歪んだ正義
重苦しい殴打の音に部屋中は苛まれていた。
姿が見えるようになり、全身を貝の殻のような質感の装皮を露わにしたシェイプが、その拳を振っていた。
肉が潰れるフレッシュな水音が只の水ならばよかったのだが、それは血の舞い散りであり、歯かそれとも何かか、顔を赤く染めた劉は血あぶくを吹いて何かを懇願していた。
「シェイプ……なに、を──」
『何をって? 憂さ晴らしに決まってんだろ!』
変身したことで声帯が変化した事でシェイプの声は恐ろしい声色に変化していた。
拳を真っ赤に血に染めて、まるでサンドバッグでも殴るかのように人の顔を殴りつけている。
ヒーローのパンチは人をも殺せるのに、その勢いは躊躇を知らずに力任せに殴りつけられた顔の皮膚はとうに裂け、赤黒い筋肉が露わになり、人の形をしているからそれが頭と分かるがそれ単体で見ればもう顔に当たる部分は原型を留めていなかった。
唇は千切れ、鼻は潰れて、眼球はもうなく透明な液体が流れそれは血によって赤く染まっていた。
「何してるんですか! いくら何でもやりすぎです!」
『やりすぎな事はないんだよ! こいつは俺たちの売り上げを掻っ攫った泥棒野郎だ!』
力強い一撃が劉の顔をビリヤードの弾のように突いた瞬間に下顎が拳の勢いに負けて、顔から千切れ飛んだ。
思わず目を瞑り、その光景を拒絶した。この光景はあまりにも残酷過ぎる。
人を人とも思わない殴り方は板に付いているようで、これはまさに拷問だ。
「その行いは、ヒーロー業務法の禁止要項に当たりますよ!」
『禁止要項? 大丈夫だこいつは特殊要項で片が付く!』
遂には上顎が潰れて、凄まじい鮮血が辺りに散った。
見るに堪えない。私の喉元から吐き気が込み上げてくる。変身姿のままに私はその場で吐き出してしまい、周辺に異臭が立ち込める。
こんな事、こんな所業、ヒーローのやり事ではない。これは──。
「悪役じゃないですかこんな事をするなんて!」
『そいつはちょっと違うな。お嬢ちゃん』
部屋の奥より現れたのは銀色の装皮が眩しい拳骨魔で通っていた『元』ファイブのメンバー、アーム・クランチだった。
『俺が呼んだんだ。記者も来てるからな、ファイブ休業の報せにはちょうどいい』
そういったシェイプの声は楽し気にいう。人を虐げているとは思えないような楽しそうな声に私はシェイプの正気を疑ってしまう。
そんな彼の様子を同じく楽しそうに見ているアームは手に持っているモノをこれ見よがしに見せて遊ぶ。
『見ろよシェイプ。こいつ海賊品をこんなに売りさばいてる。ここの金庫には少なくとも一万ドルはあるぞ』
『ひどいなこの帳簿、俺達の金をこんなにがめてやがったのか!』
帳簿に目を通して喚くシェイプの反応はまるでお菓子を取られた子供のように邪気がない。
邪気がないそれ故に邪悪な姿に、その姿相応の悪魔を私は目にしていた。
『おっと、そろそろ機動隊へ突入の合図を送らねえとな』
『シェイプ、これどうすんだ?』
『お前のお得意だろアーム、分からないように片付けてくれよ』
ため息をついたアームが劉のこめかみに両手を合わせ、万力の要領で頭をぷっちと──。
「ぐっ、おぇ……」
もう胃の中身は空っぽなのに吐き気だけが押し寄せて、胃液が口から垂れ落ちた。
こんな事はヒーローのやることではない。悪役が、極悪のヴィランのやることだ。
歪んだ現実と苦しさから目元から涙が滲んで零れ落ちた。
これがファイブなのか。これが正義の味方なのか。これがヒーロ──―。
『ディーヴァ。早く立て、機動隊が来るぞ』
シェイプに腕を引かれて立たされた私は、もはや気力を保っていられなかった。
あれだけ夢見たヒーローは利益ばかりを追求する集団だったなんて。
失望、落胆、そして絶望。
拷問がまかり通るヒーローは許されていいのか。そんなことはない、許されてはいけない。
だが、私には──これを変える手が思い浮かばない。
変身が自然に解けて、私はコスチューム姿で建物からシェイプとアームに引きずり出される。
建物を出た瞬間に目の前で一斉に煌くフラッシュの光と、シャッター音。
記者団が押し寄せ、私たちはOSEのヒーローとしての立ち振る舞いを要求される。でも今私はそんな状況ではなかった。茫然自失で、あの光景に頭の中が支配されていた。
「シェイプ・オールドはいらっしゃいますか!? そちらの方は誰なのでしょうか?」
「アーム、今回の戦績は? この会社にはどんな嫌疑が?」
私たちの姿を見るなりマイクやボイスレコーダーを突き出して質問の嵐を投げかけてくる記者は、あれを見ていない。
見ていないから、私たちが英雄に見えている。
そんなことはない、私たちはヒーローなんておこがましい事は言えない。ただの強盗と同じだ。
私は今までこれを見せられてきたのだ。英雄的に見えるように演出されたファイブの面々に。
ここで私があれを吐露してしまえば、きっと解決できるそう思うが出来なかった。
心の弱さもそうだが、肩を預けているアームの手が私の肩を強く掴み脅している。
『何もしゃべるな』と。
「おうおう、少し落ち着けよ皆。俺たちの口は一つだけだ!」
