第二十四話 仄暗い希望
確かなのは、二つのことだけだった。
この核は魔素を生み出していない。ただ、どこかから受け取り流しているだけ。そして既知の構造とは別にまだ誰も知らない下層へ続く空間が、おそらく存在する。
本物の核がそこにあるのか。二つの核がどう繋がっているのか。それはまだ、誰にも分からない。岩盤を掘り進めてみない限り、シオンの索敵も推測の域を出ない。
シオンが分かる範囲の情報を紙に書き、念のため抜いてきた核のインゴットと一緒にギルドへ提出した。
「なるほど……」
ギルド長のラディクは腕を組み、しばらく考え込んでいた。
隣の初老のホビットはインゴットを興奮気味に鑑定している。どうやら、とても希少な金属らしい。あんなに触って大丈夫だろうか。
「とにかく、調査はこれで十分だ。あとは領主と相談してみる」
ラディクは報酬の入った袋と、二人分の冒険者タグを渡してきた。
アークとシオン、ともにBランク。
「……まあ、こんなに簡単に踏破されれば信じざるを得ないだろ」
抜かれた核のインゴットを一瞥するラディク。
踏破の報告は受けていた。だが、今回。核の間にたった一日で到達し、幻影に飲まれず核を抜いてくるところを確認した。噂ではなく実力として。それならギルドとしても、ランクを上げざるを得ない。
「下層の調査が進んだときに、また協力を頼むかもしれない。いずれAにもなるだろうさ」
ラディクは苦笑いした。
二人は宿に帰り早めに休むことにした。各々、湯殿で疲れと汚れを落とす。
シオンは湯の中で自分の体を、ゆるく抱いていた。
核の間で見たアークの顔。あのまま、戻ってこないかと思った。
腕を強く掴んだときの、手の震え。あれは恐怖だった。アークを失うかもしれない、恐怖。
戻ったアークに抱きしめられ、どれだけ安堵しただろうか。
(アークがあれほど望むものって……)
優しく撫で、支えてくれる大きな手。
ふと、カイリに触れられていた記憶が脳裏をよぎる。あの頃はただ耐えるものだった。罰であり、嫌だとさえ思わなかった。
でも今は、違う。
――もう他の人には、触れられたくない。
触れるのも、触れられるのも、自分の意志で選びたい。
アークの大きな手を思い出す。
「アーク……」
愛しい名前を呟き、シオンはゆっくりと部屋へ向かった。
先に部屋へ帰っていたアークは、濡れた髪を乾かしもせず項垂れていた。
ダンジョン核で何かを見るのは、分かっていた。
迷宮都市の核の間では、何も見なかった。そして抗えたカイリを間近で見ていたから、自分も大丈夫だと軽く考えていた。
今回の核に、魂の禁呪を提示されたとき。
これを手に入れられるなら、死んでもいいとさえ思った。
「カイリは、これに抗ったのか……」
すごいな。
素直に、そう思った。
その時、シオンが湯殿から部屋に戻ってきた。
熱に浮かされたような顔で、アークに近づいてくる。
「アーク……」
甘くて拙い、心を掻き乱す声。
思わず喉が鳴った。
彼女はゆっくり彼の襟を引き寄せ、唇を重ねてくる。
控えめに舌が入って、アークの舌先に触れる。応えるように、彼女の牙を優しく舐めた。
(これは、もどかしいな)
「俺を、どうしたいの?」
唇を離されたアークが笑って、シオンの指に自身の指を絡める。
シオンはアークを見つめ、ぽつりと呟いた。
「アークは……子どもが、欲しい?」
一瞬、アークは何を言われているのか、わからなかった。
エルフは他の種族と血が交わらない。アークのように他の種族と番う者も稀にいるが、皆、子はいない。
――シオンが子どもを望んでも、応えてあげられない。
アークの背中に、冷たいものが伝った。
その顔を見て、シオンが眉を下げた。
「私は……欲しくない」
「……え?」
「薬、捨てたでしょう?アークが望んでいるならと何度も考えたけど……やっぱり、私は二人だけでいたい」
呆然とするアークに、シオンが俯く。
「ごめんね」
「え、待って……」
(薬? 捨てた?)
アークは、ハッと思い出した。
「あの……薬瓶のこと?」
シオンがアークの部屋に来た、あの日。荷物を整理していた中に、あの薬があった。
毒性もあるし飲む必要もないと、シオンに確認も取らず……確かに、捨てた。
シオンが申し訳なさそうに呟いた。
「ごめん……」
アークはしばらく唖然としていたが、額に手を置き大きく息を吐いた。
「いや、勝手に捨てたのは悪かった。シオンの体が、心配だったんだ」
「アーク……」
アークは困った顔で笑った。
「エルフは他の種族との間に子どもができないから……考えもしていなかった」
「え、そうなの?」
シオンが、目を見開いた。
ーーじゃあ、彼の渇望するものとは何だろう。
アークが頷く。
「それに……俺が望んでるのは、シオンと二人で生きていく時間だ。それだけは、ずっと変わらない」
「そっか、よかった」
シオンが安堵を浮かべて笑った。
いつもどこか、自分のことを他人事のように見ていたシオン。でも最近は自分で考え、悩んで、決めている。その変化が、アークは嬉しかった。
シオンの腰に手を回し、アークは額を合わせた。
安堵の裏側に、まだ消えきらない震えがあった。核の誘惑にあと一歩で呑まれかけた感覚は、今も体のどこかに冷たく残っている。
それでも、今は。
今はこの温もりの方を、強く感じていたかった。
「これからは、もっとちゃんと話そう」
「……うん、そうだね」
アークが渇望する願いは、いつか彼から話してくれるのを待ちたい。シオンは彼の目を見て、静かに笑った。
重なる影をランタンの光が、優しく揺らした。
腕の中で眠るシオンを見つめながら、アークは核の間で見たものを思い返していた。
己の渇望するものを、見せられた。
今生を共に生きるだけでは、足りない。死んだ後も、魂を繋いでいたい。それすらも足りず、たとえ輪廻の果てで姿形が変わっても、必ず見つけ出したいと願っている。
――俺は、どこまで欲しがっているんだろう。
核は――王立図書館の禁書庫を見せた。
王都ミズガルにある、この国で一番大きい図書館。
あの本はそこに、本当にあるのかもしれない。
アークにとって王都は、古い記憶が眠る場所。できることなら、避けて通りたかった。
それでも。可能性があるなら、調べたい。
アークはシオンの頭に、そっと顔を寄せた。
――来世すら、誰にも渡したくない。
アークの中に仄暗い希望が、静かに灯りはじめていた。




