第二章【三】指輪の追手
「……本当に嫁にする気かね?」
アガーノがレイブランドを見下ろしながら聞く。
ノアはドキドキしながらレイブランドの表情を見たが、彼がきょとんとしているのを見て、何が起きたのか悟った。
レイブランドは、研究や実験に集中していると適当な返事をすることがあるのだ。
たいていが空返事なので、本人は何を言ったのか覚えていないのである。
「なんの話だ」
「今、話していただろう? ノアを妻にという話があったと」
「ああ……確かにそういう話もあったが、断った。それゆえに弟子にしたのだ。ノアは身寄りがなくてな」
「……なるほど。レイブランド、その適当に返事をする癖をやめたまえ。誤解を招くぞ」
「知らん。魔術中に俺の気を散らそうとするからだ」
アガーノの意見に全面的に賛成したいノアだった。
レイブランドは、つと目を眇めてベッドで横になっている男を見た。
「それより、この男は魔族だ」
ひやりとしたレイブランドの声音で、一気に部屋に緊張が走る。
青い顔をさらに青くさせるアガーノの隣で、ノアは首を傾げた。
「魔族って、魔物とは違うんですか?」
「魔物の上位に位置する者だ。膨大な魔力を持ち、知恵がある」
魔力というものは、人から見て不可思議な力、の総称らしい。
ゆえに、魔族が扱う術も、魔術師がもつ力も、まとめて魔力と呼んでいるそうだ。
ノアは、ベッドで眠る男をみた。
眠っているからか、ノアたちと何が異なるのかわからない。
「……あの、待ってください。それじゃあ、この魔族の治療は――」
「治した瞬間、殺されるかもしれんぞ。魔族は好戦的なうえに、主食は人間だ。魔術師を食べる輩もいるという」
「でも」
「とりあえず、アガーノの応急処置を補強する形で治療をした。骨折した箇所に添え木をする程度のものだが」
それが限界なのだろう。
ノアにとっては、魔物や魔族と言われても現実感がなく、眠っている男の姿も人間にしか見えないから不満はあるけれど、仕方がないのだ。
(添え木か。それで治るような感じには見えなかったし、これからどうなる……ん?)
ちら、と甲冑の男を見たノアは、固まる。
はたり、と目が合ったのだ。
男の目は血のような深紅の色をしていた。
何度か瞬きをした男は、音もなくスッと半身を起こすと。
「……ここはどこじゃ?」
不思議そうに呟いた。
この男、顔だけではなく、声までかっこいい。
(上半身もほっそりしててモデルみたいだし……)
ぼうっとしているノアを、レイブランドが背中に庇う。
「アガーノ、ノアを連れて逃げろ」
レイブランドは警戒しながら命じた。
アガーノがノアの手を掴んで外に引っ張り出そうとする。
「待ってっ」
思わず叫んでしまった瞬間、魔族の男がノアを振り返った。
「ぬ、女子に手をあげるのは感心せぬぞ」
と、彼が心配そうに呟いた――瞬間。
ノアの視界がパッと変わる。
視界が変わる寸前の、ぐわんと目の奥が揺れるような奇妙な感覚には、覚えがあった。
(今のって、時空転移……?)
ハッと辺りを確認する。
そこはもう、レイブランドの家ではなかった。
橙色が夜闇に飲み込まれんとする、逢魔が時。
ノアは半壊している建物のなかに立っていた。
見上げると、壊れた屋根の隙間から、橙色と灰色の空が見える。
(……ここ、見覚えが……)
もう一度、今度は目を凝らして辺りを確認した。
(まさか!)
踏み荒らされた庭に出て、家屋を振り返ったノアは確信する。
ここ、ジョーンズの家だ。
ノアはよろけて、頭を抑えた。
「私、時空転移でここにきたのよね」
おそらくだが、レイブランドがノアを避難させたのだろう。
彼は魔族をとても警戒していたし、ノアを逃がすとなれば顔見知りであるジョーンズのもとにするだろうから。
(そうよ、先生が私を転移させた。でも、ジョーンズの家がこんな状態だってことは、知っていたのかしら)
ノアは顔を顰めた。
すぐにでもレイブランドの元に戻りたいというのが本音だが、ノアはまだ転移魔術を扱えない。
(先生たちが心配だけど、戻れないし……戻っても足手まといなのよね、きっと)
レイブランドたちを信じて、魔族のことは任せよう。
というか、そうするしかない。
今から徒歩でレイブランドの家を目指すなんて、もう日も暮れるし、レイブランドの家がどこにあるのか具体的な場所もわからない今、ノア一人で戻るのは現実的ではなかった。
ノアは、改めてジョーンズの家をみた。
ローリィの村の外れにあるその戸建ての小さな家は、心身共に疲れたノアを包み込んで癒やしてくれた場所だ。
そんな特別な場所が、今は無惨に半壊しているのだ。
何かあったのだ、とノアは表情を厳しくする。
(ジョーンズは無事かしら。……確か、村の中心地に集会所があるって言ってたわね)
ノアはひと通りジョーンズの家と周辺を見たあと、日が暮れる前にローリィの村に向かって歩き出した。
集会所は、普段は地元の人々が話し合う場として使われるが、災害などで避難する場合に利用することもあるのだ。
少し歩くと、ぽつぽつと松明のような灯りが見えた。
村の中心地では多くの松明を焚いているらしい。少なくとも人はいるようだ、とホッとして、不安な気持ちに急かされるように、ノアは足早になる。
しかし、松明の灯りが真新しいテントを照らしていることに気づいて、ノアは歩みを止めた。
複数のテントが、村の手前に広がっている草原に建っている。
どうやら煌々と辺りを照らす松明は、テントの周辺を照らしているようだ。
(これって、野営……?)
