第七話 魔力を送る糸
アークは、まだ落ち着かない胸の内を、無理やり別のところへ押しやった。
シオン達のことを考えると、判断が鈍る。
今必要なのは、ルカのもとへ辿り着くための道筋だ。
焚き火の向こうで、シオンが小さく息を整えている。彼の探索が拾い上げたものは、思いのほか多かった。
二十四層へ降りるルートは、二つある。一つは、かつて討伐隊が通った階段。もう一つが、今、足元で口を開けているこの落とし穴だ。
その先は、モンスターホール。他のエリアと繋がっていない、閉じた空間。広さはそれほどでもない。だが、そこには魔物がひしめき合い、ドラゴン種のような桁違いの個体さえ混じっているという。
そして、ホールの中央には、ぽっかりと空白地帯があり、魔素がそこから絶えず溢れ出しているらしい。その先が下層へ続いている可能性は、高かった。
――道理で、見つからないはずだ。
ダンジョン核のある下層への道は、落とし穴でしか行けないモンスターホールの中央にあった。階段をいくら探し歩いても、辿り着けるわけがない。
偶然見つけられたとしても、その先で魔物の餌となる。
(ルカ……)
かつて奴隷だった自分を、救い出してくれた神殿騎士の背中が浮かぶ。
すぐ下にいるのに、助け出す手段が思いつかない。
魔物を一体ずつ誘い出して削る常套手段は使えない。ホールはどこにも繋がっていない。かといって、穴から落ちて群れ全体を相手にすれば、勝ち目などない。
堂々巡りの思考の途中で、ふと、視線が引き寄せられた。
膝を抱えて座るシオンの姿が、いつもより小さく見えた。
胸の奥に、名前のつかない感情が浮かぶ。それが何なのか確かめる前に、アークはそっと目を逸らした。
沈黙を破ったのは、シャンテだった。
「穴から思いっきり神聖魔法をかけてみるか……いや、ホールには行き渡らんか」
独り言のような呟きだった。誰かに答えを求めたわけではない。
だが、ぼんやりと炎を見ていたシオンが、その声を拾った。
「もし、行き渡らせられたら?」
シャンテが、わずかに目を見開く。老いた司教は髭を撫でて考え込み、やがて慎重に口を開いた。
「弱い個体や、アンデッド、悪霊系は、多少削れるかもしれん」
「繰り返したら、部屋全体に変化は起きる?」
「魔素が薄まって、弱体化するかもしれんが……」
言いながら、シャンテは首を横に振った。そもそも、神聖魔法をホールの隅々まで行き渡らせる術がない。仮にあったとしても、それだけの膨大な魔力を、今の自分たちは持っていない。
アークも、同じ結論だった。
だが、シオンは静かに続けた。
「ここから、索敵に乗せて、あなた達の浄化を下層に送る」
アークとシャンテが、同時にシオンを見た。
シオンの索敵は独特だった。
床に手を置き、魔法を、蜘蛛の糸のように細く長く伸ばしていく。その糸を石や土の奥深くまで張り巡らせ、返ってくる微かな反応から、さまざまなものを読み取る。それが、シオンのやり方だった。
魔力が返ってくるのを感じ取れるのなら、こちらから送り込むこともできる。
彼は、そう確信していた。
アークもシャンテも、半信半疑だ。
だが少しでも可能性があるのなら、今は試してみたかった。
シオンが、冷たい石の床に掌を押し当てる。目を閉じ、細く息を吐いた。目には見えない糸が、足元の闇へするすると降りていく気配がある。
「手を。上から、浄化を流して」
短い言葉に、シャンテが腰を上げた。
だが、それより早く。
気がつくとアークの手が、シオンの手の甲に重なっていた。
細い手だった。掌越しに、体温が伝わってくる。身を寄せた拍子に、額が触れ合いそうなほどの距離になる。
胸の底に、違和感が積もっていく。
鼓動が、いつもより少しだけ早い。
アークはそのどちらも、意図的に無視した。
目を閉じ、聖なる魔力をシオンの手へ直接流し込む。魔力は細い糸に絡め取られるように吸われ、やがて、石の奥深くへすうっと落ちていった。
しばらくは、何も起こらなかった。
やがて。
遠い、遠い下層から、小さな断末魔が響き出した。
ホールに蠢く魔物達が、浄化の光に焼かれ、声を上げている。
いける、とアークは思った。
魔力が尽きたら、アークとシャンテが交代する。休みなく浄化を流し続け、ホールの魔物を削れるだけ削っていった。
どれほどの時間が過ぎたのか。
いつの間にか、カイリが戻ってきていた。
彼は、重なり合った二つの手を見て、一瞬、動揺したように見えた。
「……寝る」
それだけこぼして、その場に横になる。
それを横目に、アークは重ねた手へほんの少しだけ力を込めていた。