そう大声で言ったアームが記者たちを落ち着かせ、一人一人から質問を受ける態勢を整えていく。
先ほどから静かに黙っているシェイプは表の顔である、寡黙な人物像を演じている。すべてが計算された演出、広告でしかないヒーロー。
「そこの、質問は? 一人一つだ」
アームが記者の一人を指差して、質問を促した。
記者の一人が名乗り、質問を投げかけた。
「オース出版社のクローズです。そちらの抱えられている方は新しいヒーローですか?」
「あー、こいつはな。まあそうだな、俺の口からは言いにくい」
「私が答えよう」
演技のような言い方で、シェイプが名乗りを上げる。
「彼女はディーヴァ、アームは現在負傷していて万全の状況ではない、その為に代わりにファイブの席を渡している」
フラッシュがその反応により一層強く焚かれ、私たちの顔を撮った。
何が、代りか。アームが首にするいい口実を取り繕ってこの立場から追い出したに過ぎない。
私はその穴埋め、ただの換え物でしかない。
「前の任務でどちじっちまってな万全になれば、すぐにでもファイブに戻ってやるよ」
「その場合は彼女の為にも、新たな立場、ファイブの名に反すが新しい席を用意する予定だ」
その言い訳に記者たちは歓声のような騒めきを広げ、更なる質問を掘り出す。
アームは別の記者に指を差して質問を訊く。
「OSN週刊誌社の、メリー・ジェーンです。質問なのですが、つい最近囚人護送車が襲われ多くの囚人が逃げ出した件なのですが?」
「それが?」
「どこまでOSEは把握しているのでしょうか? 市民はそちらに不安を募らせています。今後の対応は」
「オーロヴィル市警からはその情報は聞いている、今は連中の顔も伏せられているが、西部劇だ。俺たちのホームページでウォンテッドを出す、情報を知っている奴が教えてくれたら、少しだけだが謝礼もやる」
その挑発的な言い方でアームは市民を煽っている。アクセス数を稼ぐ、体のいい口実を設けている。そう感じられる言い方だったがおそらくこれを見ている人間はそこまでの配慮はいかないものだ。
謝礼目的のヒューマンハントの演出で、これまで以上にヒーローの活躍の場を作り出そうとしているのだ。
「ディーヴァとの写真を撮っても構いませんか?」
「ああ好きなだけ撮れ」
手を離された時、シェイプが誰にも聞こえないように、誰にも見えない姿で私の耳元で言った。
(余計なことはするな。業務違反で罰金を食らいたくはないだろ)
ゾッとしてしまう。OSEに所属した時に渡された業務規約の中には労働違反の項目があり、その中には私が一生かけても払いきれない罰金と、裁判への過程が書き記されている。
家族にまでその魔の手が伸びようとしていたのだ。
私はマスクで隠された唇を血が出んばかりに噛み締めて、鋭い目つきでメリー・ジェーン記者のカメラの前に立った。
「少しこっちに寄ってもらえる?」
立ち位置を調整するように、体を押されギターケースの位置を調整するジェーンは見栄えのいい写真を一枚撮った。
「ありがとうございます。ミス・ディーヴァ」
「……ええ、ありがとう」
私は静かに身を引いて、その言い知れぬ恐ろしさに体を震わせた。
酷いところだ。言い表せないほど酷いところだ。こんなに醜く、こんなにも陳腐な世界だった。
ヒーローなんて所詮、理想の産物だった。
………………
「おい、ジェフリー。ヤバいんじゃないかこれ?」
「あ?」
ハンバーガーを食べながら、僕はテレビ画面にデカデカと表示されるニュース映像に手に持ったバーガーからピクルスが零れ落ちた。
『ヒーローへの支援! 囚人たちへ指名手配!』とテロップが流れ、そこに流れる囚人たちの名前と顔写真は約五名ほどあり、その中には僕の顔が流れた。
その瞬間、向かいに座っているジェフリーに向かってブーっとドリンクを吹きかけてしまう。
「……やってくれたな」
声を押さえて、僕は必至な顔で彼にいう。
「それどころじゃないだろ! 俺が指名手配されてる!」
「おめえはもう社会的に死んでる。あの写真もすぐに消える」
「大体お前、あの護送車から何人逃がしてんだよ……!」
「全員だ。もちろん目的があってだよ」
そう言って紙ナプキンで顔を拭いたジェフリーは苛立ったようにそれをテーブルに投げつける。
「こうなることは予測の範囲内だ。お前は知らないだろうが、あの護送車に入っていた奴らは基本的に過激派のリ・ベリアン達だった」
「だからなんだよ」
「逃げ込む先が予想できるんだよ。リ・ベリアン達は集団でしか行動できない連中だ。しかも逃げた連中、あいつらはリ・ベリアンの中でも反ヒーロー主義の中核派で重要なポジションばかりだった」
コーヒーを飲み干したジェフリーは禁煙の店内でも構わず煙草に火を付けて息をつく。
苦い顔をする店員に僕は謝りながら、静かにその続きを聞く。
「リ・ベリアン達が助けねえわけねえだろ? しかも仇のヒーローが仲間を狩るってんだ。物凄い事になるぞ」
「それこそ暴動にならないか」
「それが目的だ。ヒーローが出張っているときに、ズドンだよ」
脇の下に収めた銃をお守りのように手で叩いて見せる彼の顔はどうだ? と言った様子であった。




