第102話 後処理
リートベルク監獄の崩壊から逃れた受刑者たちは、城の北側に建つ騎士団の駐屯地に集められていた。
使われていなかった兵舎をすべて開放し、囚人たちを全員収容する。その後は騎士らが総動員で内外をぐるりと取り巻き、交代で不寝番を務めていた。
幸いにも受刑者たちの中にやみくもに逃亡を図ろうとする者や、逸って危険な行動に出ようとする者はいなかった。
とはいえ、囚人は囚人だ。孤島に隔離されていたこれまでとは違い、城のすぐ近くに犯罪者が大勢収容されているという事実は領民たちにも恐怖を与え、大きな動揺が走っている。
民衆の不安を解消し、早急に事態を鎮めなくてはならないと、当主をはじめとするリートベルクの為政者たちは昼夜を問わない対応に追われていた。
その当の囚人たちはというと。
事件当日は目の前に降ってわいた脱獄のチャンスをあえなく潰され、広がる自由を横目にながめながら、ぞろぞろとこの地に連行されてきた。
あの時はまるで死んだ魚のような目をしていた彼らが今や、どうなったかといえば──。
「「首領! あざっす!」」
「「親分! お疲れ様っす!」」
死んだ魚が生き生きとした鮮魚になって、ぴちぴちと元気よく跳ねながら、辺境伯ヴィクトルに群がっていた。
「おお、随分慣れてきたようだな」
ヴィクトルは豪放磊落に笑いながら、城からかついできた大きな袋をどんと床に置いた。
一人で持ってきたとは思えないほど巨大な袋を開けば、中身はさしいれの食料だった。
大量のパンに焼いた肉。蒸した芋に酢漬けの野菜に茹でた卵。
慣れない兵舎内での生活に困惑しているであろう囚人たちのために、城の料理人たちに頼んで作ってもらったらしい。
「おまえたちも災難だったな」
喜んでパンや肉に群がり、がつがつむしゃむしゃと美味そうにほおばる男たちをながめながら、ヴィクトルは相好を崩した。
「おまえたちの起こした暴動でないことは強調して伝えている。今後のおまえたちの身の振り方についてはまだ審議中だが、不利な取り扱いはされないようにかけ合うつもりだ」
事件の委細はとっくに王家に報告済みである。
今頃は王都の司法省も対応に追われていることだろう。
囚人たちの今後の処遇に関してはまだ未定だが、リートベルク監獄が大破した以上は、どこか別の収容所に身柄が移送されることになるのは間違いない。
一人一人の移送先が決まり次第、順次この地を離れることになるだろうが、この度の騒動に関して囚人たちに非はないことは、辺境伯として責任を持って主張している。
「……マジっすか……」
自分たちに課せられている懲役刑が不当に延長されることのないよう、ヴィクトルが取り計らっていることを知った囚人たちは、うるうると目元を潤ませた。
「首領……」
「誰が首領だ」
「親分……」
「それも違う」
ヴィクトルの地位は辺境伯。公・侯・伯・男の四等級に当てはめるなら侯爵にあたるのだが、なぜか囚人たちには首領や親分と仰がれてしまっている。
事情を知らない者が見れば、本当に裏社会の元締めだと誤解されかねないのでやめてほしい。
「首領っ! リートベルクの監獄はまた再建されるんすよね!?」
「親分っ! そしたら俺……俺……必ずまたここに戻ってきますからっ!」
「戻ってこなくていい。社会復帰してくれ」
囚人たちが涙ながらに再会を約束するのを、ヴィクトルは笑顔で断る。
断られても囚人たちはめげることなく「ここの騎士に俺はなる!」「俺も!」と固く誓い合っていた。
「……」
この数日で見違えるほど更生した彼らをあたたかく見守りながら、ヴィクトルは剃る暇もなく伸びた黒い無精ひげを、力なくさすった。
ここでこんな呑気な会話をしていられるのも、彼のおかげだ。
この地のために尽力してくれた彼は今──どうしているだろうか。
***
マティアスと彼に雇われた外国の傭兵たちは、城の地下牢につながれた。
バルーに腕を噛まれたというマティアスは大量に出血したようで、死ぬ死ぬ治療しろ助けてくれとやかましくわめいていた。
仕方がないので失血死しない程度に傷の手当てをさせ、餓死しない程度に少量の食事を与えて拘束してある。
「……ぐっ、ああっ! や、やめてくれ! たすけ……!」
