【間幕】ノアの潜在能力と、食にかける情熱
泥のように眠るとはこういうことなのだろう。
イーリスを召喚した日、ノアは魔力を使いすぎて倒れて――そして、翌日に目が覚めた。
窓から差し込む陽光は心地よく、清々しい朝だ。
ノアはいつもの癖で、首からぶら下げている袋を服の上から確認した。
(……よかった)
カラビアルから預かっている指輪は、しっかり持っている。
そのことに安堵して、今後はもっと慎重になろうと心に決めた。
どうやら前世の記憶が戻るということは、良い面だけではないらしい。
ベリス家で暮らしていた頃は、昨日のような醜態をさらしたことなどなかった。
どれほど苦痛に満ちた特訓でも、勉強でも、ノアは最後まで気力と根性でやり抜いたのだ。
それに比べて、前世はのんびりしていた。
仕事はきつかったしあまり好きでもなかったが、休日はとことん好きなことを好きなだけしていたし。
(びしっとしないとね!)
ノアは戸棚から着替えを取り出そうとして、ここがベリス家ではないことに思い至る。持ち込んでいないのだから、着替えなどあるはずもない。
ローリィにいたころはジョーンズが貸してくれていた。
今ノアが着ているチュニックだってジョーンズが用意してくれたものなのだ。
(着替え、どうしよう)
先に腹ごしらえをしようかな。
そう思ったノアは、厨房に向かう。
しかし。
「……なんにもない」
誰かが持ってきただろう、高級な茶葉があるだけだ。
どうやらイーリスが入れた紅茶はこれらしい。
が、厨房のどこをどう探しても、食べられそうなものはこれしかなかった。
調理道具は一式揃っているのに、なぜ。
(……魔術師は食べなくても死なないとか、言っていたような)
空腹を感じるから、すっかり忘れていた。
そういえば、ジョーンズの家にいたときから、レイブランドが何かを食べる姿を見たことがない。
ノアは愕然とした。
「嘘でしょ……何も食べないなんて……」
きついだろう魔術の特訓。
身体強化を行うための持久や体力トレーニング。
そういったものを乗り切るためには、おいしい食べ物は必須ではないか。
(……ライラが作ってくれたフレンチトーストが恋しい……)
公爵令嬢だというのに、ライラはよく厨房にいた。
ノアにお菓子やデザートを作ってくれたのだ。
――お姉様、お好きでしょう?
はにかんで作ったお菓子を振る舞ってくれたライラの姿を、首をふって強引に思考を追い出した。
(過去の話よ。私はもう公爵令嬢ではないし……ライラも変わったわ。いいえ、私が気づかなかっただけなんでしょうね)
ノアがライラの本性に気づけていたら、何かかわっただろうか。
(だめ! 今は考えないの。確かめたくなるから)
ぱしん、と頬を叩いて気合いをいれた。
とりあえず水瓶の水を使って、紅茶をいれる。
食料こそないが、調理道具は揃っているのだ。
火をつける道具や薪もふんだんにある。
今世と前世の記憶を頼りにいれた紅茶は、可もなく不可もなくといった味だった。
一瞬、イーリスがいれば……と考えたけれど、昨日苦しくなったばかりなのに、また彼を呼び出すなどできない。
実際、召喚できるかも分からないし、危険なことはしないに限る。
(……まぁ、飲めなくもないし)
水よりはよい。
だが、空腹はしのげなかった。
ノアはレイブランドの家を出ると、湖の周辺を見て回る。
「転生モノのラノベって、前世の知識を活かして成り上がったりするものよね」
ノアが日本で得た知識といえば、ゲームや漫画、小説についてだ。
その他の知識は、世間一般といったところだろう。
(……現実はあまくないわ)
第二の人生をチートモードで、なんて夢のまた夢。
などと考えていると、覚えのある野草を見つけた。
(確かこれ、食べれるはず)
ぷちぷち、と摘む。
(あ、これも!)
ぷちぷち。
ぷちぷち。
ぷちぷち。
夢中になって採っているうちに、少しだけ森の中に入ってしまう。
そのことに気づいたのは、持っている野草に違和感を覚えたときだ。
(……私、どうしてこれが食べれるって知ってるのかしら?)
