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エルフ王――四百年後、死んだはずの妻が帰ってきた  作者: 忘却セミコロン
第一章 沈黙を解く迷宮

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番外編 魂は、戻らない

十年前。王都神殿内、シャンテの私室。


本が、あちこちに散乱していた。薬の調合器具と魔導書が積み上がった机で、シャンテは古語で書かれたレシピに眉を寄せ、黙々と薬を調合していた。


その部屋のソファに座る、少年とも青年ともつかない若いエルフ。アークはぼんやりと、その手元を眺めていた。


ドアが、ノックされる。


「シャンテ、待たせてごめん!」

少し息を切らした、ルーカスの声だった。




司教のシャンテは、子供の頃から神殿に預けられていたルーカスの世話役だった。


真面目で優しすぎる彼を、シャンテはずっと案じていた。だが本人には戦いの素質があり、騎士としてすぐに頭角を現した。


近年では、騎士団の団長にと声が上がるほど、皆から慕われている。




「アーク、すまんが鍵を開けてやってくれ」

シャンテに頼まれ、アークはのろのろと立ち上がってドアを開けた。


「ありがと、アーク……って、これ何の匂い?また新しいポーションでも作ってるの?」


鼻をつまみながら入ってきたのは、短く切られた髪と、地毛とは違う色の付け髭をつけたルーカスだった。


アークは、目を見開いた。


「……なんじゃい、その髪と髭は」

シャンテが、訝しげな顔で彼を見る。


「いやー。俺、髭があまり生えなくてさ……毛生え薬とか、調合できない?」


「そんなもんできたら、今頃儂は大金持ちじゃい」

シャンテが、呆れた顔で答えた。


「ルカ、髪が……」

アークは、眉を下げた。


今朝見たばかりの綺麗な長い髪が、今は短く切られている。


「ん?ああ、気分転換だよ。洗うのが楽そうでいいだろ?」

ルーカスは、朗らかに笑ってみせた。


(僕のせいだ)


ルーカスが髪を解くたびに、アークは呼吸ができなくなる。自分を痛めつけた女達。ルーカスの姉と妹。その同じ色をした長い髪に、どうしても面影が重なる。震えが止まらなくなる。


それに気づいたからこそ、切ることで守ってくれたのだろう。


助けてくれた恩人である二人は神殿騎士団に所属し、多忙な身だった。それでも、保護されてから何をするにも無気力で動きの鈍いアークを、交代で見てくれている。


そんな二人に、最近になってアークも少しずつ、心を開き始めていた。


「……すまなんだ」

シャンテが、ぽつりとこぼす。


「いや。これは俺が、自分で選んだことだ」

ルーカスは、からりと歯を見せて笑った。




世界樹信仰は、この国の国教だった。


世界樹の麓に唯一住むことを許されたエルフは、信仰する者達にとって、神の愛し子とされている。


そのエルフが、近頃、信仰の薄い貴族の間で奴隷として売り買いされていた。

長い寿命を持ち、美しく若い姿を保ち続ける彼らは、愛玩の道具として都合が良すぎた。


そんな状況に国と神殿は、密かに合同で調査に乗り出していた。


シャンテはその立場上、ルーカスの生家――レデウィン家が闇売買の顧客として疑われていることを知り、彼にだけ密かに助言した。


『エルフがいたら、こっそり連れ出して来い』


本当は、彼の進退に関わる証拠を先に消しておけ、と伝えたつもりだった。


だが、敬虔な信徒で生真面目すぎるルーカスは、家族の所業を許せず神殿上層部へ直接報告してしまった。


結果、芋蔓式に販売路が炙り出され、多くの貴族の屋敷から囚われていたエルフ達が救出された。関与した家は、その規模に応じて処罰された。レデウィン家も家格を落とし、当主の怒りを買ったルーカスは破門された。平民落ちだった。


