第一章【終】ライラ
「僕は手続きがあるから王城に残るけど、気をつけて帰るんだよ。夜には帰るからね」
エリオットの言葉にライラははにかんで頷くと、彼をおずおずと見上げた。
「早く帰ってきてくださいね」
「うん、急ぐよ」
エリオットのエスコートで、待たせていたブライス家の馬車に乗る。
すべるように動き出した馬車のなか、ライラはエリオットが見えなくなるまで窓から眺めていた。
そうしてエリオットが見えなくなった頃。
「――やられたわっ!」
忌々しく吐き捨てたライラは、ベルベットの小箱を投げつけた。床に当たって蓋がひらき、中から指輪がこぼれ出る。
そんなライラを、向かい側の席からじっと見つめる者がいる。
赤毛の女をアンリ、茶髪に眼鏡をかけている男をフィルムドという。
二人はライラの忠実な部下で、汚い仕事の手配から情報収集まで行ってくれるのだ。二人はライラに――ライラの狂気に心酔し、自ら下僕になることを望んで、ここにいる。
「何かございましたか? アリザナ国王が、火事の日のことを聞きたいとのことでしたが」
おっとり聞いてきたのは、アンリだ。
髪と同色の瞳を細める彼女に、ライラは先ほどあったことを話した。
火事から半月が過ぎ、心身共に癒えてきたライラはアリザナ国王に呼び出された。
ベリス家の火事の真相を調べているらしく、ライラが知っていることを聞きたいとのことだったのだ。
だからライラは、予め決めていたことを話した。
あの日、ライラは眠っていた。しかし、ふと目が覚めて火事に気づき、すぐにカラビアルのもとに向かった。
カラビアルはロジャーの傍に静かに佇んでおり、彼女はライラに指輪を託すと屋敷から逃げるように言ったのだ。
もちろん、ライラはカラビアルもともに逃げようと言ったのだが、彼女はロジャーの傍から動こうとしない。ロジャーは動かない。眠っているのだろうと思った。
火はあっという間に回りが強くなり、カラビアルはライラを強引に彼女の部屋から外に通じる脱出用通路に押し込めたのだ。
「――だから、私は軽度の火傷だけで屋敷から逃げることができた。そう話したの」
アンリとフィルムドが頷く。
これは予め決めていたことなので、予定通りだ。
火事の原因も何もわからないが、逃げろと言われた。あえて細部まで造らないほうが、こういう場合は勝手が良い。
重要なのは、カラビアルが彼女の意志でライラに指輪を託したということだ。
実際は、ライラがカラビアルの指から抜き取ったのだけれど――。
「それが、まずいことだったんすか?」
フィルムドは首を傾げた。
ライラは、ギリッと歯を噛みしめる。
「陛下が、私に指輪を見せるように言ったのよ。だから――拒んだわ。お母様から託された指輪を、簡単に見せるはずがない。ベリス家の世継ぎならば、それくらい常識だから」
そうしたら、軍人のように大柄なアリザナ国王は豪快に笑った。
――『ははははは、正解だ。その指輪は、決して誰にも見せてはならぬ『魔具』。懸命な判断であるぞ。そなたが継承者で間違いないようだ』
笑いをおさめたアリザナ国王は、つと目を細めて続けた。
――『だが、公爵位継承の際は渡してくれ。そうでなければ手続きができんからな』
ライラはそれを聞いたとき、はじめて疑いをもった。
この指輪は、もしかしたら『偽物』なのではないかと。
ライラは自分にあっさり殺されたカラビアルを嘲笑っていたが、よくよく考えるまでもなく、カラビアルはライラがあのような行動を取るかもしれないことも、予想できたはずだ。
となれば、ベリス家の証である指輪を偽物にすり替えていた可能性はじゅうぶんにある。
「陛下は、この指輪が本物か見極めるつもりだわ」
公爵位継承の際、とアリザナ国王は言った。
ベリス公爵家は、領地を与えられていない。血縁も少なく、公爵とは思えない小規模な家だ。財力だけはやたらとあったが、それも屋敷とともに燃えてしまった。
(通常ならば、爵位をなくす方向に話が向かうはずなのに)
ライラは今日、廃止されるだろうベリス公爵位について、自分が継ぎたいということを、懇願するつもりだった。そのために、あらゆる説得の言葉を考えてきたのだ。
しかし――。
――『ベリス公爵位の任命は、ライラが十六になった頃に行うこととする。それまでベリス公爵の地位は、後継者不在として、余が預かることとする』
アリザナ国王の言葉には、いろいろと訝るべき点がある。
だが、ライラが今やるべきことはアリザナ国王の言葉の真意を探ることでは無い。そんなことをしても、時間の無駄だからだ。
来るべき継承の際、疑われるず――いや、疑われたとしても、完璧に継承を行うのだ。
ライラの目的は『ベリス公爵の地位』であって、それ以上でもそれ以下でもないのだから。
