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第一章【八】召喚の代償

「……お前は一体何なんだ」


 レイブランドの言葉は、突然現れた『マロン号』ではなくノアに向けられていた。

 ノアは今、レイブランドと向かい合う形で居間の椅子に座っている。


 蛇に睨まれたカエルのように小さくなっていた。

 二人の間に食卓がなければ、視線で石になっていたかもしれないと思うほど、レイブランドの視線は冷ややかだった。


 早朝から起こされて、レイブランドは不機嫌だ。

 しかもノアが想定外の話を持ってきたため、つい今までマロン号をひと通り調べていたのである。


 レイブランドの調べにより、マロン号に悪意がないことが判明した。


「あの、先生。私は何もしていません」

「何もしていないのに、前世で遊んでいたという『げぇむ』の登場人物が実体を持って現れたのか?」

「えっと」

「それともお前ではない別の誰かの仕業なのか? あいにく俺は何もしていないし、お前の前世の生活など知らん」

「……ごもっともです」


 レイブランドが、深いため息をついた。


「ここに来て、半日だ。まだ特訓も始めとらんうちに、お前は忙しない……わざとではないことは理解しているが」


 沈黙が降りた。

 そのタイミングで、二人の前に紅茶が差し出される。


 絶妙なタイミングだった。

 先ほどから良い香りがしていると思ったら、マロン号が紅茶をいれていたらしい。


「差し出がましいようですが、少しだけ、休憩されてはいかがでしょう?」


 当人であるマロン号が言ったことで、レイブランドの機嫌が絶対零度まで下がったのがわかった。

 何か言いたげに唇が震えたが、レイブランドは深く息を吐き出すに留める。


「……この周辺には結界が張ってある。その結界が壊されたり、何かが触れた形跡はない。となれば、信じがたいことだが、お前が生み出したと考えるほうが……いや、それもありえんのだが……」

(先生を困らせてしまったわ)


 ノアは俯いてしまう。

 まだ魔術の特訓さえ始まっていないのに、よくわからない状態(?)になっているのである。

 マロン号に悪意がないことが、幸いなのだが。


「あの、マロン号さ……マロンさん?」


 レイブランドが頭を抱えている間に、そっとマロン号に声をかける。

 マロン号と声に出して呼ぶのが恥ずかしくて、号を端折って言い直した。


 マロン号は笑顔で、「はい、マロン号です」と答える。


「いくつか聞きたいんだけど……その前に、マロンさんの名前ってなんだったかしら? ほら元々の名前があったでしょう?」

「イーリス・フォン・エグザーレイズという名前を運営より与えられておりました」


(運営……まぁ、その通りなんだけど)


 あなたと執事クロニクルのカードキャラクターは、九割九部が男だ。

 すべての執事が主人公であるプレイヤーを愛する、いわゆる逆ハー乙女ゲーム要素が強かった。


 しかし、ガチャは初回以外すべて課金制。

 当時はガチャ上限の義務付けもなかったため、期間限定レアキャラをコンプリートすると、さらにレアなキャラクターが貰えるといったイベントもあった。


 当然、重課金勢で『あなたと執事クロニクル』を生き甲斐にしていたノア――前世のノアのことだ――は、期間限定や高難易度ミッションも含め、すべてのキャラクターを取り逃すことなく手に入れていた。


「じゃあ、イーリスさんって呼んでもいいかしら?」

「とんでもございません。わたくしのことはどうぞお気軽に、お嬢様がくださった栄えある固有名詞である、『マロン号』とお呼びください。お気遣い感謝致します」

(……めっちゃ良い笑顔)