ルーカスの婚約も解消された。初恋が実った、と幸せそうに笑っていたばかりだったのに。


神殿の中でも、関与した家門の出身であるという理由で処分が下され、ルーカスは王都から迷宮都市へと左遷されることになった。


「シャンテは、若い頃に迷宮の神殿にいたよね?任務って、どんな感じ?」

気にする様子もなく、柔らかく笑って尋ねる。


シャンテは納得のいかない表情のまま、少し視線を上げた。


「あの迷宮は世界最大じゃ。まず入り口が無数にある。上層は広大で、とても把握しきれん。下層へ行くほど、構造は狭くなっていく。階段は、一層だけ降りるものもあれば、複数層をまたぐものもある。罠も魔物も強力じゃ。しかも、構造が時々変化するから、記録はまるで役に立たん」


「……それは、恐ろしく攻略が難しそうだね」

ルーカスは、付け髭を撫でた。シャンテの仕草の真似だった。


シャンテが片眉を上げると、ルーカスは、したり顔でにやりと笑う。真面目に聞いているのか、いないのか。


ため息をついて、シャンテは続けた。

「斥候を連れて行くのが必須じゃが、数が足りん。あまりに広大での、神殿騎士団でも中層までを任務範囲と定めとる。とにかく、人手が足りんのじゃ」


アークは、膝の上で手を固く握りしめていた。


――全部、自分なんかを助けたせいだ。


「アーク」


気づけば目の前に、跪いて目線を合わせるルーカスの顔があった。


困った顔をしているアークに、ゆっくりと諭すように言う。


「君は、被害者だ。そして、俺の家族が加害者だった。君が傷つけられている間、何も知らずに……呑気に過ごしていた責任を、今さらながら取っているだけだよ」

そう言って、アークの頭を撫でた。温かい手だった。


――もし、兄がいたら。こんな感じなのだろうか。


「エルフ達は里の近くまで、神殿騎士団が護送することになった。君も、帰れるよ」


エルフは神の愛し子などと呼ばれているが、役に立たない自分より、この人の方がよほどふさわしい。


アークは、首を振った。

「僕も、ルカと行く。神殿騎士になる」

小さく。けれど意思の固い、はっきりとした声だった。


アークが本以外のものに興味を持ったのは、これが初めてだった。この、強くて優しい背中を、追いかけてみたくなっていた。


「君に、剣は……」

ルーカスが言い淀む。エルフは肉弾戦に向かない種族だ。長身ではあるが、体は細い。


「それでも、やってみたい」


ルーカスは、目を見開いた。

虚ろだったアークの瞳に初めて、光が宿っていた。


この少年への償い方をようやく見出せた気がして、ルーカスは泣きそうな顔で笑った。


「儂直伝の身体強化を教えてやるわい。うまく使えば、重装備でもいけるじゃろ」

はっはっは!と、豪快に笑う。


「……シャンテも、ついてくる気なの?」

ルーカスが、信じられないという顔で、二人を見比べた。


「当たり前じゃ。久しぶりに体が疼くわい」

シャンテは、大きく腕を回してみせた。




一通り、移住の話に花を咲かせたあと。


「……シャンテ、ありがとう。正直、心強いよ」

ルーカスが少しだけ目を伏せる。


シャンテは微笑んで頷いた。


「じゃあ、アーク。部屋に戻ろうか」

アークの頭をポンポンと叩き、ルーカスがソファから立ち上がる。


二人が部屋を出る、その直前。


アークは不意に、シャンテを振り仰いだ。

「魂は、死んだ瞬間に体から抜け落ちる」


シャンテが目を見開く。


「あの霊薬で、魂は戻らない。体は元に戻せても、次に宿るのは別の魂だ」


先を行くルーカスには聞こえない、とても小さな声だった。


「そんなに思われて、幸せだったと思うよ。僕には親がいないから……たぶん、だけど」

それだけ言い残し、アークは少し先で立ち止まっていたルーカスを追いかけていった。




残されたシャンテは、ふらりと椅子に倒れ込んだ。


視線の先、ベッドサイドの上には、妻子の写真と、小さな骨壷が置かれている。


諦めきれずに、ずっと握りしめていたものを――愛し子が、そっと解いた夜だった。


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