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エルフ王――四百年後、死んだはずの妻が帰ってきた  作者: 忘却セミコロン
第一章 沈黙を解く迷宮

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第十二話 止まった時間

鬼の国では、角のない者は数に入らない。


シオンは、生まれたときからそう教えられて育った。


人間の血が混じった下級の鬼。角はなく、牙も申し訳程度にしかない。両親の顔さえ知らないまま、孤児院で育った。


その境遇が変わったのは、王家の姫――アリアの体が弱いと噂が立ち始めた頃だった。

痩せて、儚い体つき。でも保有する魔力量は高い。それが、幼いシオンとよく似ていた。


ある日、孤児院に鬼国の兵が現れ、シオンは何も説明されないまま、城へ連れていかれた。


行き着いた先は、暗殺と隠密のための部隊だった。


気配を殺す術。毒の見分け方。喉を裂くまでの、最短の間合い。教え込まれるものはどれも、生きるか死ぬかが基準だ。


そこで、カイリと出会った。


純血の上級鬼で、護衛剣士として育てられていた少年だった。身分は、シオンとは比べものにならないほど高い。それでも、年が近いというだけの理由で、彼はシオンに気安く声をかけてきた。


「お前、強くなれよ。足引っ張ったら許さねぇ」


そう言って笑う顔には、裏表がなかった。


直感で戦う天才型のカイリと、分析と補助に長けたシオンは、とても相性が良かった。


身分を越えて、二人は少しずつ、対等に近い距離を築いていった。




やがてシオンは、アリアの身代わりとして、そして彼女を守る暗殺者として、その側に仕えるようになった。


「初めまして、アリアよ。よろしくね」


アリアは、体は弱くとも、誰よりも心優しい人だった。いつもシオンの髪を櫛で梳き、三つ編みにしてくれた。混じり合った色の髪を見て、アリアはいつも言った。


「綺麗ね」


シオンには、その言葉の意味が分からなかった。


角のない鬼。人間の血が混じった下級。綺麗だと言う者など誰もいなかった。


ある夜、姫の宮が襲われ、シオンは迷わずアリアの前に身を投げ出した。


死ぬことも傷つくことも、何も怖くなかった。ただ、アリアを守らなければ。その一心だった。


「お役に、立てたでしょうか」

「なんて事を言うの!」


身体中に深い傷を負い、動けなくなったシオンの言葉にアリアは怒って、泣いた。


「もっと自分を、大切になさい!」


初めてだった。怒られて初めて、嬉しいと思った。

訳もわからず、涙が止まらなかった。


その後、役に立たなくなったシオンを処分する話が出たとき――最後まで反対したのも、アリアだった。


「シオンを治せないなら、二度と護衛なんてつけないわ」


頑なな姫の言葉にシオンの治療は継続され、シオンは少しずつ回復していった。


復帰した日に、シオンは彼女に忠誠を誓った。

主従を超えた確かな絆が、芽生えていた。




「お前、アリアに忠誠を誓ったらしいな」

カイリが少し不貞腐れて、シオンに文句を言いにきた。


「俺が先に、誓いたかったのに」

「ごめん。でも、カイリは誓うものが違うでしょ」

「なっ……!」


真っ赤になるカイリに、シオンは笑う。


「早く武勲をあげて、姫に降嫁してもらわないとね」

「……おう」




幼馴染のカイリとアリアは、幼い頃から互いに想いを通わせていた。密かに重ねる逢瀬の手助けをしていたのは、いつもシオンだった。


だが、アリアに他国との縁談の話が持ち上がってしまった。


三人で駆け落ちの計画を立てた。シオンを囮にし、その隙にカイリとアリアが城を抜け出す――そういう筋書きだった。


「私が、時間を稼ぎます」

地図を囲みながら、シオンは迷わずそう言った。


二人が震えながら、抱きしめてくれた。それだけで、シオンは嬉しかった。




そして計画は――失敗した。


護衛の中に裏切り者がいると、気づいたときにはもう遅かった。アリアは、その場で殺された。


死の間際、彼女はシオンに、カイリをお願いと託した。そして、カイリには。


「あなたは、生きて」


そう告げて、儚くなった。




姫殺害の濡れ衣は、そのまま二人に着せられた。


シオンとカイリは、追われるようにして、国を出た。山脈を越え、国境の閉ざされたこの国まで、命からがら逃げ延びてきた。


アリアを守れなかったという事実だけが、シオンの中に、深く重く沈んでいる。


――私が、代わりに死ぬべきだった。


何度、そう思ったかわからない。




迷宮都市で冒険者として生きる中、雇われ先でカイリが酒を勧められた。


討伐の打ち上げだった。安酒の匂いと、冒険者達の下世話な笑い声が入り混じる、よくある夜のはずだった。


「よぅ、色男。おめぇ、恋人はいないのか?」

酔っ払いの戯言。


その一言で、カイリの目の色が変わった。盃を呷る速度が上がり、やがて、手当たり次第に喧嘩を売り始めてしまった。


まずい。


シオンは、人目が集まる前にと、彼を引きずるようにして店の外へ連れ出した。少し休ませようと、路地裏のほうへ急いで向かう、その先で。


「カイリ、少し座って――」


振り返った瞬間、虚ろな目のカイリが、シオンの髪を強く掴んだ。


「……身代わりは、お前の役割だろうが」


殺意のこもった、声だった。


「お前が、死ぬべきだったのに」




――その通りだ。




「……返せ」


赤い瞳が、憎悪とともにシオンを射抜く。


「アリアを、返せよ!!」




「……ごめん」


涙が溢れた。カイリの怒りは、もっともだ。

シオンは、もう、立っていられなかった。




月の光も届かない、狭い路地の暗がり。


カイリは、シオンの三つ編みを引っ張り、怒りのままにぶつけてきた。


シオンは、初めての痛みに、歯を食いしばるしかなかった。声を上げることさえ、許されていない気がした。


それでも、苦痛を与えられる方が、まだ楽だった。


アリアへどう謝ればいいのか分からない。

痛みを受けること以外の償う方法が、何も思いつかなかった。




やがて、路地は静かになった。乱れた息だけが、しばらく重なり合っていた。


ふと、シオンの足を伝う跡に、カイリの視線が落ちた。

彼は、それをしばらく見つめていた。


そしてアリアを失って以来、初めて。


――笑った。




それ以来、幾度となく同じことが繰り返された。


カイリもきっと、同じ場所に囚われたまま、動けずにいるのだろう。


彼が時折シオンに向ける、冷たさとも執着ともつかない眼差し。その奥に潜む「何か」に、シオンは薄々気づいていた。


それは、アリアへの裏切りに値するものだ。だから、見ないふりをするしかなかった。


体を差し出したあとは、必ず、孕まないための薬を飲んだ。それもまた、アリアへの最低限の忠義のつもりだった。


自分にできることは、ただ、彼のそばにいることだけ。


頼まれたから守り、望まれたから生きる。


アリアを喪ってから、二人の時間は、ずっとそこで止まったままだった。


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