第108話 問題ない
ルカが目覚めたことを聞いて、人々は安堵に沸いた。
部屋に駆け込んできたエミールとリリーは、ルカと抱き合って嬉し泣きした。
続いて部屋になだれ込んできたユリウスとクラウスとマリウスは、ルカを押しつぶさんばかりに抱きしめて泣いた。
三人とも子供よりわんわん号泣して止まらないので、騎士団長のニコラウスがげんこつ三連発をお見舞いして黙らせた。
主厨長のハンスのふくよかだった頬はこの数日ですっかりこけてしまっていたが、ルカと再会してようやく食べ物が喉を通るようになったらしい。
厨房内にもみるみる活気が戻り「栄養満点のご飯を作りますね!」と料理人たちははりきっている。
熱烈な再会がひととおり終わり、大事を取って休むこと数日。
医師からついに、もう出歩いていいとのお墨付きをもらってから。
身支度を整えたルカは、アレクシアを振り返った。
焦がれに焦がれ続けた片想いがようやく彼女に届いたことは、まだ誰にも言っていない。
というか、自分でもまだ信じきれていない。
夢の中にいるみたいで、ふわふわして、そわそわして、現実味がなかった。
やはり全部自分の見た夢だったらどうしよう――と何度も疑ったが、幸いなことに夢ではないらしい。
よかった。妄想の可能性が大いにあったから、妄想でなくて本当によかった。
「本当にどこも後遺症はないのだな」
「はい。大丈夫です」
そう答えつつも、煙幕を吸い込んで痛めた肺はまだ重たいし、喉も嗄れている。身体のあちこちに鈍痛が残っているし、頭や腕の包帯もまだ取れてはいない。
だが、その程度だ。
大怪我というほどの負傷ではないし、四肢も指先も神経を失ってはいない。ちゃんと動けて、自分の力で歩けて、齟齬なく会話もできている。
おそらく、目が覚めた時アレクシアがそばにいてくれたのが良かったのだと思う。
彼女の姿を見て、声を聴いて、最高に嬉しい言葉さえも受け取れたことは、どんな手厚い最先端の治療を受けるよりもはるかに効果があった。
おかげで驚異的な速さで体が回復したのだと思うし、目立った後遺症も残らず復活することができたのだと信じている。
彼女が微笑んでくれるだけで全細胞が活性化するし、少し照れたように恥じらう表情は生きて腸に届く。
アレクシアには感謝しかない。改めてルカは彼女の偉大さを思い知った。
「良かった……」
アレクシアは過保護なほどにルカの無事を確認してから、彼の手に己の手を重ねて、そっと笑みを向けた。
「本当に良かった……ルカ」
触れた手と、注がれる目線があたたかい。
あたたかくて熱くて、ルカは体温が急上昇せずにはいられなかった。
「──っ……!」
今すぐ溶けて液体と化すか、蒸発して気体と化すかしてしまいそうだ。
せめて人としてセーフな形状を保ちたい。保ちたいのだが、正直厳しい。
ルカにとってアレクシアは完璧な光。何よりもまぶしく輝く太陽そのものだ。
その太陽に見つめられて、蕩けずにいられるはずがないのだから。
(心臓が……もたない……!)
