、冗談や酔狂で訴訟を起こしたのではないと言った。ならばヴァルテン男爵と男爵令息が似ていないとの指摘も、冗談や酔狂で言い出した中傷ではないのではないか?」
「その通りです。王太子殿下」
「しかし、令息が真に男爵の子かを疑うかのような発言は、礼を欠く行為と取られても仕方がない。それとも何か、疑惑を検証する手段でもあるのか?」
「はい、あります」
アレクシアはきっぱりと言い切って、持参した紙の束を壇上に広げた。
書類には見慣れない図や数字が散っている。
これは何かと傍聴人たちはざわめき、続々と立ち上がって前方をのぞきこんだ。
「何なの、これは!?」
「“血の種別”です」
「は……? 血……?」
なじみのない言葉に、ヘルミーネは怪訝そうな顔をした。
「先日テュルキス王国で発表されたばかりの最新の研究です。失血死を防ぐための輸血法を模索する過程において発見されました」
「輸血……ですって?」
「はい。輸血という医療行為の名前くらいは聞いたことのある方も多いかと思います。出血多量の患者に対して、他者の血で補うことで回復させる方法ですが、これは誰の血でもいいというわけではありません。患者に適合する血液でなくてはならないのです」
輸血という発想そのものは過去にもあったものの、成功率の低さゆえにこれまでは広く普及することがなかった。
患者に適合しない血液を投与してしまうと、ただ体に合わないだけではなく重篤な副作用が起き、最悪の場合、死にさえ至るのだ。
なぜ輸血した際に拒否反応が出る場合と、出ない場合があるのか。
もしや、人間の血はみな同じ《《ではない》》のではないか──?
そう悩んだ医師たちは、他人どうしの血が混ざった時に、しばしば血が凝集する事実に着目した。
それも偶発的ではなく、どうにも規則性がある。
血液が適合する場合と、適合しない場合の違いはいったい何なのか。
この謎を解明すべく、大国テュルキスの支援を受けて研究にまい進した医師たちは、意図的に他人どうしの血液を混ぜて攪拌させた。
その結果、凝集反応が起こるケースと起こらないケースには、一定の法則性が存在することを導き出したのだ。
人間の血はすべて同じではない。複数の種類があり、組み合わせによって凝固の反応が起こりえる。
この発見が、停滞していた輸血技術の見直しと改善を促進させることになったのだ。
テュルキス王国の医師団は途方もない数の実験と検証をくり返し、ついに新たな真実にたどりついた。
人間は誰でも体内に赤い血が流れているが、この血は四つの種別に分類することができるということ。
人は生まれながらにして、四種類のうちいずれか一つの血種を必ず持ち、それは生涯変わることはないのだということを──。




