シンシア 08
どれくらい時間がたっただろう。見知らぬ倉庫や部屋に出ては、ルーノの姿を見つけられず引き返してを繰り返していた。
目印のしおりが全て回収できていないことを考えると、同じ道には戻ってきていないようだが、ノクトに近付いているのかはわからなかった。
蝋燭も、もういま燃えているものが最後だ。それも半分をきっている。
上ったり下ったり、壁を押したりして体力を削られ、体は歩けないと訴え足は棒のようになっていた。
けれど、ルーノはあきらめなかった。きっと、ノクトの元へたどり着けると信じて。
「……っふ、……うぅ……」
それでも……不安で涙が出てくる。
自分はちゃんとノクトに会いにいけるだろうか……。
一人なことにも、暗いことにも慣れていたのに、いつの間にこんなに怖いと思うようになってしまったのだろう。
テクシーロをはじめ侍女たちが、アルバーロが、ミナージョがいてくれて、なによりノクトの言葉が温かくて、ルーノはいつの間にか様々な感情を芽吹かせていた。
何もできない、無知な自分をただ引き取るだけではなく、花嫁として迎えてくれ、素晴らしい世界を見せてくれたノクトに、感謝してもしきれない。
その想いを、直接伝えたい。その気力だけで、ルーノの足は動いていた。
「ふぅ、ぐすっ……ふぁっ!」
突然の強い風に、ルーノは目を瞑る。バサバサと三つ編みにされた髪が揺れ体が押される。
風が止み目を開けると、辺りは何も見えなくなっていた。手元を見ると、ランプの火が消えてしまっていたのだ。
「あっ」
ルーノは絶望に襲われる。これでは前も後ろも見えない。
火打石は持っていなかった。持っていたとしても、ルーノは火のつけ方を知らない。
どうしよう……。ルーノは壁にもたれかかる。
その場に蹲りたくなるけれど、でもルーノは決してそうしなかった。
壁に手を当て、歩き出したのだ。
(ノクト、ノクト……!)
怖さをふっきるように、ひたすらノクトの名を心の中で呼び続ける。
ずりずりと足を引きずり、汚れた手で涙を拭っていたそのときだった。
(?)
ふわり、と、かすかに何かの香りがした。薄すぎてその香りがなんなのかわからない。
けれど、ルーノは弾かれたように、歩みを早くした。
進んでいくごとに、香りは強くなっていく。
そして、確信した。
(これ、花の、におい!)
わかった途端、フォルクローロの言葉が蘇る。きっと、これがフォルクローロが言っていた香りのことだ。
上り坂を、息を切らしながら歩いていく。
途中、曲がり角と気付かず壁に激突したり、段差に気付かずこけたりした。
けれどルーノは立ち上がり、ひたすらに香りのする方へと進む。
体をぶつけながら角を曲がると、遠くに一筋の光が見えた。
「っ!」
それを見た瞬間、ルーノは駆け出した。ヨロヨロとしたものだったけれど、ルーノは一心不乱に走った。
光は少し開いている壁から漏れているものだとわかると、両手をいっぱいに伸ばし、体当たりして壁をおもいっきり押し開けた。
「―――ルーノっ!」
倒れるように全身の体重を乗せて開けた先で、ルーノは温かく大きなものに体を包まれた。
それと同時に、頭上から落ちてきた、あの優しくて心地よい声。
はぁはぁと息切れしながら見上げれば、そこには会いたいと願った人がいた。
「ノ、ノクトっ、ノクトノクトノクトぉ~!」
ルーノはぎゅうっとノクトを抱き締めた。
「ぼく、あいたかったの、だか、ら、あいに、きたのっ」
「よかった、無事で……心配したのだぞ……」
ノクトもルーノの無事を確かめるように小さな体を抱いた。
ルーノは安心したのか、わんわんと声を上げて泣きはじめた。
それは、ルーノが人生で初めて大声をあげて泣いた瞬間だった。