「アンリ、フィルムド。二人に命じるわ、本物の指輪を探して。噂でもなんでもいいの、不信に思ったことはすべて報告するのよ」
アンリはすぐに「かしこまりました」と言ったが、フィルムドは目を瞬いた。
「それ、偽物だったんですか?」
「おそらくね。十六になったら、本物の指輪とともにベリス公爵になれるのですって」
ライラは今、十三だ。
準備期間という意味では、三年という年月は有り難い。
「この広い世界から本物を見つけるなんて、無茶じゃないですか? やりますけど」
「何も情報がないわけではないわ。カラビアルはそうそう指輪を手放さない。私が動くかもしれないとわかっていても、いつ動くかはわからないから、いつでもすり替えられる場所に本物と偽物はあったのよ」
「では、カラビアルが持っていたということですね」
アンリの言葉に、ライラは頷く。
「……屋敷跡は、王国軍が管理しているからそう簡単に探れないけれど」
「お任せください」
アンリがにこりともせずに請け負った。
「そういえばあの日、カラビアルの賓客が来ていたわね」
ライラは、嫌な予感がした。
賓客というからには大切な相手なのだろうが、ライラは相手の顔すら見ていないのだ。
思えば、ノアが婚約破棄を伝えられたとき。
ライラとノア、エリオット、ロジャーが同じ部屋に集められたのは、何か意味があったのかもしれない。
「カラビアルは、賓客を誰にも会わせたくなかったのかもしれないわ」
「怪しいっすね。そいつ、探ってみましょう」
「ええ、お願い」
ライラは投げつけたベルベットの小箱を拾い上げた。
これはエリオットがライラのために買ったものだ。指輪だけでは寂しいだろう、と。
ライラは今、エリオットの婚約者としてブライス伯爵家で暮らしている。もともと、婚約が成立してしまった時点で手駒に使うつもりだった。
どうやらライラに惚れているようだし、使い勝手のよい手駒になってくれそうだ。
(……三年。お姉様なら、指輪なんてすぐに見つけてしまいそうだわ)
業火のなか死んでいったノアを思い出し、ライラは一瞬だけ、優しい笑みを浮かべる。
ノアは秀でていた。ライラより――そしておそらく、カラビアルよりも。
だが、それ以上にノアは優しかった。優しすぎたのだ。
(かわいそうなお姉様)
ライラはくすりと笑った。
◇
王城のとある事務室に、ローブ姿の男がいた。
手にはカップを持ち、並々と注がれたハーブティを眺めている。
男の名前は、アガーノ。
ひょろりと背が高く手足が痩せ、顔もげっそりと痩せている。
幽霊のような男、とよく言われるが、本人は気にしていなかった。
アガーノは、アリザナ王国の王族専属魔術師である。
とはいえ、専属契約は今年度いっぱいなので、来年からは別の魔術師がこの任に着くのだが。
「……まさか、私の代で起こるとはな」
先日、ベリス公爵家が火事で全焼した。
多くの者が亡くなり、現場には国民からの献花が絶えないという。
つい先ほど、アリザナ国王が唯一の生存者であるライラという娘を呼び、当時のことを聞いた。
ライラの印象は、弱々しく庇護欲を誘う娘といったところか。
言動の端々から、理知的な面と無知な面がほどよい塩梅な娘だと感じた。あと数年で美女になるだろう、あどけない美しさもある。
世間一般の男が好きそうな女、という印象を受けた。
(あれが演技だとすれば、末恐ろしいものだ)
カップに口をつけて、ちびちびと飲んでいるとドアをノックする音がする。
返事をすれば、来年度から王族専属魔術師となるホリミアが気難しい顔でやってきた。
「アガーノ殿、お話がございます」
まだ年若いホリミアは、見た目は二十歳ほどの女だ。
そばかすが散らばった顔は愛嬌がなくもないが、あいにくアガーノは美醜云々に興味はない。
二百年以上も生きていれば、世間的な娯楽など娯楽ではなくなってしまうのである。
「なんだ」
「ベリス家についてです」
向かい側に座るように仕草すると、ホリミアは一礼して座った。
「ベリス家は、アリザナ国に二つしかない公爵家です。ですが、領地は与えられておらず、先の公爵であったカラビアルに至っては、血縁者がほぼいない状態です」
「ベリス公爵の鍵、と呼ばれる魔具は一子相伝だからな。……まさか、ベリス家の存在意義を知らぬわけではないだろう?」
「は? 存在意義……なんです?」
アガーノは顔をしかめた。
まさか、本当に知らないのだろうか。
(だが確かに、私もそれを知ったのはベテランと呼ばれて久しい頃だったか)
「知らぬのならば、よい」
「教えて頂け――」
「己で見つけるのだ。私は手を貸さん」
ホリミアは、むっと眉をひそめた。
「その程度もできん者が、王族専属魔術師を名乗れると思っているのか」