まるで軍人が使ってそうなテントである。
(救助隊……かしら)
ジョーンズの家が半壊していたことから、ノアはそのように考えた。
しかし、どうも近づくことが躊躇われて、その場から一歩が踏み出せない。
ふと、一際大きなテントの幕が上がり、なかから男が軽く身をかがめて出てきた。
その横顔を見た瞬間、ノアは全身が硬直した。
どくんどくんと、心臓が壊れそうな程に早鐘をうつ。
(あれって、ライラの友達……?)
――友達が出来たのよ、お姉様にも紹介するわ
微笑むライラの姿と、彼女に紹介されて頭を下げる青年の姿を思い出す。
あの日以後、ライラは彼を従者に取り立てて、傍に置いていたからよく覚えている。
名前は、フィルムド。
いつだって柔和な笑顔を浮かべている優男だ。
(い、いいえ。考えすぎだわ。雰囲気だって違うもの――ひっ)
フィルムドが、勢いよく振り返った。
恐怖でガチガチと歯がなってしまい、両手で口を押さえる。
ノアはできる限り息を潜めた。
まだ野営地まで距離があるし、幸いにも闇が夕陽に取って代わったばかりのこの時間、人の視力は極端に当てにならなくなる。
松明の陰影も味方してくれているようで、彼がいる場所からノアは見えにくいだろう。
瞬時にそう察したノアは、闇に身をひそめながらフィルムドの視線が他に向くのを待つ。
(落ち着くのよ、落ち着くの私!)
心臓が大きく脈打っていた。
背筋に冷たいものが伝って、全身が痺れるような感覚がする。
ノアの知っているフィルムドは、ライラの傍で微笑む優男だ。
しかし今、闇に――ノアがいる周辺に目を凝らし何かを見つけ出そうとしている男は、真逆の雰囲気を纏っていた。
狂気、というのだろうか。
心のなかに凶暴な何かを飼っていて、それに心身を乗っ取られているような……ノアの知るフィルムドとは、別人のようだ。
(……怖い)
カラビアルの姿を思い浮かべることで、なんとか冷静さを保った。
静かに息を吐く。
少し気持ちが落ち着いてきたとき、ふと、別のテントから筋骨隆々な男が現れた。
「フィルムド、っと。どした、怖い顔して」
「……いや、気のせいだ。で、なんだ」
「いやぁ、あいつ口が硬いわ。痛めつけても、なかなかしゃべらねぇの。本当に知らないんじゃねぇの?」
フィルムド、と男が名前を呼んだ時点で、やはりあのフィルムドなのだと確信した。
「そんなはずはない。間違いなく、あのジョーンズって男は『死の魔術師』と知り合いだ。半年前、ここに数日滞在していたという目撃情報がある」
ノアは息を飲んだ。
(ジョーンズは、今、もしかして……)
筋骨隆々な男が出てきたテントを見る。
少しだけ他より大きなそのテントで、今何が行われているのか。
(死の魔術師、って先生のこと? ……半年前、私を助けたときに姿を見られて、だから、こんな……)
「その『死の魔術師』が、指輪を持ってる可能性が高いんだっけ」
「ああ。……明日、ジョーンズの前で村人を一人ずつ殺していこう。俺がやるよ」
うわ、と顔をしかめる男に、フィルムドは微笑んだまま別のテントに入っていった。
追いかけるように男も姿を消したのを確認すると、ノアはすぐに村から離れた。
全身が震えて、思考がまとまらない。
無意識に首から吊るしている袋に触れて、指輪を確認した。
すっかり闇に覆われた森に入り、やっと足を止めた。
(……ライラが、指輪を探してる……ここまできた……!)
早く逃げなければ……どこに。
ジョーンズはどうなるの……村の人は?
がくりと地面に座り込む。
胸を抑えると手のひらに鼓動が伝わってきて、ごくりと生唾を飲んだ。
(大丈夫、まだ指輪はここにあるわ。考えるのよ)
何を優先的に考えて、何を成すべきかを。
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