 嬉しそうに微笑むマロン号――もとい、イーリス。

 ノアは彼をイーリスと呼ぶことに決めた。


「……マロンドーンだったか」


 ふと、レイブランドが言った。


「マロン号です」

「マロンゴウは、自分がなぜここにいるのか理解しているのか?」 


 イーリスは優雅に胸に手を当てて、レイブランドに向き直る。


「勿論でございます」

「聞かせてくれるか」

「お嬢様のお許しがあれば」


 イーリスがノアを見たので、慌てて頷く。


「許します!」

「かしこまりました。何からお話いたしましょう?」

「まず、どうやって現れたのか聞こう」

「お嬢様の求めに応じ、現世に参りました。執事たるもの、いついかなるときも主の望みに従順であるべきでございます」


 今度はレイブランドがノアを見る。


「呼んだのか?」

「呼んでません! そうよね、イーリス……さん」

「お嬢様、わたくしのことは呼び捨てで構いません」


 にっこり笑顔でイーリスが返事をしたので、ノアはほっとした。

 またマロン号呼びを促されたらどうしようと思ったが、このままイーリスで通そう。


 ノアは胸中でこっそり微笑んだ――のだが。


「昨夜、わたくしをお求めくださった際に、お嬢様の体内から参上いたしました」


 そう続けたイーリスに、ノアは目を瞬く。

 体内ってなんだ、と思ったけれど、もっとも問題なのはノアが呼んだと言ったことだ。


「昨夜は――」

(確か、寝る間際メリーが恋しくなったような。……『おはようございます、お嬢様』って起こしてほしいって思ったけれど)


「お前には、覚えがあると」

「せ、先生。違います、私は私つきだった侍女を恋しく思っただけです」

「だがそのことを思い浮かべたということは、覚えがあるということだ」

(そうだけどっ!)


 レイブランドは質問を続ける。


「ノアの体内から参上、というのは?」

「わたくしどもは皆、お嬢様の体内で召喚されるのを心待ちにしております」


 意味がわからず、ノアはこれ以上ないほどに眉をひそめた。

 レイブランドもまた同じような顔をしている。


 ふと、レイブランドは立ち上がると机を回り込み、ノアの傍に膝をついた。

 騎士のような動きに、ノアはドキリとする。

 レイブランドは整った顔立ちをしているし、何より彼のすみれ色の瞳はとても綺麗だ。


 こんなふうに見上げられては、心臓が落ち着かない。


「あ、あの、先生?」

「しっ」


 レイブランドは自らの指を自分の唇に当てて、目を閉じた。

 慌てて口を閉じるノア。


 数秒の沈黙のち、レイブランドはぎょっとしたように目を見開いた。


「なんだこれは」

「もちろん、わたくしたち『執事』でございます」


 レイブランドは目頭をぐっと押すと、まじまじとノアの――腹部を見た。


(待って、本当に私の体内に何かいるの!?)


 ノアは顔をひくつかせる。


 今の話の流れからすると、ノアの腹部に『執事』がいるらしい。

 意味がわからないことこの上ない言葉だが、レイブランドまで似たようなことを言い出したとなれば、イーリスの言葉を否定できなくなる。


 この世界は、科学文明が発達した日本とは違う。

 魔術があって魔物がいるのだ。非科学的なことはたくさんあるのだろう。


「……先生、私はどうなってるんです?」

「かなり意識を()()()()探ると、ノアの身体に何かを感じる。……例えるならば、カエルの卵のような形状のつぶつぶが複数――」

「ひいいい!」


 思わず椅子から立ち上がる。

 だが、すぐに真剣な顔をしたレイブランドに睨まれてもとの場所に座った。


 レイブランドはノアの腹部に手をかざして、何か呪文を唱えた。

 これまで、レイブランドが魔術を使うところを何度か見たが、呪文を唱えたのは初めてだ。どうやら魔術も、魔法のように呪文を使うことがあるらしい。


 レイブランドはその後もノアの身体を確認すると、椅子に戻った。


「なるほど。干渉しないようにしているのか。これは『魂』か?」

「その通りでございます」


 首をかしげるノアに、レイブランドが説明をくれた。


「昨日話したが生き物には『魂』がある。魂は肉体に入っていなければ消えてしまうのだ。……そして『魂』は『肉体』と深く結びつきお互い干渉するため、人は一つの『肉体』に一つの『魂』しか宿せない」


