第二章【五】成功と失敗
フィルムドは盛大なため息をついた。
(こういう仕事もいいけど、早くお嬢様んとこ戻りたいなぁ)
自分のすべてを誓った相手の望むままに動いている現状はある意味幸福だが、やはり彼女の傍で彼女を守るのがフィルムドの使命だと考えている。
だから自分から、従者の役割を名乗り出た。
それなのに、フィルムドは今、なぜか国を出て不気味な森の手前にある小さな村にきているのだ。
ローリィの村というここは、『魔の森』を守護するために作られた村だという。
なぜこんな遠方まで来たのかというと、カラビアルが正体した賓客が、魔術師である可能性が浮上したからだ。
賓客が屋敷を訪れた痕跡を探ったとき、プツプツと足取りが途切れており、また別の場所から続いている――ということがしばしあったのだ。
時空転移というものを扱う、魔術師。
おそらくはそれだろうという話になったのだが、さらに目撃情報を集めていると、どうやらカラビアルが呼んだ相手は『死の魔術師』と呼ばれる大層な魔術師だという話だった。
調べれば調べるほど危険な相手だとわかったため、味方の人数を揃えて遠路はるばるやってきたのである。
死の魔術師――レイブランドは、どうやら時折この村で暮らすジョーンズという青年に会いにくるという。
しかも、村人の目撃情報から、ちょうど半年前にもここに来ていたことが判明した。
(村人が、レイブランドを恨んでいて助かった。怨恨とは、怖いもんだなぁ)
どうやらレイブランドとこの村には、少々厄介な過去があるようだ。
おかげで情報を仕入れることが出来たのだが、結局肝心のジョーンズが『死の魔術師』について話そうとしない。
少々手荒な真似をすることになって、それに怯えた村人たちは家々から出てこなくなった。
(あんまり大ごとにしたくないからなぁ、さっさと情報を寄越してくれないと)
明日の拷問で吐いてくれなければ、長期戦になりそうだ。
フィルムドはまたため息をついた。
ふと、テントの外からざわめきが聞こえた。
夜中に一体なんの騒ぎだろう、とテントから顔を覗かせる。
「どうした?」
ちょうど、直属の部下であるアランがやってきた。
筋骨隆々な彼は、王都で暮らしている頃からの付き合いで、今回も精力的に動いてくれている。
アランは普段から、力では決して負けないと豪語しており、その筋力はかなりのものだ。
そんな男が、真っ青になってフィルムドに掛けよってきたのだから、ただ事で無い何かが起きているのだろう。
「大変だ、フィルムド!」
「見れば分かるよ、要点をまとめてくれ」
「この村には手を出すべきじゃなかったんだ!」
(意味がわからない)
フィルムドはこの場から去りたがるアランに無理矢理案内をさせようとしたが、傭兵たちがある方向から次々に逃げてくるのを見て、走り出した。
(アラン、使い勝手のいいやつだったが)
一度でも裏切ったり、逃げたりした者に用はない。
もう二度と、あの男と組むことはないだろう。
(アランはお嬢様が指輪を探していることも知っているからな、口止めは必要か……なっ、なんだあれ!)
フィルムドはそれを見たとき、意味がわからずに顔を顰めた。
夜闇のなか、松明に照らされて浮かび上がっているのは、巨大なドラゴンだ。
ベリス家の屋敷ほどもあるその巨体は、圧倒的な存在感で空中から拠点にした陣地を睥睨している。
ひと噛みで肉を絶つだろう鋭利で大きな牙、手足の先にはこれまで見たどんな猛獣よりも強固なかぎ爪、巨体を悠々と飛翔させるだけの八枚の翼。
全身を覆うのは、ギラギラと鋭く輝く緑の鱗だ。
「緑の鱗……ドラゴン……まさか」
フィルムドの顔色が青を通り越して白くなる。
「お、おいっ、フィルムド逃げっぞ!」
逃げたとばかり思っていたアランが、追いかけてきてフィルムドの腕を引いた。
すでに傭兵たちは逃げだし、陣地にいるのはフィルムドとアラン、それからテントの中に捕らえてあるジェームズだけとなっている。
「これ、ドラゴンだよな!? 魔物のなかで最強っていう……」
「……それはあくまで、小型ドラゴンのことだよ。この巨体、緑の鱗、八枚の翼……四大魔王の一人、サイラスだ」
「はぁ!?」