ノアは公爵令嬢として生きてきたので、野草が食用などうかなど知らない。
前世の世界では山菜採りをしたことがあるが、今ノアが摘んでいる野草は前世の世界にはないものだった。
首を傾げながら立ち上がると、キラリと何かが光った。
朝露だろうかと思ったが、よく見るとそれは細い糸だ。横に一本、オーロラ色に輝く糸が、ノアのすぐ前を横切っている。
(なにかしら)
なんとなく……本当になんとなくだが、事件現場で見かける黄色いテープを彷彿とさせて、ノアは無意識に一歩後ろに下がった。
それがいけなかった。
視点が変わったため、これまで見えなかった森の少しだけ奥が見えたのだ。
ほの暗い森のなか、手を伸ばせば届くだろうところに、ルビーのように輝く野イチゴがあった。
普段のノアならば、警戒しただろう。
明らかに周囲の森と、オーロラ色の糸の向こうは雰囲気が違うのだから。
しかし、ノアは思考が鈍っていた。
相次いで起こる異常事態に感覚が麻痺していたし、魔力の枯渇を起こしたことで心身ともに疲弊していたのだ。
極めつけに、空腹だった。
だから、つい何も考えずにふらふらと野イチゴのほうに歩みを進めてしまったのだ。
(おいしそう。これで甘酸っぱいケーキを作れるわ)
しゃがんだとき、フッとノアに影が落ちる。
なにげなく見上げて、固まった。
――熊がいた
ノアの身体の五倍以上はある巨体のそれは、ほの暗い瞳をしている。
到底意思など通わせることはできないだろう。
野生の獣独特のにおいにぞっとした。本能が恐怖で悲鳴をあげているのに、足がその場に縫い付けられたように動かない。
熊が動いた。
鋭利な、しかし太い爪がついた獣の手が、伸びてくる。
ぞくりとした。
寒気、吐き気、頭痛、それらを伴うパニックで頭のなかが沸騰し、ノアは絶叫していた。
「――ノア!」
ノアの意識を取り戻させたのは、レイブランドの声だった。
我に返ったノアは、気づく。
(……え?)
確かにいたはずの熊がいなかった。
足跡も、匂いも、なにもかも消えていて、熊がいた形跡などない。
「どうしてグェ」
「この馬鹿者が!」
腕を引かれて、後ろに引きずられる。
ぽかんとするノアを、怒りの形相をしたレイブランドが見下ろしていた。
「境界が見えなかったのか!? ここから先は魔の森だ。魔物に殺されるぞ!」
「え……」
少し暗い森だし。なんかキラキラした糸があったし。
もしかしたらマムシとかいるのかな、程度の考えしかなかったノアは、自分がいかに危険なことをしようとしたのか理解した瞬間、口元を抑えた。
「魔の森……それって、例の魔の森ですか?」
「魔の森は一つしかない」
「近くないですか!?」
ノアは歩いてきた道を振り返った。
まだじゅうぶん湖が見える距離だ。視線を戻すと、オーロラ色に輝く糸に囲まれたほの暗い森――『魔の森』がある。
「あえてこの場を選んで暮らしているんだ」
「どうしてですか?」
研究のため。魔術師として魔の森の何かを監視するため。
いろいろな考えが浮かび、魔術師として生きるレイブランドに尊敬を抱いた――が。
「『魔の森』は人も魔術師もおそれるからな、誰も近づかん。俺は一人でいたいんだ」
「……それだけのためですか?」
「重要なことだ。ただの森だと魔術師は転移でやってくるからな、めんどうなことこの上ない」
ノアは、ぐたりと力が抜けるのを感じた。
「『魔の森』が近いなら教えてくださいよ」
不満を呟くと、レイブランドが目を吊り上げた。
「説明する前に勝手な行動を取るからだ! 昨日といい今日といい、おとなしくできないのか!」
昨日のことはノア自身のせいではない――と思いながらも、結果としてレイブランドに迷惑をかけていることに変わりはない。
何より今日は確実にノアが悪かった。
もし『魔の森』ではなかったとしても、危険などたくさんある。