 ノアの肉体には、ノアの魂が入っている。

 だから思うままに体が動くし、思考を巡らせることもできるのだ。


「だが、どうやらノアの体内には、ノア自身のものではない『魂』が入っている。俺が感じ取れただけでも、十二個あったな」

「じゅっ」


 ノアは自分の身体に、他人の魂がギチギチに詰まっているところを想像して青くなった。


「本来、俺は『魂』を感じる特異体質ではない。だが、ノアの体内にある『魂』は肉体に影響を及ぼさないように、殻にこもっている。玉子のようなものを思い浮かべればいい。……その殻も、特殊な何かで極力存在を消しているようだが、微かに気配を放っていた」


 レイブランドは腕を組むと、ぎゅっと眉間の皺を深くしてイーリスを睨んだ。


「なぜノアの体内にこれほど『魂』があるのだ。お前たちは、肉体をどうした?」

「先ほどおっしゃったように、わたくしどもは『あなたと執事クロニクル』というゲームに登場するキャラクターです。もともと、肉体は持っておりません」

「……存在しないものに魂が宿ったのか? この世界ではありえんことだが、ノアが前に暮らしていた世界ではよくあるのか?」

「い、いいえ。日本でもありませんでした」

「そう、これはお嬢様がわたくしどもを深く愛してくださった証なのです」


 イーリスがうっとり空中を眺めながら言った。


「わたくしどもはこの命を得た瞬間、お嬢様とともにあると誓いました。それゆえ、アプリが配信終了してからも、お嬢様の携帯電話のなかに入って、お嬢様を陰ながら見守っていたのです」


 ふと、イーリスの表情が曇る。


「ですが、肉体を持たないわたくしどもは、本当の意味でお嬢様を守ることができませんでした。事故が起きたときも、携帯電話のなかから眺めるしかできなかった。……最後にお嬢様が携帯電話に触れたとき、わたくしどもはお嬢様の魂に寄り添い、ともに天に召されました。焦がれていたお嬢様をあれほど身近に感じたのは初めてで……」


 そのあとの話は、要約すると「感動した」ということだ。


「ノアが転生するとき、どうしたのだ」


 イーリスの興奮気味の語りが途切れたのを見計らって、レイブランドが聞く。

 難しい話になってきたので、ノアはそっと二人の会話から身を引くかたちで聞き手に回ることにした。

 なんだか、身体がだるかった。

 環境の変化による疲れが出てきたのだろうか。


「気づいたときには、わたくしどももこの世界に来ておりました。しかし……もともと魂しかなかったわたくしどもに『肉体』はなく……」

「『魂』だけがノアの『魂』に付随するように、この世界にきてしまったというわけか」


 レイブランドが、ふむと顎に手を当てる。

 考えながら、慎重に言葉を紡いだ。


「それゆえにお前たちは、消滅する前にノアの体内に逃げ込んだ。極力肉体に影響を及ぼさないように、殻をまとって」

「おっしゃる通りでございます」

「……現在までの経緯はわかった。だが、そのようなことが起こるとは到底信じられん。魂は何度も転生を繰り返すものであって、新たに造られるものではないはずだ」

「お嬢様の前世では、前世の記憶をもって生まれた者を『転生者』と呼び、九割の転生者が何かしら特殊な力を得ていたようです」


(……え?)


 ノアは、口をつけていたカップを離した。

 真剣な話の途中とはいえ、喉が渇いたのだから紅茶を飲むくらいいいだろう。


「お嬢様は勤勉で、時間があればいつも世界の理を学んでおられました。それらの本には、異世界という別世界に『転生』した者がよく出てきたのです」

「ちょっ!」


 それはラノベだ。

 前世で読んでいた異世界転生ものである。


(確かに今の状況は、そういったものと似てる……似てるの?)