アランは思考が追いつかないようで、真っ青になったまま静止してしまった。
フィルムドは自信に冷静になるように言い聞かせるが、気持ちが落ち着く前に、ドラゴンが八枚の翼を大きく羽ばたかせた。
突風が起きて、辺り一帯のテントや荷物が飛んでいく。
飛ばされそうになるのを、身を低くして耐えた。
「チッ」
フィルムドは盛大に舌打ちをして、ドラゴンに向かって叫んだ。
「一体、何が望みだ! なぜ突然、こんなことをする!」
ドラゴンは目を見開き、魔族語だろう耳障りな音を響かせた。
フィルムドは絶望的な気分に目の前が暗くなる。
そうだ、魔族とは意思の疎通が困難なのだ。
それ以前に魔族は好戦的で血を見ることを好むという。今回の襲撃も、何か理由あってのことというよりも、『魔の森』に近づきすぎたがゆえに獲物として認識されたのかもしれない。
だとしたら、このまま為す術無く屠られるだけだ。
しかし、そうはならなかった。
魔族語で喚く緑のドラゴン――魔王サイラスの頭を、そっと撫でて黙らせた男がいたのだ。
「――理由に、心当たりはございませんか」
その男は、そう静かに言った。
赤と白の山高帽を被った貴族風の姿をした男のその声は、静寂が降りた陣地によく響く。
フィルムドは、喉を引きつらせた。
サイラスが大きく口をひらいて威嚇した衝撃で、後ろにふらついてそのまま地面に尻もちをつく。
(まさか……まさか……ッ!)
あのドラゴンは、魔王サイラスの特徴が顕著である。
フィルムドも聞いただけで実物を見るのは初めてだが、このような恐怖の対象がこの世に二つあるとは思えない。
すなわち、ドラゴンは魔王サイラスで間違いないだろう。
魔族のなかに僅か四人しか存在しないという、魔王。
そんな魔王に跨がり、頭を撫でることのできる人物などたった一人だ。
(では、あれは……あの男こそ、魔帝ジェイドリウス)
魔王さえ使役魔物のように扱うという、魔帝ジェイドリウス。
魔物、魔族、それらすべてを使役するこの世の強者である。
二百年前の魔物と人の争いでは、魔帝ジェイドリウスが通った場所は草一つ残らなかったという話だ。
自然と人々は、魔帝ジェイドリウスをこう呼ぶようになった。
「……殺戮魔帝」
魔帝ジェイドリウスの二つ名を呟いたフィルムドに、アランが「ひいっ!」と情けない叫び声をあげた。
「う、嘘だろ!?」
「あの緑のドラゴンは、魔王サイラスだ。その首に跨がることができる者といえば、魔帝ジェイドリウスしかありえないだろう。……サイラスは、魔帝ジェイドリウスの実弟という話だし」
「こ、こ、殺されるッ!」
取り乱すアランとは反対に、フィルムドは冷静さを取り戻しつつあった。
どうやら魔帝ジェイドリウスは、人語を理解できるようだ。
そして問いかけてきた。
(問答無用で殺すつもりはない、ってことだな)
「答えなさい」
魔帝ジェイドリウスが言う。
ださいと思える赤と白の奇抜な山高帽も、魔帝ジェイドリウスが被っていると思うとこれ以上ないほど強く見えた。
「……覚えは、ない。俺たちが、何をしたというんだ」
「わからないと?」
「ッ、わからない。教えてくれ」
(もし不用意に返事をして、それが当たっていたら面倒だ)
わかっていてやったのと、知らずにしてしまったのでは、相手の印象が変わるだろう。果たしてそれが、魔族相手に通用するかどうかは不明だが。
「……『魔の森』は僕たちの住処です。近くでうるさくされたら困るんですよ」
「あ、ああ、そうか。それなら、騒いだりしない。兵士も撤収させる!」
「僕はね、気分を害したんです。無傷で帰れると思っているんですか」
フィルムドは、狼狽した。
相手の求めているものがわからない。
どう返事をすれば正解なのだろうか。
「まぁいいでしょう。どうぞ、立ち去ってください」
「え……あ、ああ、すぐに――」
魔帝を怒らせて、お咎めなし。
そんなうまい話などあるはずがないのに、フィルムドは今のうちにと逃げようとした。
踵を返そうとしたとき。
「あなたがたには呪いをかけました。数年以内に体の至るところが腐敗し、やがて腐敗は全身に回るでしょう。苦しみながら死になさい」
(は……?)
