第十三話 隣に
野営を切り上げてから、シオンの戦い方が変わった。
誰よりも先に立ち、誰よりも先に剣を抜いた。誰かに言葉をかけることも、誰かに合わせることも、もうしなかった。
狙うのは、いつも首。
先手を取り、迷いなく、根こそぎ仕留めていく。無駄な動きを削ぎ落としていく度に、その太刀筋は、どんどん静かに、どんどん鋭くなっていった。
以前の、どこか楽しむような余裕は消えていた。
その姿にはこれまで見せたことのない、鬼気迫るものがあった。
アークとの連携は、目に見えて減った。
以前なら、シオンが敵の動きを読むだけで、アークは次の一手を理解できた。目が合えば、それで十分にさえなっていた。
今は、シオンが一人で斬る。アークが前に出る必要すらない。
二人の間に生まれていた自然な呼応は、もうどこにもない。
並んで歩いていても、二人の間には、埋めようのない距離が横たわっている。
――シオン。
戦いの合間に感じるその喪失感は、思っていたよりもずっと深く、アークの心を抉った。
考えがまとまらず、気づけば、同じ思考を何度も巡っている。歩きながら、剣を研ぎながら、火を眺めながら――どこにいても、その距離のことばかり考えていた。
胸当ての中。布に包んでしまい込んだ髪の上を、無意識に指でなぞる。それだけが、いつのまにか癖になっていた。
――隣に、戻りたい。
その思いが浮かぶたび、アークは戸惑う。
それでも、その気持ちを消そうとは思わなくなっていた。
逆にカイリは機嫌が良かった。
こちらを一瞥してシオンを連れて行く。アークは気が狂いそうになった。うまく言葉にできない苛立ちが、腹の底から込み上げてくる。
シオンがあの薬の匂いをまとわせ帰ってくると、内臓の奥をねじられるような感覚に襲われた。目を逸らしたくても、逸らせない。
――シャンテは、毒だと言っていた。
だとすれば。
アリアへの操は守りながら、シオンの心は顧みていないということだ。
――カイリを許せない。
あの行為にシオンへの配慮など、微塵も見当たらなかった。
――俺なら。
名前を、呼んであげたい。
顔を覆う布を外してあげたい。
もっと、近くで……
思考の続きにようやく気づいた瞬間、思わず口元を手で覆った。
(俺は、今、何を……!)
頬が、かすかに熱を持っていた。
その様子に、シャンテはそっと目を伏せた。
(ルカ。見ておるか。あの頃のお前が守った少年は、今、自分から誰かに手を伸ばそうとしている……)
胸に熱いものが込み上げた。
夜になり、カイリがシオンを起こす。見張の交代だ。
シオンは焚き火の前に座り、薄く広く索敵を張る。
小さく息を吐き、ぼんやりと炎を見つめた。
最近は頻繁に服用しているせいで、薬の副作用が重くなっている。めまい、倦怠感、軋むような骨の痛み。それに耐えるように、両腕で自分の体を抱きしめた。
不意に、後ろで、布の擦れる音がした。
まだ、交代の時間には早い。
「まだ時間じゃ……」
振り向くより早く、隣にアークが腰を下ろした。
近い。
戸惑うシオンの背に、そっと手が当てられる。
言葉もなく、ゆっくりと、回復の魔力が流し込まれていく。
「……っ」
その温かさに堪えきれず、シオンは思わず顔を伏せた。
アークは、しばらく炎を見つめていた。
「……俺は」
「俺は、女が苦手だ」
それはシオンもわかっている。だから、無理に触れなくてもいいのに。
アークの優しさが、シオンには痛かった。
どこかから吹く風が、火の粉を巻き上げては、闇の中へ消えていく。
「……女が、怖いんだ」
目を見開き、シオンは黙って彼を見た。
しばらくの沈黙のあと、アークは、途切れがちに語り始めた。
アークは親を知らない。長寿のエルフは年長者になればなるほど他者への関心を失うため、そんな子どもは珍しくなかった。
気まぐれに世話をされ、気まぐれな教えを受け、好きな場所で好きに生きる。
アークは本が好きで、いつも本を読んでいた。魔法、植物学、生物学、薬学、歴史……。知らない知識なら、何でも楽しかった。
「……これから、どうしようかな」
里の長であるハイエルフの蔵書を読み尽くし、足が里の外に向かった。
目指していたのは王都。
国で最大の図書館を目指し、そこで攫われた。
魔力を封じる首輪をされ、貴族の屋敷へ売られた。最初はただ、観賞用に置かれるだけだった。
だが、体が育つにつれ、扱いは変わっていった。
「何をするのっ!?……やだよ、やめてよ!!」
四肢を固定され、薬を盛られ、貴族の女達に弄ばれた。やがて薬にも反応を示さなくなると、待っていたのは、鞭と、焼けた金属だった。
「俺にとって女という存在は、いつしか、痛みそのものと同じ意味になっていたんだ」
シオンは怒りとも悲しみとも言えない感情を持て余し、深く服を握り込んでいた。
その様子に、アークが少しだけ力を抜き、続ける。
「……そんな俺を救ってくれたのが、ルカだった」
ある日、その家の三男――神殿騎士のルーカスがやって来た。
「こんなの……神は許さない」
家の人間が取り囲む。護衛達が集まる。
それでもルーカスはアークを背に庇った。
「どいてください。立ち塞がるなら、容赦しない」
身内に剣を向けて応戦し、隙を見てアークを抱えて駆け出した。
あの地獄から、連れ出してくれた。
「遅くなってごめんね。もう、大丈夫だからね」
その日の背中はアークの憧れとなり、ルーカスを追うように神殿騎士となった。
焚き火の爆ぜる音だけが、静けさの隙間を埋めていた。
赤裸々な話だった。
その辛い過去の上で、自分を例外に置いてくれている。これで察せないほど、シオンは鈍くない。
――嬉しい。
その感情が、胸の奥で小さく灯った。
同時に、自分の中に芽生えてしまった同じ気持ちを、絶対に知られてはいけないとも思った。
その先に待っているのは、アークにとって、ただの苦痛でしかない行為だ。過去を呼び覚まし、彼をもう一度苦しめるだけ。
――自分に幸せになる資格など、そもそもない。
「……わかった」
だからシオンは、気づかないふりをして炎を見つめた。余計な希望など、胸に宿らないように。
横になっていたカイリも、黙ってその話を聞いていた。
――本当は、アリアと一緒に死にたかった。
なのに、生きてと言い残された。
だから死ぬに死ねないまま、ここまで来てしまった。
怒りをぶつけ悲しみを押しつけることで、崩れそうな自分を繋ぎ止めてきた。シオンがそれを受け止め続ける限り、カイリは、辛うじて生きていられた。
――それだけではないことも、薄々気づいている。
シオンと体を重ねるたび、カイリの中に何かが積もっていく。それは、罪悪感などという単純なものではない。
わざと酷く扱い、横暴に振る舞うことで、自分に言い聞かせる。
――俺が愛しているのは、アリアだけだ。
そうでなければ、アリアへの想いが嘘になる。
だから、布を被せ、目を合わせない。名を呼ばない。冷たくすることでしか、自分の中に芽生えつつあるものから、目を逸らせなかった。
――もし、二人が通じ合ってしまったら。
捌け口がなくなる。
認めたくない何かも、きっと露呈する。
カイリはその先を直視するのが怖かった。
これ以上何も、失いたくない。
それでも――アークの話を、何も感じずに聞き流せるほど、器用じゃなかった。




