第116話 一番の解決策
アレクシアは訴状を手に取った。
「……話を戻します。男爵夫人。今後は感情的な攻撃は控えていただきたい」
この書面には事件当日のマティアスの言動、騎士や看守ら目撃者の証言、収容所の受けた被害の一部始終が、微に入り細を穿って記されている。
座席を撤去して保管庫を乗せたヴァルテン家の馬車は今もリートベルク家に保管されているし、マティアスがグルナート王国から爆薬を密輸したルートもすでに調べあげ、裏を取って詳細に記してある。
それだけの証拠をつぶさに並べた書面を突きつけられていながら、ヘルミーネがこうも強気に否認できる神経が理解できない。
敵の訴状など信用していないのだろうが、いくら被告が無視しようとも、判事や事務官はこの書面を読み込んでから法廷に臨んでいることがわからないのだろうか。
「男爵夫人は賠償金が目当ての告訴だろうとおっしゃいました。私はもちろん収容所の再建や修繕、怪我人の治療や領民への補償に必要な賠償金は請求したいと思っています。強請り集りではなく、正当な権利としてですが」
アレクシアは冷静に述べながら、マティアスを直視した。
「しかしそれ以上に肝要だと思っているのは、男爵令息が金以外の方法で、どのようにこの罪を償うのかということです」
「金以外の方法で……? 罪を……?」
「男爵夫人にもお聞きしたい。賠償金を支払うだけではなく、令息の犯した罪をどう受け止め、どのように謝意を示し、何をもって更正したと主張するつもりなのかを」
ヘルミーネの顔が引きつった。
「まさか牢獄に入れとでも言うの!? この子に収容所に服役しろとでも?」
「何がまさかですか。当然でしょう」
「当然なわけがないわ! マティアスは貴族なのよ!」
「貴族であろうと平民であろうと、罪があれば罰を受けるのは当然のこと。法に照らし、判事が相当と定めた期間、刑事施設での懲役が科されることを要求します。むしろ極刑を求めないことに感謝していただきたいくらいです」
「なんて酷い……血も涙もないことを……!」
青筋を浮かべて、ヘルミーネはわなないた。
──マティアスを投獄するつもりだなんて、この女は悪魔だ。
恐ろしい凶悪犯たちが巣食うリートベルクの監獄などに送られたら、マティアスはいったいどんな目に遭わされことか。
この野蛮な女になぶられ、痛めつけられ、命さえ奪われてしまうのではないか──。
恐ろしい想像に、ヘルミーネはがくがくと震える。
「嫌です! そんな非人道的なこと認めないわ! この子をリートベルクになんて絶対に渡しませんから!」
「懲役は求刑しますが、我が領で引き受ける気はありません。はっきり申し上げればお断りです。過去の判例を見ても、容疑者は事件を起こした領地以外の場所に収容されています」
マティアスは刑期を務めあげて騎士に登用されるほどの根性もなさそうだし、何より顔も見たくない──とアレクシアは冷たい目で見下ろす。
有罪が確定し、収監が正式に決定したとしても、リートベルクで受け入れる気は毛頭なかった。
そもそもリートベルクの監獄は当のマティアスのせいで大破しているのだ。再建が完了するまで、当面の間は囚人を収容することができない。
「服役を拒否すること自体が言語道断ですが、ならばいったい何をもって償うつもりなのですか?」
「ありますわ! 一番の解決策が!」
小鼻をふくらませて、ヘルミーネは得意げに言い切った。
「マティアスが爵位を継げばいいのです! この子が新たなヴァルテン男爵となればいいのですわ!」
「……は?」
──どうしてそうなる、と全員の顔に書いてある。
つい先ほど、マティアスはルカとたった二人きりの兄弟だと言ったばかりではないか。
そのたった一人の兄を無視して、なぜここでマティアスの爵位継承を主張するのか。
マティアス自身も「謹慎を破って辺境まで会いに行くほどこよなく慕う兄」に譲る気は一切ないらしい。兄を立てる様子など微塵もなく、母親の発言にうなずいている。
「男爵夫人は何を言っているんだ……?」
「令息が犯した罪の重さを理解していないのか……?」
「いや、一貫して事件の関与を否定しているのだから……あくまでも無罪で放免されるという前提なのか?」
傍聴人たちも困惑している。