「待っ」
「それとも、今ここで死にますか」
魔帝ジェイドリウスの言葉に会わせて、サイラスが翼を羽ばたかせた。
フィルムドは、もう何も言えなかった。
呼吸すら苦しくなる威圧感のなか、アランと手を取り合って無我夢中で逃げる。
今は恐怖に急き立てられるまま、この場をあとにするしかできなかったのだ。
◇
様子を眺めていたノアは、その場で固まっていた。
しかし、倒れているジョーンズに気づくなり、彼のもとに駆け寄る。
あちこちひどくぶたれたような痣があり、腕や足、背中は皮膚が切れて血が滴っていた。
(私の手当くらいじゃ足りない……そもそも、何も持ってない!)
ノアはジョーンズを背中に抱えて、村に向かって這うように歩き出す。重いけれど、引きずってならばゆっくり進める。
「私がやろう」
すっ、と横からサイラスがジョーンズを背中に担いだ。
あまりにも軽々としているから、ノアは彼に任せることにした。
村の近くまでくると、村人たちがノアたちを睨んでいた。
彼らも遠巻きに、サイラスたちのことを見ていたらしい。
先頭に立つ老婆が、一歩進みでる。
「二度と、この村にくるな」
ノアは息を詰めた。
「ジョーンズは村の子だ、大切なんだ。これ以上、この子をあんたら魔術師のことに巻き込まないでくれ」
老婆の真摯な瞳に、ノアは何も言えなかった。
さっきまで家に隠れてたくせに! そう叫んでしまえば楽になっただろうに、ノアは彼らの言い分もとてもよく理解できた。
「マスター。一度僕の召喚を解き、パプキアを召喚してください。彼は回復が得意ですから……いいですか、先にマスターのMPを回復してくださいね」
ノアは力なく頷き、心配そうなユンをその場から消した。
人々の間にざわめきが起こるが、ノアはユンに言われたまま、パプキアという『魔導師』を召喚する。
(あ、もう辛い……)
頭がふわふわして倒れそうになったノアを、首に怪しいドクロのネックレスを吊るしたミステリアスキャラクターパプキアが支えた。
彼は現れるなり、ノアの魔力を回復させる。
パプキアは滅多に喋らないという、寡黙キャラクターでもある。
(あれ?)
低血糖のときのようにふらふらなのに、回復を受けた瞬間、魔力が溢れるのを感じた。
むしろ以前より強い魔術を使えそうだ。
「……こんなに回復するなんて、なんか……チート感が……」
つい呟いてしまってから、軽く首を振って考えを辞めた。
チートだろうが使えるものは使うのだ。
パプキアは引き続き、ジョーンズの治療に当たった。彼はヒーラーでもあるのだ。
ジョーンズの治療が終わって、あとは目覚めるのを待つだけとなった頃、村人が恐怖の目を向けていることに気づく。
「もしや、ジョーンズは魔術師に……」
(あっ)
魔術で治癒できるのは、魔術師の体だけだ。
パプキアは、魔導師だがこの世界の『魔術師』の理からは外れているらしい。
ノアは堂々と、「このドクロの人は医者よ。魔術師じゃないわ」と伝えた。
苦し紛れ感が半端なく、村人たちもかなり訝っているけれど、強引にジョーンズを託す。
そしてノアは、パプキアとサイラスとともに踵を返した。
このままカッコよく――ではなく、潔く去ろうと考えたのだ。何より、一刻も早くレイブランドのもとに行きたい。
ノア一人では不可能でも、サイラスがいればおそらくレイブランドのもとに戻れるはずだ。
夜も更けていた。
レイブランドを思うと、不安と切ない気持ちが溢れてくる。
会って無事を確認したい。
ジョーンズのことを、話したい。
「……そこまで、覚悟を決めておるのか」
老婆の低い声が、ノアの背中に告げてくる。
「魔王サイラスを……いや、魔帝ジェイドリウスを人里まで連れてくるなど」
(……ん?)
なんだろう、魔帝って。
「去った傭兵たちの口から、此度のことは人づてに広がるじゃろう。これは、世界中を揺らす出来事ぞ」
え。
えっと。
そういえば、レイブランドとアガーノは、魔族が現れただけで尋常なく慌てていた。
それなのに、今日は魔王と魔帝――実際には別人だ――が揃って人々の前に姿を現したのだ。
結果としてノアが望んでいた通り、人々を蹴散らしたわけだが……。
(もしかして私、なんかとんでもないことしちゃった……いやいやいや、しちゃったよね!?)
顔面蒼白になるが、もはや手遅れだ。
このときにはすでに、逃亡した傭兵たちがあちこちに魔王出現の件を触れ回っていたのである。
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