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エルフ王――四百年後、死んだはずの妻が帰ってきた  作者: 忘却セミコロン
第一章 沈黙を解く迷宮

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第十三話 隣に

野営を切り上げてから、シオンの戦い方が変わった。


誰よりも先に立ち、誰よりも先に剣を抜いた。誰かに言葉をかけることも、誰かに合わせることも、もうしなかった。


狙うのは、いつも首。

先手を取り、迷いなく、根こそぎ仕留めていく。無駄な動きを削ぎ落としていく度に、その太刀筋は、どんどん静かに、どんどん鋭くなっていった。


以前の、どこか楽しむような余裕は消えていた。


その姿にはこれまで見せたことのない、鬼気迫るものがあった。




アークとの連携は、目に見えて減った。


以前なら、シオンが敵の動きを読むだけで、アークは次の一手を理解できた。目が合えば、それで十分にさえなっていた。


今は、シオンが一人で斬る。アークが前に出る必要すらない。


二人の間に生まれていた自然な呼応は、もうどこにもない。


並んで歩いていても、二人の間には、埋めようのない距離が横たわっている。


――シオン。


戦いの合間に感じるその喪失感は、思っていたよりもずっと深く、アークの心を抉った。


考えがまとまらず、気づけば、同じ思考を何度も巡っている。歩きながら、剣を研ぎながら、火を眺めながら――どこにいても、その距離のことばかり考えていた。


胸当ての中。布に包んでしまい込んだ髪の上を、無意識に指でなぞる。それだけが、いつのまにか癖になっていた。


――隣に、戻りたい。


その思いが浮かぶたび、アークは戸惑う。

それでも、その気持ちを消そうとは思わなくなっていた。




逆にカイリは機嫌が良かった。

こちらを一瞥してシオンを連れて行く。アークは気が狂いそうになった。うまく言葉にできない苛立ちが、腹の底から込み上げてくる。


シオンがあの薬の匂いをまとわせ帰ってくると、内臓の奥をねじられるような感覚に襲われた。目を逸らしたくても、逸らせない。


――シャンテは、毒だと言っていた。


だとすれば。

アリアへの操は守りながら、シオンの心は顧みていないということだ。


――カイリを許せない。


あの行為にシオンへの配慮など、微塵も見当たらなかった。


――俺なら。


名前を、呼んであげたい。

顔を覆う布を外してあげたい。

もっと、近くで……


思考の続きにようやく気づいた瞬間、思わず口元を手で覆った。


(俺は、今、何を……!)

頬が、かすかに熱を持っていた。




その様子に、シャンテはそっと目を伏せた。


(ルカ。見ておるか。あの頃のお前が守った少年は、今、自分から誰かに手を伸ばそうとしている……)