「大丈夫か?」
ようやく泣き止んだルーノに、背を撫で続けていたノクトはそっとそう問いかけた。
ルーノはこくりと頷き、ノクトの胸から顔を上げる。そして初めて、周りを見ることができた。
丸い形をした広い部屋。床には絨毯が敷き詰められ、壁は本がぎっしり詰まった棚でいっぱいだった。
ルーノが飛び出してきたところを振り返ると、そこも本棚で、その一部が開いて通路へと繋がっていた。
「この道は、本来は城が襲われた際に逃げる隠し通路なのだ。最近は、私の移動通路になっているがな」
「わっ」
説明しながら、ノクトはルーノを抱いたまま立ち上がった。腕に乗せられ、まるで子供のように抱かれて室内を移動する。
よく見ればそこかしこに植木鉢が置かれ、そこにはあの手紙に添えてあった花が植えられていた。
「あ、しろ、の、おはな……」
「あぁ、あの白い花はな、厄避けの効果があるそうだ。だから、私からでる厄をこの部屋より出さないために部屋中に置いている」
それを聞いて、ルーノはしゅんと気分が落ちるのを感じた。
そうしているとソファセットへ到着し、ノクトはそっとルーノを下ろすと床に膝を着いてルーノと目を合わせる。
「フォルクからルーノの手紙を受け取ったとき、私は驚いたぞ。しかも、まさか隠し通路を使ってやってくるとは……、怪我は無いか? あぁ、手が擦り剥けているじゃないか」
本当は全身が痛かった。けれど、ルーノはそれは後だと首を振り、しっかりとノクトを見据える。
「ノクト、ぼく、ここまで、きたよ。だから、てがみに、かいた、こと、いいよ、ね?」
ルーノの訴えに、ノクトはふと笑みを浮かべると、立ち上がり奥にあった執務机から封筒を取って戻ってくる。
ルーノの横へと座り、中から取り出した紙を広げた。
「『つぎは僕が会いに行きます。ノクトのところへ辿り着けたら、僕と結婚してください』」
いびつな字を、ノクトはすらすらと読み上げた。
そうだとルーノが見つめると、ノクトは頬を赤くしながらルーノと目を合わせた。
「こういうことは、本来夫となるべき私から言うのだろうが……先を越されてしまったな」
「へ、へんじは?」
照れた顔もかっこいいと思いながら、ルーノはノクトの返答を待つ。
二人はもう結婚しているも同然の状態だったが、ちゃんと言葉にしたことはなかった。
ノクトはすっとルーノの頬に触れる。そして熱い眼差しになると、ゆっくりと顔を近づけて囁いた。
「もちろん、答えははい、だ。……私も言わせて欲しい。ルーノ、私と人生を共に歩む、夫婦になってくれるか?」
「はいっ! んっ」
ルーノが返事をした瞬間、ノクトから熱いキスが降ってきた。同時にぎゅっと強く抱かれ、体が密着する。
熱い唇と腕に、ルーノは眩暈がするほどの幸せを感じたのだった。
二人が落ち着いた頃、部屋にミナージョとフォルクローロがやってきた。
笑顔でくっついている二人を見て、うまくいったのだと悟り、供に安堵の息を漏らす。
「陛下、王妃は見つかったようですし、捜索隊は解散させて大丈夫そうですな」
「あぁ」
「ルーノ様。無事に陛下の下へ辿り着けて、よかったですね」
「うん、あり、がとう!」
ヒントをくれたフォルクローロにお礼を言うと、ルーノはノクトの手を引いて立ち上がる。引っ張られてノクトも立ち上がると、ルーノは二人が入ってきた扉へ向かってずんずんと歩いていく。
「ルーノ?」
「ノクト、ぼく、と、そとへ、いこう?」
「!」
ルーノの言葉に立ち止まるノクト。不安な表情になったノクトの両手を掴むと、ルーノは真っ直ぐに見上げゆっくりと告げる。