そのマティアスが地面にキスしながら、見苦しく助けを請うているのは、彼の頭が軍靴の底に押さえつけられているからだ。
靴の主はアレクシア。リートベルクの冬よりも冷たい厳寒のまなざしが、足元でうめくマティアスを冷淡無情に見下ろしている。
「やめ……っ! 足をどけろ! この野蛮な女が!」
バルーに噛まれた傷口の治療が済んだあたりから、マティアスはにわかに元気を取り戻した。
鉄格子の奥から再三「これは冤罪だ!」「事実無根で、不当な拘束だ!」と叫び続け、辺境伯であるヴィクトルやアレクシアへ真実を話したいと、面会を求めて騒ぎ続けた。
お望み通りアレクシアが地下牢に現れると、マティアスは飛びつかんばかりに彼女にとり縋った。
「どうか話を聞いてください! 辺境伯令嬢、私は無実です! すべては兄の仕組んだ姦計なのです! 兄は私が優秀で聡明なのを妬み、陥れようと諮っ……」
みなまで言うことはできなかった。
次の瞬間にはマティアスは軍靴に蹴り飛ばされ、牢屋の床と熱烈な接吻をかわしていたからだ。
「なっ……なんてことを……っ」
マティアスは痛む頬を押さえた。歯が一本飛んだらしく、口内から血が流れる。
抗議しようと口を開いたが、その言葉をかき消す圧力がのしかかる。頭を踏まれたのだ。
マティアスは逃がれようと必死にもがいたが、アレクシアの足はびくとも動かなかった。
「しっ……信じられな……っ」
マティアスはこれまで、女に不自由したことなどなかった。
どんな女も惹きつける甘いマスクに、王国内でも指折りの富豪の跡継ぎという立場。
マティアスに誘われてなびかなかった女などいないし、メイド程度なら地位や資産をちらつかせれば簡単に股を開いた。
その自分の頭を足蹴にする女がいるなんて、悪夢だとしか思えない。
しかも女傭兵などではなく、仮にも貴族の令嬢が、だ。
「この私にこんな仕打ちをしてっ……ただで済むと思うなよ!」
「喚くな」
靴底に圧がかかった。アレクシアの全身から、見なくてもわかるほどの冷気がひしひしと放たれている。
「この程度では済まさない。正式な法廷の場で、相応の罰を受けさせてやる」
──覚悟していろ、と冷然とした声が告げた時だった。
ガチャガチャと鉄格子の鍵が開く音がして、大柄な影が牢に入ってきた。
一人ではない。そっくりな人影があと二人、後から続いている。
「お嬢。あとはオレらに任せてください」
「そいつにゃあ、お嬢の靴の裏さえもったいねぇよ」
「気持ちはよーくわかりますけどね。ここで殺るつもりはないんでしょう?」
騎士のユリウスとクラウスとマリウスだった。三人とも威嚇するように太い指をボキボキと鳴らしている。
「ああ。頼む」
三人に任せて、アレクシアは牢を離れた。
後方からは三つ巴になった三人に囲まれたマティアスが、断末魔のような悲鳴をあげるのが聞こえてきたが、一瞥さえも投げてはやらなかった。
まもなく、中央官庁から王家直属の役人が到着する手はずになっている。
マティアスの身柄は引き渡され、しかるべき裁判の日まで政府の管轄で拘留される。
だからこんな人知れぬ地下牢で、あっさりと殺すことはしない。
(そんな楽に逝かせたりはしない。あの男の罪はきっちりと清算させてもらう──)
湿った地下道を抜け、石段を上がって、アレクシアは地上へと出た。
向かったのは城内だが、自室ではない。リートベルク監獄が襲撃を受けた事件の日以来、アレクシアは自分の部屋で休んだことはなかった。
城の二階には、大きく張りだした弓型の窓があった。
眼下を見わたせば、季節のうつろいに従って亜麻色を帯びはじめた田園風景が一望のもとに広がっている。
戦時に備える要塞でもあるリートベルクの城は、ほどんどの窓が小さく、かつ高い位置に築かれているが、ここだけは別だ。
迎えた賓客をもてなすために、この客室だけが見晴らしのいい弓張り型の窓を嵌めてある。
アレクシアがノックをして部屋に入ると、肩を落として窓辺に腰かけていたブリギッタが、はっとしたように立ち上がった。
「……お嬢様……」
この数日の間にいっそう老け込んだブリギッタの、しわだらけの顔が苦しそうに歪む。
「ルカは? 変わりないか?」
「はい。ずっと眠っておられます」
答えたブリギッタの視線の先で、ルカは微動だにすることなくベッドに横たわり、昏々と眠っていた。




