第二章【二】治療とアガーノ
快晴のように澄んだ青色の髪をした男だった。
肌は白く絹のように滑らかで、顔はノアがこれまでに出会ってきたどんな人よりも整っている。
いかつい甲冑姿だったから男だと思ったが、もし最初から顔を見ていたら性別を間違えていたかもしれない。
そう思うほど、甲冑男は中性的な美貌をもっていた。
(体つきも細いし、なんかこう……セクシーよね。色気が滲み出てるわ)
レイブランドの家、その端にある小さな空き部屋のベッドにその男は寝かされている。
纏っていた甲冑はレイブランドがどこかに持ち去ってしまったので、ベッドにいる男は全裸だ。
身体に掛けている薄い布団が静かに上下していた。
部屋には、ノアのほかにアガーノがいる。
彼はベッドの傍に椅子を置いて、ずっと男に手を翳していた。
「……ふぅ」
アガーノがため息をつきながら、手を下ろす。
「どうしたの?」
「応急処置を終えたのだ」
「無事なのね」
呼吸しているので生きているとは思っていたけれど、息があるから大丈夫だと言い切れないのが怪我や病気である。
正直、アガーノが何をどう応急処置をしたのかよくわからないけれど、レイブランドの知り合いなのだから信用できるはずだ。
アガーノは痩せた己の頬を撫でながら、「ふぅむ」と唸った。
「今年は、何かと珍しいことが起こるな」
「なに?」
「いや」
「聞こえるように呟いたんでしょ、教えてよ」
気になるじゃないの、とアガーノに問い詰めると、彼はだるそうに肩を竦めた。
「この者の体はヒトのそれとは違う。ゆえに、私の治癒魔術では応急処置が精一杯だ。どこをどう治療してよいのかわからんからな」
「ヒトと違うってなに?」
アガーノは、軽くため息をついた。
「そのままだ。この男は、人間ではない」
「あ、そういえば『魔の森』から這い出てきたような跡があったわ。魔物かしら……?」
「魔物は本来、こちら側には出てこないはずなのだがね。しかし、魔物という線も捨てきれん。私にわかるのは、この男がヒトではない、というそれだけだ」
つまり、何もわからないということである。
ノアの不満げな様子に気づいたアガーノが、露骨に咳ばらいをした。
「レイブランドならば、もっと詳しくわかるだろう。なにせ、最上の治癒魔術師なのだから」
「私、魔術師についてよく知らないの。それってすごいの?」
「当然だとも。レイブランドは、治癒魔術師のなかでもっとも優れているのだから。かつては、その名声を欲しいままにした男だぞ。こんな辺鄙なところで腐っていてよい者ではない」
「そうなのね」
返事をしたのに、今度はアガーノが不満そうな顔をした。
「それだけか? もっと驚くべきではないかね」
「どれくらいすごいのか想像できなくて。とにかく、先生なら治せるかもしれないのね! 呼んでくるわ」
「そういえばきみは、レイブランドを『先生』と呼んでいるがどういう関係なのだ?」
すでに踵を返していたノアは、肩越しにアガーノを振り返った。
一瞬だけよそ見をしたそのとき、部屋に入ってきたレイブランドとぶつかる。
「弟子だ」
レイブランドが憮然と呟いたのに続いて、ノアもこくこくと頷いた。
アガーノが、なぜかものすごくゆっくりと目を見張っていく。言葉を脳が処理しきれていないような緩慢な動きである。
「弟子? 弟子といったのか、レイブランド!」
「そうだ」
「きみが、弟子! ついに現役復帰のときがきたのかね? これはめでたい。皆、きみが魔術師として活躍するところを心待ちにしているよ」
「しない」
「なぜ? 弟子を取ったということは、魔術にまだまだ関心があるのだろう? 無礼な人間どものことなど忘れてしまえばよい、どうせ二百年も昔の――」
「アガーノ」
レイブランドの苛立った声に、アガーノは口をつぐんだ。
アガーノは一瞬だけノアのほうを見ると、口元を抑えて咳ばらいをする。
「ンンッ、すまない。つい興奮してしまった」
「そのようだ、黙っていてくれ。お前はいるだけで気が滅入るんだ」
へにょん。
アガーノの表情が、そんな擬音が似合うような傷ついたものになる。
「――この男が、あのふざけた甲冑を着ていたことに間違いないか」
レイブランドが低い声で言った。
アガーノと視線を交わしてから、ノアが頷く。
「そうです」
「見つけたのは、ノア、お前だな」
「え? あ、は、はい。それが何か――」
「とんでもなく厄介なものを拾ってくれたものだ」
「っ」
ノアは青くなる。
心配そうにアガーノがノアを見た。
レイブランドの毒舌は挨拶や呼吸と同じなので、ノアはあまり気にしない。
ノアが体を震わせたのは、レイブランドの声音に焦りが含まれていたからだ。
「私、何をしてしまったんですか?」
「あの甲冑は魔具だ。しかも強力な呪術がかけてあった」
アガーノが、ガタリと音をたてて椅子から立ち上がる。
彼の顔色もサッと青くなった。
「呪術ですと……?」
「そうだ。幸い、俺でも解除できる類のものだったが、危うく食われるところだった」
レイブランドがそう言って軽く右手を振った。
何げなくそちらに視線を向けて、ノアはヒッと悲鳴をあげてしまう。
レイブランドの右手が、焦げたように黒くなっていたのだ。
ノアとほぼ同時に気づいたアガーノが、すぐさま懐から紫色の小さな香水瓶を取り出してレイブランドの腕に振りかける。
角度を変えて、すべての皮膚にかかるように。
すると、黒くなっていた皮膚が化石のように変色しながら剥がれ落ち、その下には元通りの肌が現れた。
レイブランドは自分の手を見て、握ったり開いたりを繰り返す。