「……確かに、その通りです。調べます」
ホリミアはそう言って立ち上がった。
「用はもういいのか」
「今日きたライラについて伺いたかったのですが、自分で調べてからでないと話す意味がないと思いました」
「懸命だ」
ホリミアは一礼して出て行った。
ライラの何を聞きたかったのか知らないが、王族専属魔術師は一人だ。意見を求める相手はいつだって国王であり、その腹心である。
(来年から任期だというのに、今から他の魔術師に頼るようでは先が思いやられるな)
アガーノは半分ほど飲んだカップの中身を見つめて、にやりと笑った。
アリザナ国ベリス公爵家。
元は伯爵家だったベリス家には、大きな役割がある。
それゆえに絶対的な権力を与えられてきた。
アガーノは、何度か顔を合わせたことのあるカラビアルを思い出して、またにやりと笑った。
見た限り、これまでに会ったことのあるベリス公爵同様に、賢明な女だった。
だが、人は愚かな過ちを犯す場合もある。
「……ライラの報告は嘘か誠か」
嘘だとすれば、十中八九ライラがカラビアルを手に掛けたのだろう。だが、それもまた運命である。
アガーノは、カップのハーブティをまたちびちびと飲む。
ベリス公爵には、『この世を滅ぼすとされる災厄の種を屠る』という使命がある。
まるで物語のような話だが、これは預言書にも記されている確定した未来だ。
ベリスの名を継ぐ者は、その世代中『災厄の種』を探す使命がある。
そして、『災厄の種』を見つけた者はそのすべてをかけて、『災厄の種』を屠るのだ。
(……いわば、正義のヒーローだな)
アガーノも師から聞いた話ゆえに真偽の程はわからないが、一部の名のある魔術師はこの話を当然のように知っている。
かつてこの地に、『悪の魔術師』がいた。
その者は世界を混沌に導き、理を破壊し、人々の安寧を奪ったのだ。
やがて『悪の魔術師』は勇敢な男の手によって屠られる。
その男はのちに勇者と呼ばれた。
しかし、勇者は知っていた。『悪の魔術師』は何度も転生し、やがてこの地に戻ってくることを。
そのときに備え、『悪の魔術師』の亡骸から作ったのが『ベリス公爵の鍵』と呼ばれる指輪である。
指輪を使えば、転生してきた『悪の魔術師』を見分けることができるという。
しかし、千年以上経っても『悪の魔術師』は現れていない。
このまま何事もない日々が続くのだと思っていたところで、カラビアル・ベリスが死んだ。
世界の救世主となるだろう使命を帯びたベリス公爵は守護の魔術に守られているため、そう簡単に死ぬはずがないにも関わらず、である。
(可能性として考えられるのは、守護の魔術が発動しなくなるほどに、カラビアルが救世主として相応しくない行為に手を染めていた、といったところか)
アガーノは、ふむ、と考える。
可能性としてなくはない。
(例えば、カラビアルはとっくに『災厄の種』を見つけていた。そしてそれを利用して、この世界を手に入れようとしていた……)
いや、とアガーノは胸中で首を振る。
きっと逆だ。
(カラビアルはやはり、すでに『災厄の種』を見つけていた。そして……その『災厄の種』に同情し、屠ることが出来なかったとすれば……それもまた、裏切りだ)
転生すれば、前世の記憶は消える。
この世界に生まれてくるかつて『悪の魔術師』とて例外ではない。
しかし、魂に刻まれたその特異な力は変わらないのだ。
カラビアルが死んだ真意はわからない。
しかし、ベリス公爵の死は『災厄の種』と深い関わりがある気がしてならなかった。
「……もし、かつて『悪の魔術師』と呼ばれた者がこの世に生まれ変わったのだとすれば、一大事だ」
悪の魔術師は、この世の理を変える神々の力を持っていたという。
それは『創世者』と呼ぶ特異能力で、望んだ対象に『魂を与えることができる』というものだ。
悪の魔術師はその力で、それまで地上に存在しなかった生き物を作り出した。それこそ現在の『魔物』であり、この世を混沌に陥れたのだ。
つまり、『悪の魔術師』とは魔物の親であり、魔物をこの世にはじめて作り解き放った者なのである。
アガーノは、とんとんと机を指で叩いた。
(気は進まないが、師に報告せねばなるまい)
アガーノの師は『最高魔術師』と呼ばれる、この世でもっとも優れた魔術師の一人だ。
現在は森の奥深くで隠居しているが、優れた魔術師としてアガーノは彼を尊敬している。
(だが、それも任期が終えてからだ。……本部に送る報告書の作成か、面倒だな)
何気なくカップに口をつけて、すでにハーブティをすべて飲み干していることに気づく。
アガーノはそっと、ため息をついた。
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