第101話 閃光
「待て! それをどうする気だ!」
アレクシアは声を張り上げたが、距離があるせいで傭兵の男たちには届かなかった。
男は手際よく火を鑽り、移した火口を導火線へと近づける。
線条の先端に火が点く、じゅっ、という小さな音が、まるで地獄の釜の蓋を開く絶望の音のように重たく響いた。
炎を噴き上げて、紐線が燃える。
白煙が激しく立ちのぼり、あたりの空気を急速に濁らせていく。
男は方角を見定めるように、大きな体をひねった。
重心を移し、全体重を乗せて、腕を大きく振りかぶった瞬間。
ルカは森を一気に走り抜け、全身で男にぶつかっていった。
「ぐあっ!」
体当たりされた男は大きくよろめき、放り投げようとしていた筒を取り落とした。
男の手を離れた弾薬が、舞うように空中を泳ぐ。
ルカは垂直に飛び上がった。燃焼する火薬が地面に落ちるよりも先に受け止め、自分の身体に引き寄せて、しっかりと抱え込む。
「これが……本物の……」
本物の爆弾を目にするのは初めてだが、花火ならば扱ったことがある。それも、火が点いた状態でだ。
昨年の秋のことだ。アレクシアと一緒に行った秋の祭りで、彼女から教えてもらったのだ。──花火の製法と技術は、都会よりもむしろ辺境地帯の方が進んでいる、と。
『花火の表面は特殊な紙と糸とを張り合わせた、玉皮と呼ばれる皮に覆われている』
自分が彼女の言葉は全部洩らさず覚えているタイプで良かった──とルカは思う。
我ながら気持ち悪い特技だが、おかげでこんな非常事態でさえ、一言一句違わず正確に思い出すことができた。
『中身は芯に沿って、色や光を発するための火薬と、玉皮を割るための火薬が詰め込まれている』
花火と爆弾。破壊力は段違いでも、着火までの原理は同じはずだ。
『もしも導火線に点火したとしても、火が玉皮に燃え移るまでは爆発しない。水で消火するか、線を切って火を断てば爆破を防げる』
(線を切って……火を……!)
──あの時のように導火線を寸断しよう。
瞬時にそう決断して、ルカは目を見開く。
「……!」
その新型の爆弾は、特殊な薬品を浸透させた珪藻土によって覆われていた。
珪藻土は保護層によって包まれているのだが、導火線の大半もその保護層の中に埋もれてしまっているのだ。内部には管が通されているが、外側からは触れられない。
意図しない暴発や、時間の経過による劣化を防ぐための工夫だろうが、これでは線を切ることができない。
(……掘削のために作られた爆薬だからだ……!)
使途が戦闘用ではないためだ。すでに点火した状態から、断線によって爆発を止めるような状況は想定していないのだ。
一瞬、頭が真っ白になる。
しかし一瞬だけだった。それ以上は一秒たりとも逡巡に費やすことはなく、ルカは反対方向にきびすを向けた。
「ルカ! だめだ!」
アレクシアは傭兵の残党二人を取り押さえていた手を、ルカに向けて伸ばした。
だが、ひるがえる彼の服の端をわずかに指先がかすめただけで、つかむことも止めることもできなかった。ルカの方から手を振り払ったのだ。
(……!)
ルカに初めて拒まれた指先に、心臓を貫くような痛みが走る。
ルカはアレクシアすら追いつくことのできない驚異的なスピードで、丘陵を一気に駆け抜けた。信じられないほどの速さだった。
「ルカ! やめてくれ!」
「お嬢様!」
後を追おうとするアレクシアをすかさず止めたのは、騎士団長のニコラウスだった。囚人たちの避難と収容が一段落したことで、アレクシアの加勢にきたらしい。
「いけません! お嬢様! 危険です!」
ニコラウスはアレクシアを叱りつけ、渾身の力で抑え込む。
さすがはヴィクトルの下で騎士団長を任されるほどの逸材。ニコラウスの全力で羽交い締めにされると、さしものアレクシアも容易には抜け出せなかった。
「ニコラウス! 放せ!」
力ずくでニコラウスの腕をふりほどいた時。ルカの姿はすでに小指の先よりも小さくなっていた。
「ルカ!」
アレクシアは叫んだ。
こんな悲鳴とも哀願ともつかない声を発したのは初めてだった。
自分が感情を制御できなくなっていると感じたのも初めてだった。
「やめろ! ──ルカ!」
ルカは無我夢中でひた走る。
やめろと叫んだアレクシアの声は聞こえていたが、従うわけにはいかなかった。むしろ少しでも彼女から遠ざかろうと、一心不乱に駆け続けた。
(……この爆弾は破砕用だ。戦争のために作られたものじゃない。ということは……!)
過去に戦場で使用された爆弾は、着火から爆発までの時間を極力短く設計してあったらしい。長ければ敵に拾われて投げ返されるおそれがあるためだ。
しかし鉱山や炭坑、建設現場で使用することを想定した爆弾は、技師や工人たちが安全な場所に避難する時間を確保するため、着火から爆発までが長くかかるように作られている。
保護層の中に通された雷管はじりじりと燃焼を続けているが、まだ爆発までは数秒あるはずだ。
(収容所内の人たちは避難を済ませた。この先にはもう誰も残っていない……!)
激しく燃焼する紐線の先からは視界をさえぎるほどの煙霧が上がっていたが、ルカは道を誤ることなく駆け続けた。
喉を傷め、呼吸を塞がれ、意識さえ遠のいてもおかしくないほどすさまじい煙幕だったが、足を止めることはおろか、咳き込むことすら自分に許さなかった。
その時だった。
掌の中でわずかな変化が生まれたのを、ルカは確かに感じた。
「……っ!」
目の前は絶壁。
ほぼ垂直に切り立った断崖の向こうには、ようやく騒乱の鎮まりかけた湖が広がっている。
ルカは崖の最先端で足を踏み切った。全力で跳躍しながら、ありったけの力を込めて、腕を大きく振りかぶった。
破裂寸前で放り投げられた爆薬が、弧を描きながら着水した刹那。
一条の閃光が、空を刺した。
火が炎となって膨れあがり、爆花が放射状にはじける。
鮮烈な光に揺さぶられて、地表が割れんばかりに鳴動した。
凪いでいた水面が再び、激しく抉られる。
逆流した湖水が津波のように高く噴きあがって、蜂蜜色の髪をまるごと飲み込んだ。
孤島を乗せた湖は、柱のように立つ光にのまれた。