「やはり世界が異なると常識も変わってくるのか」


 なるほど、と頷いたレイブランドがノアを振り向いた。


「何か言ったか」

「あ……いえ、なんでも」


 読んでいたのは勉強ではなく嗜好品です、と一言いえばよかったが、つい言い淀んでしまった。

 いい大人が夢いっぱいのファンタジー小説が好きだとは、なんとなく言いにくいものである。


 緊張しているせいか、ノアは無性に眠かった。

 寝起きに残っていた疲労のせいかもしれない。


「それで、先生。これからどうしたらいいでしょうか」

「この男が、ノアによって肉体から召喚されたのだとすれば、ノアの魔力系統は『召喚』なのだろう」

「『召喚』ですか」


 魔術師にはそれぞれ得意分野があり、その得意分野を伸ばす方向で魔術を極めるのが通常だという。

 ノアの場合は、『召喚』だとレイブランドはいう。


 召喚とは、悪魔や天使、精霊などと契約を結び、その恩恵を得る魔術のことである。


 これは超がつく高等魔術だというが、すでに従順なものを体内から現世に移動させるだけならばぐっと難易度が下がるらしい。

 とはいえ、やはり無意識にできることではないため、ノアの場合は潜在能力が高いのはもちろんのこと、他にも原因があるのかもしれないとのことだった。


「私の体内に、その、ゲームキャラの魂が入ってるっていうのは確かなんですか」

「証明はできない。今は調べる方法がないからだ。しかし現状と、ノア、マロンドーンの話を合わせるとしっくりくる」

「……非現実的過ぎません?」

「この世の真理がすべて明らかになっていたら、俺は研究などしない。意味がないからだ」


 そんなふうに言われてしまえば、そうですね、としか言えない。

 ノアはふわふわし始めた頭で考えた。


(もし本当に私の体内に乙女ゲキャラがいて、それを召喚できるっていうのなら、他のキャラクターも召喚できるはずよね)


 ノアは、寝る前にイーリスを召喚してしまったときのように、他のキャラクターを想像した。

 傍にいてほしいと強く願う。


 願う理由はたくさんあった。

 ノアは屋敷を離れて以降、ふとしたときに心が空っぽになったような空虚さを覚えるのだ。


 だから、とっさとはいえ召喚は成功したのだろ。


 ずしっ、と重力が強くかかったときのように体が重くなる。

 ふわふわしていた頭が、もっとふわふわした。


「お嬢様、これ以上は体に障ります」

「ノア? ――っ、やめろ! 未熟者がっ、魔力を使いすぎると倒れるぞ!」


 ふらりと机にうつ伏せになったノアを、レイブランドが抱き上げる。

 優しく持ち上げられる感覚には、覚えがあった。


(……屋敷の、炎のなかで……)


 やはり、べリス家からノアを助け出してくれたのはレイブランドなのだ。

 わかっていたことだが、全身で実感するとノアはとても安心した。


 どれほど寂しくても、つらくても――すべてを失った今でも。

 レイブランドの傍でならば、生きていけるような気がした。


「マロンドーン、ノアの体内に戻れるか?」

「マロン号です。お嬢様のお許しがございましたら」

「……ゆ……る……」


 す、とかすれた声で呟いた瞬間、イーリスが消えた。

 少しだけ、体が楽になる。


「召喚した者を具現化していたのだ。つねに魔力を使っている状態なのだから、疲労するのは当然だ」

「……そんな、こと」


 知りませんよ。

 そう続けたいのにうまくしゃべれない。


「常識だ」

(ええー)


 そもそも、魔力ってなんだ。

 転生した今でさえこの世界のことがわからないノアに、常識を求めないでほしい。


 そんな不満が湧き上がってきたが、それ以上の睡魔がノアを襲った。


 ノアはそっと、胸元を押さえた。

 指輪を入れた袋を、首から提げているのだ。


 服の上から指輪の堅さを確認すると、なんだか安心できた。


「もう寝ろ」


 はい、と言うのも億劫で、目を閉じることで答える。

 ノアはレイブランドの腕のなかで、そっと眠りについた。

閲覧、ブクマ、評価などありがとうございます。


次で一章完結。

明日か明後日頃の更新です。


よろしくお願い致します。

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