第十六話 解散
二十七層。
そこは、これまでのどの階層とも違っていた。
壁を這う血管のようなものが張り巡らされ、空気そのものが粘度を持っているかのように重い。歩を進めるごとに耳の奥で、何かが囁いているような錯覚があった。
その先にダンジョンの最奥――核の間があった。
辿り着いた者が何よりも渇望するものを、幻影として映し出すのだという。そして、その幻に手を伸ばしてしまえば、魂ごと持っていかれる。
伝え聞いていた各地のダンジョンと、同じ仕組み。
シャンテは、その間に入ることができないでいた。渇望するものはわかっている。そして、抗えないであろう自分も。老司教は手を組み、その先を若者達に託した。
アークは無意識のうちに、隣にいたシオンの手を探していた。指先が触れた瞬間どちらからともなく、しっかりと握り合う。
不思議なことに、視界に映るのは飾り気のない石造りの台座と、その上に浮かぶ形のない光だけだった。
隣のシオンを見る。
シオンもアークを見上げた。
渇望するものが、既にこの手の中にある。それ以外に、何も望んではいない。アーク達にはこの場所の罠が、そもそも効かないのだ。そのことに、どこか可笑しさすら覚えていた。
カイリの前には――アリアが、立っていた。
微笑みを湛えたまま白い手を、こちらへ差し伸べている。
一緒に、行きましょう。
声にならない誘いが、そこにあった。
「……俺も、一緒に死にたかったよ。アリア」
カイリは静かに、その姿を見つめた。
愛しい人の手を、取りたい。今すぐにでも、駆け寄りたい。
なのに。
湧き上がってくるのは、歓喜ではなかった。降り積もった自責の念が、堰を切ったように溢れ出す。
護衛でありながら、愛してしまった。
責務を放り出し、駆け落ちなどという道を選んでしまった。
守れなかったのは、自分だ。
その罪の埋め合わせをシオンに押し付け、理不尽な仕打ちを重ねてきた。
こんな自分を誇り高いアリアが、許すはずがない。
それでも。
耳の奥に彼女の最後の声が、蘇った。
――あなたは、生きて。
あの言葉をずっと守り続けてくれたのは他でもない、シオンだった。
どんなに傷つけられても、文句一つ言わずに。
――だから俺は、シオンを……
長い沈黙の後、カイリは静かに息を吐いた。
「俺は、生きるよ。アリア」
震える手で、目の前の幻を切り払う。
幻が消えて、台座の光の形が揺らいだ。
カイリが手を伸ばすと、視界が真っ白な光に包まれた。
やがて光が引き、カイリの手には一振りの剣が握られていた。
このダンジョンの核。
手にした者の欲望を映し、その心を絡め取り、やがて魂ごと飲み込むはずの魔剣。
だが、欲望に飲まれず、自分で選び取った者が手にした今。
それはもう、美しく鍛え上げられた一振りの剣に過ぎなかった。
カイリはその刀身を、しばらくじっと見つめていた。
しばらくして。
カイリはシオンの方を振り返った。
シオンも、まっすぐにその視線を受け止める。
「解散だ、シオン」
寂しさと、安堵と――
言葉にならない、いくつもの感情が入り混じり、彼女は小さく頷いた。
シオンの瞳から、一粒の涙が、頬を伝って落ちた。
アリアを失ったあの日から。
ずっと握りしめていたものを、ようやく手放していいのだと――
そう思った。
アークは何も言わず、その肩をそっと抱き寄せた。