深い森のなかは、説明をきかずにふらふら出歩いてよい場所ではないのだ。
「ごめんなさい」
ノアはしゅんと落ち込んだ。
◇
朝食を作った。
温野菜サラダと果実というかなり簡素なメニューだが、空腹の前にはご馳走である。
ここに主食としてパンがあれば完璧なのだが、そこまで贅沢はいわない。
レイブランドの分も作ったので呼びに行こうとしたとき、ちょうどレイブランドが入ってきた。
研究中の魔術薬を見てくると、実験室に行っていたのだ。
「朝食できましたよ」
「いらん」
見もせずにレイブランドが言った。
予想していたとはいえ、こうもきっぱり言われるとムッとしてしまう。
(いいわ、私が食べるから。少ないかなって思ってたからちょうどいいもの)
むしゃむしゃと温野菜を食べていると、向かい側の席にレイブランドが座る。
そっと朝食を皿を差し出すと、押し返された。やはりいらないらしい。
「いつから修行ですか?」
「明日から基礎体力づくりだ」
「わかりました」
「……しばらくは集中してもらう。同じことを毎日繰り返すことになるだろう。その間、ひじょうに不安だが、外せない用事があるため俺はここを離れる。二週間ほどで戻るが、その間しっかり体力づくりに励むように」
「はい!」
元気よく返事をすると、レイブランドは深いため息をついた。
「くれぐれも、余計なことはするな」
「はい、わかりました」
レイブランドはジト目でノアを見つめたあと、またため息をつく。
どうやら信用されていないようだ。
レイブランドが机の上に、うずら卵くらいの四角い木片を置いた。
「これを持ち歩くように」
「なんですか?」
手に取ってみると、一面にだけスイッチのようなものがある。
「これは呼び出し用の魔具だ。何かあればすぐに呼んでくれ」
「わかりました」
「いいか、手遅れになる前に呼ぶんだ」
「……呼ばなきゃいけなくなるようなことはしないので、大丈夫です」
この二日間は、たまたまだ。
改めて気を引き締めるノアをレイブランドは不安そうに見ていたが、用事はどうしても外せないらしい。
ノアに周辺の地理を説明して図書室に入る許可を出した。
翌日には、話していたように基礎体力作りを始める。
有酸素運動と無酸素運動を繰り返しつつ、部分をストレッチするという前世でも覚えのある運動だ。前世ではダイエットしようと始めたことがあったが、三日でやめた。
今回はほかにやることもないので、続けられそうだ。
レイブランドが家を離れると、ぽつんと残されたノアは基礎体力作りに励んだ。
一日にやる量は決まっているので、残りの空き時間を食事作りと図書室にこもるために使う。
三日が過ぎた頃、湖にいた白い鳥がノアに近づいてきた。
人馴れした鳥のようで、森で見つけたヤングコーンのような野菜を粉末にして乾燥させた物を餌としてあげる。
とても懐いた鳥が仲間をつれてきたので、家の近くに簡易の小屋を作った。
前世で嗜んだDIYの経験が役にたったのだ。
どうやらその鳥は、空を飛ぶ鶏のような生き物らしい。
早朝に鳴いて起こしてくれるうえに、卵までくれた。
お礼に餌をたくさんあげることにする。
レイブランドから聞いた危険な場所を避けつつ周辺を散策すると、果物がたくさん実っている場所を見つけた。
その近辺には、自然に増えた芋やニンジンに似た野菜があって、ノアは飛び跳ねて喜ぶ。
どうやらこの辺りの土は肥えているらしい。
ノアは離れた場所にあった他の野菜の苗や種を持ち帰って、肥えた土を肥料に、湖の近くに畑を作った。
これだけ近ければ、水やりも駆虫も比較的楽だろう。
安定して食料が収穫できれば、それだけ図書室にこもることができる。
レイブランドの本は、魔術師関連のものが多くて面白いのだ。
魔術に関しては厳しく規制が敷かれているらしく、アリザナ国では魔術について詳しく書かれた本を見ることがなかった。
