第十七話 シオンを
神殿の寮にある、アークの私室。
そこで彼は、荷物の整理をしていた。
部屋は殺風景だった。壁一面を占める本棚には、古文書と魔導書がぎっしりと並んでいる。それ以外には、簡素な寝台と、使い込まれた机、椅子が一脚あるだけ。
窓の外では、木々が風にざわめいている。まだ日は高いが、荷造りにはちょうどいい静けさだった。
扉が、小さくノックされた。
「箱、持ってきたよ」
シオンだった。
「ありがとう」
彼女の抱えていた木箱を受け取り、机の脇にそっと置く。
「これ、どうするの?」
「売る本を詰めようかと」
「そっか、手伝う」
短いやり取りのあと二人は黙々と、本棚の書物を箱に詰め始めた。古い革表紙の感触を確かめながら、一冊、また一冊と積んでいく。
「物、少ないね。本はこんなに多いのに」
本が減ると、その異常な物の無さが際立った。
長く神殿に仕えてきたのに、私物がほとんど無い。積み上げてきた歳月に対して、あまりにも軽い荷物だった。
「ああ。そのうち、ダンジョンで死ぬだろうと思ってたから」
シオンが少し笑った。
「私も、そう」
それを聞き、アークは部屋の隅にあるシオンの鞄に目を移した。
ダンジョン核を抜いた、一週間前のあの日。
魔力の流れが止まったのを確認して、四人は帰還スクロールで帰って来た。
「踏破達成は英雄扱いになる。ギルドや領主に呼ばれて晩餐会やパレード、ってところかの」
シャンテからそう聞いて、カイリは疲れた顔をした。
「勘弁してくれよ……」
「はっはっは!では、秘密としておくか」
シャンテも面倒臭かったらしい。
核を抜いたダンジョンは、ゆっくり時間をかけて閉じていく。魔物が湧きにくくなり、壁が少しずつ崩壊し、やがて土に還る。
報告などなくとも、そのうち気づくだろう。
他人事のようにぼんやり聞いていたシオンに、アークが声をかける。
「シオン」
「ん? どうかした?」
「これからは、俺と暮らさないか」
カイリと宿に帰す気はない。
シオンは少し照れながら、嬉しそうに頷く。
ホッと息を吐き、アークも笑う。
「よかった。じゃあ早速、シオンの荷物を取りに行こう」
シオンは少し考えると、頭をわずかに傾けた。
「……荷物?」
「……え?」
シオンの持ち物は、ダンジョンに潜る際に持つ鞄に全部入っていた。
少し驚いたが、逃亡して来た過去があるから、そんなものかと流していた。
「……午後から、少し買い物に行こうか」
「買い物?」
「そう。服とか、靴とか……色々」
「いいね、行こう」
何を買おうか。欲しいものはあるか。
弾む会話の中で、本棚の書物は少しずつ減っていった。
本があらかた片付くと、他の書物に紛れていた宝石箱が、シオンの目に留まった。
黒檀に金の細工が施された、小さな宝石箱。
とても綺麗で、とても新しかった。明らかに、最近手に入れたばかりのものだと分かる。
手を伸ばした、その時。
後ろから大きな腕が、そっと彼女を包み込んだ。
「……アーク?」
この一週間で触れ合うことが随分自然になった。
アークは何も言わずに、彼女の肩に顎を乗せる。
振り向かなくても、その微かな笑みの気配が伝わってきた。
「俺の、宝物だ」
低く、優しい声だった。
「開けてみて」
シオンは小さな留め具にそっと指をかけ、蓋を開いた。
指が、止まる。
「……これ」
声が震えた。
中に入っていたのは――丁寧に洗われ、三つ編みに整えられた、赤みの混じる黒髪。
自分の髪だった。
あの日、アークの嫌悪感を少しでも和らげようと、迷いなく切り捨てた髪。
(……こんな、ものを)
目の奥がじんと熱くなる。
アークは短くなったシオンの髪に顔を埋め、しばらくそのままでいた。
「シオン」
「……ん?」
「一緒に、俺の故郷に行かないか」
囁くような声。
「大陸を越えた、海の向こうにある島だ。世界樹がそびえる、エルフの里」
無意識にこわばったシオンの手に、アークは自分の手を重ねた。
「世界樹の下で誓って……君を、妻にしたい」
「私を……?」
震える声で、シオンが聞き返す。
「シオンを」
その一言に、迷いはなかった。
こみ上げる涙を堪えきれず、シオンの目から大粒の雫がこぼれ落ちた。驚きと抑えきれない喜びが押し寄せてくる。
そんな彼女を、アークはそっと自分の方へ向き直らせる。
「一緒に来てくれる?」
シオンは声にならないまま、小さく頷いた。
アークはわずかに笑い、彼女の頬を両手で包む。
「愛してる」
そして静かに、唇を重ねた。
窓の外で、木々が風に揺れている。
その風は、遠い海の向こうから、吹いてきたような気がした。