飛びそうな理性を総動員して、必死に耐える。
とにかく本当に夢でも幻でも錯覚でも妄想でも空想の産物でもないらしい──と何度目とも知れない確認を経て、想いの通じた幸福をようやく噛みしめた。
この幸せが現実で間違いないのならば、次の段階は周囲への報告だ。
いつどうやってみんなに伝えるべきかと、考えをめぐらせる。
「まずは辺境伯にきちんとお願いに行きたいです」
「そうだな」
実家のヴァルテン家からはほぼ勘当されているも同然だから、何の許可も求める気はない。
しかしアレクシアの父であるヴィクトルの許しは、何をおいても必要不可欠である。
ヴィクトルもアレクシアもここ数日はずっと、マティアスが起こした事件の後処理やそれに付随する煩雑な手続きに追われている。
加えてヴィクトルは騎士団の駐屯地に退避させた囚人たちの動向にも目を光らせており、休む暇もなく城と騎士団とを往復していた。今の時間は執務室に缶詰めになっているはずだ。
まずは彼の元を訪ねて、きちんと報告と相談をしようということで合意する。
二人は手をつないで、客室をあとにした。
ルカがこの部屋を出るのは数日ぶりのことだ。
まずはヴィクトルのいる執務室に行こうとしたのだが、何気なく廊下を曲がった先で、彼に会うよりも先に別の者たちに出会ってしまった。
「お嬢様!」
「おにいちゃん!」
「きゃぁぁぁぁ!!」
最初がエミール、次がリリー、最後の声にならない悲鳴が二人の母のマリーである。
マリーが悲鳴をあげた理由は他でもない。
出会い頭に目にした二人が、手をつないでいるからだ。
しかもお互いの指を絡めるような親密なつなぎ方。支えて歩くためではないことは明らかだ。
「あぁぁ……ついに!」
おっとりしているのに恋愛話には勘の鋭いマリーは、二人のかつてないほど近すぎる距離に、たった一目ですべてを悟ったらしい。
「おめでとうございます、お二人とも!」
以前から後押ししていたルカの恋がついに実ったことに、マリーは手放しで喜んでいた。
感極まったマリーがエプロンでそっと目元を拭うと、彼女のとなりにいた小柄な老婆が、じろりとルカを見上げた。
「……ようございました」
「ブリギッタさん……」
簡素な祝いの言葉を述べてから、ブリギッタは視線をアレクシアに移した。
亡き女主人の分までと、ブリギッタが手塩にかけて育ててきた大切な令嬢。
「お嬢様がお決めになったのなら、ばあやは何も申しません」
「ありがとう。ブリギッタが認めてくれて嬉しい」
「べ、別に認めたとは言っていませんからね!」
ぷいっとそっぽを向いたブリギッタの横から、エミールがちょこんと顔を出した。無邪気な目をわくわくと輝かせて、アレクシアに質問する。
「お嬢さま、ルカお兄ちゃんと結婚するんですか?」
「ああ。そのつもりだ」
「やったー! 僕うれしい!」
「リリーも!」
エミールとリリーはぴょんぴょんと飛び上がって喜ぶ。
「お兄ちゃん、本当によかったね! おめでとう!」
「よかったねぇ! おめでとう!」
「エミール~! リリー!」
飛びついてくるエミールとリリーを二人同時に抱きしめると、二人はきゃっきゃっと喜んでルカを揉みくちゃにしてくれた。
マリーは張り切って、メイド服の袖をまくりあげる。
「すぐに婚約の手続きを進めましょう。まずは旦那様への報告からですわね!」
――そのことですが、とルカは不安そうに顔を曇らせた。
「辺境伯は大変お優しい方ですが……国中の貴族で最も身分の低い僕との結婚をお許しになるでしょうか?」
「大変お優しいか?」
アレクシアは首をかしげた。
父はあれでもひとたび戦場に出れば千軍万馬の強さで敵勢を圧倒し、鬼とさえ畏怖された猛将なのだが。
ルカの目には世辞ではなく優しいと映っているらしい。どうしてこうなった。
「別に大丈夫だろう。お父様も我が家よりずっと上位の家からお母様を迎えたからな」
アレクシアの両親の結婚も、男側の方が地位が低いという点では同じだ。母のルイーゼは名門として名高いオステンブルク公爵家の出身だったからだ。
オステンブルク公爵家は筆頭公爵であるノルデンブルク公爵家に次いで序列が高く、歴史も古い。ペルレス王国に名だたる大貴族と言っていい高位の家柄だ。
「でも、それは……格上の家との縁談は歓迎されて当然ですが……」
公爵家と辺境伯家の婚姻と、男爵家と辺境伯家の婚姻はまったく違う。
前者はリートベルクにとって名誉だが、後者はリートベルクの格を下げかねない。
ルカが恐縮していると、ブリギッタが淡々と言った。
「お嬢様のおっしゃるとおりです。夫の家が妻の家より格下であっても、旦那様は何もおっしゃったりしませんよ。ご自分も通った道ですから」
「そ、そうでしょうか?」
引け目を感じずにはいられないが、辺境伯家側が諾と言ってくれるのならルカの方としては異論があるはずもない。ありがたい限りだ。
「申し訳ありません。僕が何も持っていないせいで……」
ルカは無位無官だ。富も、地位も、尊い血筋も何も持っていない。
今さら気に病んだところでどうすることもできないのだが、どうしても気が引けるのは事実だ。
「問題ない。私が全部持っている」
アレクシアはさらりと言った。
地位も財産も、公爵家に連なる高貴な血統も、約束された未来の爵位まで、アレクシアがすべて持っている。
「だから、ルカは身一つで来てくれればいい」
これはルカに付随する家柄や格式を求めての結婚ではない。
彼はただその内面と人格さえあればいい。他には何もいらない。
(やだ……カッコいい……!)
男前すぎる発言に、ルカは全身で悶えた。