「……さすがだな、アガーノ。どうやって作っているのか、未だにわからん」
レイブランドが、ノアを見た。
「アガーノは三番目の弟子でな。最上位の魔術薬師だ。最上位というのは、それぞれの分野でもっとも優れた魔術師を指す。お前がいずれ自立すれば、アガーノやほかの魔術師と関わることもあるだろう」
自立、と言われて、ノアは束の間寂しくなる。
どんなに毒を吐かれても傷つかなかった心が、今の生活の終わりをほのめかされただけで、ずきりとするのはどうしてだろう。
もとの暮らしに――カラビアルから託された現実に、戻らなければならないからだろうか。
それともノア自身が、レイブランドと離れたくないのだろうか。
(でも、いずれそういうときは来るわ。私がやらなければならないことは、ここでのんびりと暮らすことじゃないもの)
レイブランドが甲冑の男の傍に歩み寄っていた。
アガーノが、応急処置をしたことや男がヒトではないということを話している。
レイブランドは静かに頷いた。
「だろうな。世間一般のヒトならば、あれほどの呪術を受ければまず生きていないだろう。触れただけでもただれる代物だ」
咄嗟に、ノアは自分の両手をみた。
レイブランドの黒く変色した手は、呪いに触れて痛めたものだったのだ。
(私、めちゃくちゃ触っちゃった! 怖いっ)
じっくり見るけれど、手はどこも痛めていなかった。
アガーノもノアを心配して駆け寄ってくれたが、彼が見てもノアの手に異常はない。
二人で首を傾げていると、レイブランドから声がかかる。
「近い! 離れろ」
言われるまま、ノアはアガーノから離れる。
師であるレイブランドの言葉は、絶対だ――そのことが、半年でしみついていた。
「レイブランド、そのように怒鳴らなくてもよいのではないかね。きみは怒りやすくてかなわんよ」
「お前がノアに触れて、ノアまで辛気臭くなったらどうする」
へにょん。
落ち込んだ顔をしたアガーノだが、すぐに我に返った。
「あの甲冑だが、どのように呪いを受けた? 彼女も触れたのだが――」
はじかれたように、レイブランドが顔をあげる。
信じられないように目を瞬いて、ノアのもとに足早にやってきた。
「どこだ? どこに触れた?」
「両手で脱がしたので、この辺りです」
森に迎えにきたレイブランドには、すでにしこたま怒られていた。
見知らぬ者が倒れていたのなら、知らせにくるのが先だと。自分で対処しようなど考えるなと。
また怒られるのだろうと、両手を見せながら身構えるノアに、レイブランドは厳しい表情で口をひらく。
「……何もないな。呪いは纏っている者を優先的に呪うのか……いや、そんな軽い呪いではなかったが……ノア」
「はい」
「しばらく要観察だ。傍から離れるな」
「わかりました!」
レイブランドはまたベッドに戻ると、男の首筋に両手を添えた。
触診とはまた違う触れかたで、ピアノを弾くようにはじいたり、なめくじが這うように指を動かしたりしている。
魔術をすこしかじった今のノアならば、レイブランドが魔術を使っているのだとわかるが、知らなければ、ただの怪しい人に見えてしまう。
レイブランドは魔術を使っても、たいていの場合すぐに顔をあげる。
だから今回もそうだろうと思っていたが、レイブランドは厳しい表情のまま魔術を使い続けた。
ノアにはレイブランドが使っている魔術が一体何なのかわからない。
しかし、こうして長引くことはあまりよいことではないような気がした。
「ノア、といったかね」
ふと、アガーノが歩み寄ってきた。
彼の視線はレイブランドに向いたままだ。
「きみは本当にレイブランドの弟子なのか……二人で私を謀っているのではないのかな、と考えたのだが……」
「不出来だけど、弟子よ」
むっとして言うと、アガーノは頷く。
そして、にやりと口の端を釣り上げた。
「レイブランドは、隠居して魔術から手をひいた身だ。二百年間、人や魔術師と関わるのを極力避けてきた男が、なぜ今弟子をとる? 教えろ、どんな手を使った?」
「別に、何も」
「嘘はよくないぞ、ノア。それともレイブランドを独り占めしたいのかね?」
「……何が言いたいのよ」
少し苛立って、強い口調になってしまった。
アガーノは、ふんと鼻をならすと真面目な顔でいう。
「レイブランドを、魔術師に戻したい」
「魔術師に戻す? ああ、隠居してるから、現役に戻したいってことね。……でも、そんなの先生の勝手じゃない。やりたくないこと無理やりさせるのって、どうかと思うわ」
「……きみは、レイブランドがどれほど偉大かを知らんのだ」
「うるさいぞ!」
レイブランドから、怒声が飛ぶ。
魔術は中断されておらず、視線も男に向いたままだ。
「レイブランド、なぜノアを弟子にしたのだ」
「ノアの母親に頼まれたのだ。ノアを妻にしてほしいと」
「む」
「えっ」
(それは初耳なんだけど!)
レイブランドからは、弟子にするように頼まれたと聞いていた。
では今の話は嘘なのか?
なぜこんな嘘をつく?
ノアの頭のなかで、ぐるんぐるんと『妻』の文字が回る。
「……では、ノアを弟子としてここに置いているのは、いつか妻にするためと……?」
(ええっ!)
心臓が大きく脈打った。
ドキドキとして落ち着かなくなる。
「それもいいが」
(いいんだ!)
レイブランドが、静かに息を吐きながら手を止めた。
その表情は青を通り越して白くなっている。
ぎょっとして駆け寄ったノアの手を借りて、レイブランドが椅子に座った。
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