そのため、物語や絵本といったものでしか、魔術について知る機会がなかったのである。
◇
「……なんだ、これは」
二週間後、戻ったレイブランドはその場で固まった。
我が家に養鶏場が出来ていたのだ。
それも、わりと本格的なタイプのもので、作り手のこだわりや情熱が伝わってくる。
「先生お帰りなさい!」
養鶏場の鶏に餌をやっていたノアが、レイブランドに気づいて振り返った。
「なんだこの鶏は」
「人懐っこいですね。仲良くなったので、家を作ったんです。たまごを産んでくれるんですよ」
これは鶏の仲間だが、人々が卵をとるために飼育している鶏とは別の種類だ。
野鶏という鳥で、誰にもなつかず従わないうえに狂暴で、決して飼いならせるものではない。
しかしその卵は美味で、通常の卵の五十倍の値で取引される。
声が出ないレイブランドを見て、ノアは「休憩されますか」と家に入ることを進めた。
どうやら疲れていると思われたらしい。
ノアについて我が家に入ろうとしたら、なぜか畑があった。
しかも、すでに野菜が実っている。
「あ、畑を作ったんです。時間や体力面のコスパがいいので」
「……どうやってだ」
「近くから持ってきただけですよ。それから、魔術書にあった魔術薬を作ってみたんです。肥料や雨水で作る、野菜専用の成長薬なんですが。すごい効果ですね」
ノアは純粋に喜んでいるが、魔術薬は基本、魔術師にしか効かない。それ以外のものに使うとなれば、とんでもない副作用がある。
その副作用を極限まで取り除いた魔術薬の作成ほどシンプルだが、成功率は限りなく低いのだ。
ノアが作ったという成長薬がまさにそれだった。
レイブランドでさえ、成功率は半分ほどだろう。
到底、魔術をかじったばかりのノアが作れるものではない。
「今から朝食を作るんですが、せっかくですから一緒に食べましょう? 早寝早起き、適度な運動をしているせいか、最近すごくご飯がおいしくて。卵も味が凝縮してる感じがするんです」
ノアに促されるまま、レイブランドはかなり久しぶりに食事を取った。
長年、飲み物以外を口にしなかったレイブランドは、その味を噛みしめる。
(……うまい)
おいしそうに食事を頬張っているノアは、やはりというか公爵令嬢には思えなかった。
(……本当に、何なのだ)
ノアディーア・ベリス。
公爵令嬢で、そして魔術師でもある。
もしかしてこれまでも、ノアは無意識のうちに『ありえない』ことを行ってきたのだろうか。野鶏が彼女に懐いたように、高度な魔術薬を難なく作ったように。
ノアの身体がすでに『魔術師』のものになっているのも、本当に無意識のなかで行っている数々がノアに進化を齎したのかもしれない。
レイブランドはこの日初めて、ノアの潜在能力が予想しているより遙かに優れていることに気づいた。
(これだけの才能があれば、魔術師の育成専門機関で学んだほうが可能性が広がるんじゃないか)
そんなことを思いながら、卵焼きを食べる。
かなり美味かった。
「ここにパンかお米があれば完璧なんですけど、さすがに贅沢ですよね。でもいつかパンを作ってみせますから!」
「……街で買ってこよう」
パン作りが大変だということは、レイブランドもよく知っている。
具体的な工程まではわからないが、パン作りに時間を費やされては魔術について特訓する時間がなくなってしまいそうだ。
無邪気に喜ぶノアを見て、レイブランドは目を眇めた。
カラビアルは、ノアをレイブランドの妻にしたいようだった。
なぜなのか、その理由までは聞けていない。
だがきっとノアといれば退屈しないだろう。
レイブランドは、久しぶりに己の未来を想像して微笑んだ。
ブクマ、評価、閲覧ありがとうございます。
次の更新は、二、三日後です。
第二章が始まりますが、序盤はコミカルになりそう。
※カテゴリをファンタジーに変更しました。恋愛要素もあるので、苦手な方はご注意ください。