「ノクトは、ぼくを、あのへや、から、つれだして、くれた。だから、こんどは、ぼくが、ノクトを、ここからつれ、だす! だいじょうぶ、ぼくが、いっしょに、ずっといっしょに、いるから」
ぎゅうっと手を握り締める。ノクトの瞳が揺れ、混乱しているのがわかる。
「きっと、ノクト、に、あいたいって、おもってるひとが、いっぱいいる、よ。それに、きっと、みんな、わかってくれ、る。くろ、は、こわいいろ、じゃない、って。だって、ここは、ノクトがだいじに、だぁいじにしてる、くに、だもの」
ルーノの必死な姿を、側近の二人は見守る。過去、ミナージョやフォルクローロ、そしてアルバーロが何度も説得を試みたが、ノクトが頷くことは無かった。
けれど今、ルーノの言葉に、明らかにノクトの心は動いている。
「ルーノのこの白い髪や瞳は、私から出る厄を追っ払ってくれるかもしれないな……」
「そんなの、ない! わるいものなんて、ノクトからでるはず、ない、よ!」
「っ!」
ノクトは目を見開くと、ぎゅっと目を閉じた。小さく振るえ、まるで泣くことを我慢しているようだ。
しばらくそうしていると、ノクトはその場に膝を着き、ぎゅっとルーノを抱き締めた。
「……そばに、いてくれるか?」
「うん」
やがて、小さな声でノクトがそう尋ねると、ルーノはこくりと力強く頷いた。
「ぼくたちは、ふうふ、なんだよ。ずっと、死が、ふたりをわかつまで、いっしょ、なんだから」
「ふっ、その言葉、どこで覚えたんだ?」
「テシィに、おしえて、もらったの。けっこんとか、ふうふのこととか」
「そうか……」
ノクトの声は、震えていた。ルーノは肩がじわりと濡れるのを感じて、さっきノクトがしてくれたように、その背を撫でる。
「私は、いずれひとりで死んでいくのだと……ずっとそう思っていた。思っていたのに……!」
悲痛な本音が漏れ、ミナージョとフォルクローロはそんなことを思っていたのかと苦しくなる。けれど、白く小さな妻は「そんなこと、させない、よ」と答えた。
二人はそんなルーノの言葉に、やはりこの人がノクトのパートナーになってくれてよかったと思ったのだった。
その後、ミナージョとフォルクローロを引き連れ、ルーノとノクトは城の中を歩いていた。
すれ違う兵や侍女は、黒い髪と瞳のノクトを見ると、一瞬驚いたような顔をするものの、すぐに王だとわかり、騒ぐことなくその場に膝をついた。
騒ぎを聞きつけたアルバーロも合流し、テクシーロもやってくる。テクシーロは泣きながらルーノに駆け寄ったが、汚れきった格好や怪我を見た瞬間、風呂へと連れ去って行った。
その間に、アルバーロの提案で食堂に夕食の用意がされることとなった。一室に設けられた、近しい者で食べる食事。ノクトはいつも自分の部屋で食事をとっていたので、初めてのことだった。
準備が終わる頃には、綺麗に磨き上げられたルーノとテクシーロがやってきて、ディナータイムとなった。
わいわいと、ルーノの冒険話や、国についてや冗談など、いろいろな話が飛び交う。
「食事とは、こんなに楽しく、美味しいものだったのだな」
「うん、そうだね」
ノクトの呟きに、隣に座っていたルーノが笑顔で答える。
「これから、は、いっしょ、に、たべよう、ね」
「あぁ」
二人は笑い合い、そんな様子を見た周りも笑顔になったのだった。
それから数ヵ月後、数人の参列者のみで、ルーノとノクトの結婚式が執り行われた。
自分達には、これくらいが丁度良いと、二人で決めたことだった。
幸せそうに誓いのキスを交わすルーノとノクト。
コンフォルタの王と皇后は、後の世に語り継がれるほど、互いを想い合い仲睦まじく暮らしたのだった。
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