胸に熱いものが込み上げた。




夜になり、カイリがシオンを起こす。見張の交代だ。


シオンは焚き火の前に座り、薄く広く索敵を張る。

小さく息を吐き、ぼんやりと炎を見つめた。


最近は頻繁に服用しているせいで、薬の副作用が重くなっている。めまい、倦怠感、軋むような骨の痛み。それに耐えるように、両腕で自分の体を抱きしめた。


不意に、後ろで、布の擦れる音がした。

まだ、交代の時間には早い。


「まだ時間じゃ……」

振り向くより早く、隣にアークが腰を下ろした。


近い。


戸惑うシオンの背に、そっと手が当てられる。

言葉もなく、ゆっくりと、回復の魔力が流し込まれていく。


「……っ」


その温かさに堪えきれず、シオンは思わず顔を伏せた。


アークは、しばらく炎を見つめていた。




「……俺は」


「俺は、女が苦手だ」


それはシオンもわかっている。だから、無理に触れなくてもいいのに。


アークの優しさが、シオンには痛かった。


どこかから吹く風が、火の粉を巻き上げては、闇の中へ消えていく。




「……女が、怖いんだ」




目を見開き、シオンは黙って彼を見た。

しばらくの沈黙のあと、アークは、途切れがちに語り始めた。




アークは親を知らない。長寿のエルフは年長者になればなるほど他者への関心を失うため、そんな子どもは珍しくなかった。


気まぐれに世話をされ、気まぐれな教えを受け、好きな場所で好きに生きる。


アークは本が好きで、いつも本を読んでいた。魔法、植物学、生物学、薬学、歴史……。知らない知識なら、何でも楽しかった。


「……これから、どうしようかな」


里の長であるハイエルフの蔵書を読み尽くし、足が里の外に向かった。


目指していたのは王都。

国で最大の図書館を目指し、そこで攫われた。


魔力を封じる首輪をされ、貴族の屋敷へ売られた。最初はただ、観賞用に置かれるだけだった。


だが、体が育つにつれ、扱いは変わっていった。


「何をするのっ!?……やだよ、やめてよ!!」


四肢を固定され、薬を盛られ、貴族の女達に弄ばれた。やがて薬にも反応を示さなくなると、待っていたのは、鞭と、焼けた金属だった。


「俺にとって女という存在は、いつしか、痛みそのものと同じ意味になっていたんだ」


シオンは怒りとも悲しみとも言えない感情を持て余し、深く服を握り込んでいた。


その様子に、アークが少しだけ力を抜き、続ける。

「……そんな俺を救ってくれたのが、ルカだった」


ある日、その家の三男――神殿騎士のルーカスがやって来た。


「こんなの……神は許さない」


家の人間が取り囲む。護衛達が集まる。

それでもルーカスはアークを背に庇った。


「どいてください。立ち塞がるなら、容赦しない」


身内に剣を向けて応戦し、隙を見てアークを抱えて駆け出した。

あの地獄から、連れ出してくれた。


「遅くなってごめんね。もう、大丈夫だからね」


その日の背中はアークの憧れとなり、ルーカスを追うように神殿騎士となった。




焚き火の爆ぜる音だけが、静けさの隙間を埋めていた。




赤裸々な話だった。

その辛い過去の上で、自分を例外に置いてくれている。これで察せないほど、シオンは鈍くない。


――嬉しい。


その感情が、胸の奥で小さく灯った。


同時に、自分の中に芽生えてしまった同じ気持ちを、絶対に知られてはいけないとも思った。


その先に待っているのは、アークにとって、ただの苦痛でしかない行為だ。過去を呼び覚まし、彼をもう一度苦しめるだけ。


――自分に幸せになる資格など、そもそもない。




「……わかった」


だからシオンは、気づかないふりをして炎を見つめた。余計な希望など、胸に宿らないように。




横になっていたカイリも、黙ってその話を聞いていた。


――本当は、アリアと一緒に死にたかった。


なのに、生きてと言い残された。

だから死ぬに死ねないまま、ここまで来てしまった。


怒りをぶつけ悲しみを押しつけることで、崩れそうな自分を繋ぎ止めてきた。シオンがそれを受け止め続ける限り、カイリは、辛うじて生きていられた。


――それだけではないことも、薄々気づいている。


シオンと体を重ねるたび、カイリの中に何かが積もっていく。それは、罪悪感などという単純なものではない。


わざと酷く扱い、横暴に振る舞うことで、自分に言い聞かせる。


――俺が愛しているのは、アリアだけだ。


そうでなければ、アリアへの想いが嘘になる。


だから、布を被せ、目を合わせない。名を呼ばない。冷たくすることでしか、自分の中に芽生えつつあるものから、目を逸らせなかった。


――もし、二人が通じ合ってしまったら。


捌け口がなくなる。

認めたくない何かも、きっと露呈する。


カイリはその先を直視するのが怖かった。


これ以上何も、失いたくない。


それでも――アークの話を、何も感じずに聞き流せるほど、器用じゃなかった。

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