第109話 父への報告
いよいよたどり着いた、辺境伯の執務室にて。
山積みの書類を苦い顔で睨んでいたヴィクトルは、出歩けるまでに回復したルカの姿を見て口角を上げた。
「おお、ルカ君。もう体は大丈夫なのか? まだ無理はせずにゆっくりし……ん?」
ヴィクトルが上げた口角をすっと下げて、怪訝そうな表情を作ったのは、ルカが一人ではなかったからだ。
彼のとなりには娘のアレクシアがいて、さらに後ろからはブリギッタにマリー、エミールにリリーまでがぞろぞろと続いて入ってくる。
「……なんだ? みんなそろってどうした?」
「だんなさま!」
口火を切ったのは、その場で最年少のリリーだった。
リリーはヴィクトルの足元にとてとてと寄っていくと、無邪気に両手を上げ、元気いっぱいに報告した。
「あのね、だんなさま! おじょうさまとルカおにいちゃん、なかよしなの!」
もともと強面だったヴィクトルの顔が、今までで最もしかつめらしく凍った。
騎士たちの言うところの「泣く子ももっと号泣する恐ろしい風貌」そのものだ。
「……そういうことか……」
要件を察したヴィクトルは、大きな手で額を押さえた。
「辺境伯。アレクシア様を生涯愛し、敬い、大切にすると誓います。どうか僕との結婚をお許しください」
「お父様、私も同じ気持ちです」
ルカが進み出てはっきりとヴィクトルに告げ、アレクシアも言葉を添える。
「お父様に認めていただけるなら、ルカには正式にリートベルク家の籍に入ってもらいたいと願っています」
「……」
長い沈黙が流れた。
「旦那様?」
「…………」
いつまでも終わらない静寂に業を煮やして、ブリギッタが先を促した。
だが、返答はない。
「旦那様? 聞こえておられますか?」
「……待って……待ってくれ……」
しびれを切らしたブリギッタに急かされて、ヴィクトルは大きな両手で顔をおおった。
娘が結婚の許しを得にきたこの状況を、すぐには受け止めきれないらしい。
心の準備なんてできていないし、できる気配は一向にない。
「旦那様、しっかりなさってください。不敗の猛将の名が泣きますよ」
「……まってぇ……むりぃ……」
半泣きになるヴィクトルの抱えた頭の中では、アレクシアが生まれた日のことが高速かつ鮮明に駆けめぐっていた。
出産という大任を終えた妻ルイーゼは、どんなに疲弊に面やつれしていても、女神かと思うほどにまぶしくて美しかった。
母になったばかりのルイーゼが、愛おしそうに我が子を抱き寄せる。
ヴィクトルに似た黒髪をした嬰児が、はじめて開けた二つの瞳は、ルイーゼに似た青の色だった。
生まれたのが女の子だと知った時から。そして妻と娘──この世で最も大切な二人が寄り添うのを見た瞬間から、ヴィクトルは己の心に固く決めた誓いがある。
──娘に近づく男はすべて駆逐しよう。
娘に寄ってくる悪い虫は一匹残らず、この手で殲滅しよう──。
「……」
初心を思い出したヴィクトルは迷いを振り切ったように、おもむろに立ち上がった。
「……私はな、ルカ君」
ヴィクトルの岩のように大きな拳が、ずしりとした重量を伴ってルカの肩に置かれた。
鋼鉄のように硬くて、鋼鉄よりもはるかに重たい、鈍器以上に鈍器な拳だ。
顔も威厳を取り戻し、みなぎる覇気が背景に浮かんで見えるほど傲然と苦みばしっていた。とてもたった今「むりぃ……」とうめいていた男と同一人物とは思えない。
「私はいつか、娘をくれとほざく男が現れたら、この手でひねり潰そうと心に決めていた」
「はい」
物騒なことを言い出したヴィクトルを、ルカは視線をそらさずにじっと見上げた。
ヴィクトルの巨大な手がみしみしと軋みながら、肩に食い込んでいく。
骨が砕けて肉が飛び散りそうな握力だったが、ルカは顔色ひとつ変えず、身動きひとつしなかった。
「私からアレクシアを奪っていく男など、叩き潰して八つ裂きにして串刺しにして斬り落とした首を城壁から吊るそうと思っていた」
「そう思われるのは当然です」
「旦那様、怖いことをおっしゃらないでください。ルカ様は同意なさらないでください」
ヴィクトルが真面目に言い、ルカも大真面目にうなずき、ブリギッタが冷静にさとす。
「だが……わかった気がする。君はアレクシアを物のようにくれなどと言ったりはしないし、私から娘を奪ったりもしない」
のしかかっていた圧力が、ふっと消えた。
ヴィクトルの顔面を走る大きな古傷が、柔らかな笑みの形に歪む。
「結婚で、娘を失うわけではない。息子が増えるのだな」
「辺境伯うぅぅぅ!!」
「ルカくうぅぅん!!」
二人はがしっと抱き合った。
ルカの身体はヴィクトルの堂々たる巨体に丸ごと覆われ、ヴィクトルの筋肉質の腕はありったけの力でルカを包んでいる。
父とルカが熱烈な抱擁をかわすのを見守りながら、アレクシアは軽口を叩いた。
「もうお父様とルカが婚約すればいいのではないか?」