そもそも罪状を鑑みれば、マティアスは極刑に処されてもおかしくない身の上なのだ。
本人のみならず男爵家も責任を問われて存続が危ぶまれる瀬戸際だというのに、爵位を継ぐだの、男爵になればいいだの、楽観的にもほどがある。
いくら息子の無実を押し通す気しかないとはいえ、あまりにも常識から外れたヘルミーネの主張に、法廷は気まずく静まり返った。
誰もが二の句を継げずにいる中、先を促したのは王太子エドガーだった。
「ヴァルテン男爵夫人。どうしてそのような結論になるのか、教えてはもらえないか」
「はい、王太子殿下」
ヘルミーネは自信たっぷりに胸を張った。
「まず、マティアスは事件には無関係だと念を押して主張しますわ。とはいえ、誤解を招く行動があったのも事実。ですから解決のために金銭を払うと言っているのです」
息子をかばうように前に進み出て、ヘルミーネはぺらぺらと語った。
「マティアスに過失があったとするなら、謹慎は明けたと早とちりしたことと、誤認逮捕を生むような軽率な行動を取ってしまったことです。そしてそれは令息という気楽な立場ゆえですわ」
「令息という立場が過失を招く? 胡乱な主張だが……」
エドガーが首をひねる。
「仮にそうだとして、爵位を継げば問題が解決するのか?」
「ええ、そうです! 地位が人を作る、と言うではありませんか。当主という地位に就けば、自ずと責任感も生まれます。爵位という重石があれば、マティアスも二度と軽はずみな真似をすることもないでしょう。重責を担った自覚から、自分の行動を律することもできるようになるはずです!」
無理のある理屈に、判事さえ汗を浮かべた。
ヘルミーネは地位を与えれば責任感が芽生え、人間的に成長すると主張しているが、実際は逆だろう。
先に人として成熟してから、ふさわしい立場が与えられるのが順序というものではないのか。
「この子も二十歳。爵位を得るのに決して早すぎることはありませんわ。どのみち次のヴァルテン男爵になるのはマティアスしかいないのですもの。早いか遅いかの違いだけです!」
エドガーは返す言葉を見失い、かわりに端正な額を押さえて長い息を吐いた。
異母弟であるリュディガーも眉目秀麗な青年だが、エドガーも華のある容姿の持ち主だ。瞳は兄弟そろって新緑の色だが、これは王子たちの父である国王と同じ色である。
「──ヴァルテン男爵はいかがか」
エドガーは黙り込んでいるアウグストに水を向けた。
エドガーは立会人として臨席しているが、判事ではない。法廷において当事者に命令する権限は持たず、ましてや判決を恣意的に左右することはできない。
あくまでも双方の言い分を公平に聞き取り、時に勧告的な意見を述べるのみである。
「ヴァルテン男爵夫人は令息が爵位を継承することを望んでいる。それは同時にあなたが令息に爵位を譲り、当主の座を引退するということでもある。男爵自身はどう考えているのか?」
「私は……」
エドガーに問われて、これまで背後霊のように存在感のなかったアウグストがようやく口を開いた。
「多大なご迷惑をおかけしたリートベルク辺境伯家と領民の方々には、大変心苦しく思っております。このような事態を招いたのはひとえに、当主である私の不徳のいたすところ。かくなる上は責任を取って当主の座を退きたいと思っております。それが罪滅ぼしになるのであれば、ですが……」
「罪滅ぼしになるかはわからんがな……」
エドガーは腕を組んで、首をひねった。
男爵位を降りることが当主として責任を取ることになるかはさておき、アウグストにはすでに引退の心づもりがあるようだった。
アウグストに当主の座を譲れと要求したのは間違いなくヘルミーネだろうが、アウグスト自身ももはや爵位を退くことに抵抗はないらしい。
我の強い妻との結婚生活に疲弊し、跡継ぎ息子の起こした不祥事にすっかり気が滅入っている様子のアウグストは、いっそ隠居生活に入ることを望んでいるように見受けられた。
現当主と次期当主が双方とも同意しているのであれば、世代交代はその家の自由だ。
マティアスが正式にヴァルテン男爵になれば、彼の采配で動かすことのできる金額も一気にはね上がる。
その財力を惜しみなく使って、懲役刑を罰金刑で済ませようという腹なのだろう。




