8句 黎明の少女
「あ、旭様!! どうなさいましたか!?」
夜の相楽邸に、使用人の声が響き渡る。
自室で本を読んでいた憩は、その名を聞いて部屋を飛び出した。
階段を下りた先にある玄関ホール。
そこには、ボサボサの髪にドス黒いクマ、ヨレヨレの隊服を着た兄が、隊士たちに両脇を支えられながら立っていた。
「お兄様!! 一体どうなさったのですか!?」
愛しい妹の声に、それまで輝きを失っていた旭の瞳が生を取り戻す。
「憩……!! ただいま! 遅くなってごめんね。手紙も読んだよ、返事を書けなくてごめんね」
「手紙なんて、今はそんなことはいいのです! 申し訳ございませんが、お兄様を客間まで運んでいただけますか?」
隊士たちは言われるがまま、旭を客間へと運んでいく。
オロオロとするばかりの使用人に、憩は声をかけた。
「お湯と手拭い、それからあたたかいお飲み物をお願いします」
「か、かしこまりました……」
使用人が去ると、少女はすぐさま兄の後を追った。
「お兄様、ご気分はいかがですか?」
「……ごめんね、憩。大丈夫だよ」
ソファに横たわる、痛々しい姿の兄。
けして傷を負っているわけではない。寝不足で見た目がひどいだけで……。
「隊士の方から伺いました。寝ずにお仕事されていたんですよね……」
「うん、思ったより仕事が片付かなくて。ごめんね、手紙も返さず心配かけたよね」
「そんなことはいいのです……! お兄様が無事帰ってきてくだされば……」
憩は下唇をグッと噛み締めると、旭の顔を手拭いでそっと拭う。
私が、花火大会のことをお手紙に書いたから。
だからお兄様は、お仕事を終わらせるために無理して……。
——私が、わがままなんて言ったから。
「……憩、違うよ。この間も言っただろう?」
目に涙を溜め、今にも泣き出しそうな妹の頭を旭はそっと撫でる。
憩は何も悪くない。
僕たちがこの子を閉じ込めてしまっている。
その血が、奴らに渡ると危険だからと教えることもせず——。
「お兄様も和も、憩と過ごす時間が1番大切なんだよ。だから、一緒に過ごしたいと言われるのは何よりも嬉しいことなんだ」
「でも……」
「ごめんね。こんな姿で帰ってきたから、びっくりさせてしまったよね」
こぼれ落ちる妹の涙を拭いながら、旭は迷っていた。
もう、伝えるべきなのだろうか。
憩も来年で16になる。そろそろ自らの血の秘密を知っても……。
——いや、ダメだ。伝えたら、この子は自らを犠牲にするかもしれない。
そんなこと、絶対にさせはしないんだ。
「ごめんね、憩。明後日の花火大会は絶対に3人で行こうね」
「はい……、でも今はお休みください。お兄様がお好きな胡桃入りのクッキーも焼いたんですよ」
「うん、ありがとう憩。起きたら必ず食べるから……」
微睡んでいく意識の中、自分の手を握る妹の微笑みだけが旭の心を救っていた。
旭が眠りにつくと、憩は自室へと戻っていた。
「私が待っていることしかできないから、お兄様もお姉様も……」
窓の外に目をやる。今日は満月だ。
静かな闇の中に浮かび、辺りを照らす力強い月。
それはまるで、ずっと会いたい誰かにそっくりだった。
「朔夜……」
ふと、彼に送っていた手紙を思い出す。
毎回手紙の最後に書いていた締めの言葉。
——早く帰ってきてくれると嬉しいな。
「私……、朔夜にも無理させてる……?」
だから、1回もお返事をくれないの……?
ただ待っていることしかできない、護られることしかできないから……?
ずっと屋敷で過ごしてきた憩は、家事全般は大得意だ。
侯爵令嬢としての振る舞いも、勉学にも励んできた。
しかし1つだけ、絶対にやらせてもらえないことがあった。
「……私が自分の身を守れるくらい強くなれば、みんなが無理をしなくて済む。私が強くなれば……」
——いいかい、絶対に怪我をしてはいけないよ。
何度兄姉に言われたかわからない。
そのため、護身術などの教育は一切受けていなかった。
「明日、お兄様にお願いしてみよう」
憩は再び満月を見上げる。
——私、強くなるから。だから待ってて。
万年筆と便箋を取り出すと、すぐに手紙を書き始めた。
*
「杣さーん!! よかった、間に合った! 手紙っす!!」
西領の最北端にある屯所。
ここで朔夜は、部下の指導に当たっていた。
普段は西領司令部にいる彼も、時折様子を見るために領土各地にある屯所をまわる。
手紙や書類は全て司令部に届くが、その度に部下が朔夜の元へと届けていた。
「毎回持ってこなくていいって言ってんだろ」
「でもこの手紙は届けた方がいいって先輩が……」
まもなく夜間の巡回任務に出るところだった上司へと手紙を渡す。
受け取ったそれには、几帳面な字で「朔夜へ」と綴られていた。
中を開けなくても、差出人が誰であるかは一目でわかる。
手紙を開くと、いつもと変わらない見慣れた字が並んでいた。
朔夜へ
お元気ですか?
私は変わらずお屋敷で毎日退屈な日々を送っています。
花火大会、今年はお兄様とお姉様と見に行きます。
朔夜のいる西領からも花火は見えるのかな?
また一緒に花火が見られる日を楽しみにしています。
最後になりますが、詩を詠んだので贈ります。
月の君 闇を照らせし その影は 黎明の空 なお光りけり
憩
「なんだ、この詩……」
週に1回届く憩からの手紙。
今までこんなものが書かれていたことは1度もなかった。
そして、朔夜が感じたもう1つの違和感。
……早く帰ってきてくれると嬉しいな、って書いてねぇな。
無意識に胸ポケットに手が伸びる。
そこには、今まで憩からもらった手紙を製本した宝物が入っている。
前回の手紙に同封されていた桜の花。
あれも栞にして、その本に大切に挟んでいた。
……あいつ、なんかあったのか?
そう思いつつも、返事は出さない。いや、出せなかった。
——俺も早くいこに会いたい。
そんな期待させることを書けるはずがない。
いつ会えるかもわからない、叶えられるかもわからない約束なんてできない。
報告で本部に行くことがあっても、それは業務でのことだ。
だから朔夜は、絶対に少女に会わないようにしていた。
会ってしまったら、もう西門でいることができなくなるとわかっていたから。
「花火か……」
「杣さん? どうしたんすか?」
「いや、なんでもねぇよ」
西領からは、桜の満開を祝う帝都の花火大会は見えない。
だが朔夜の胸には、かつて一緒に見た花火が色鮮やかに咲いていた。
これにて第1折は終幕、2折からは夏が始まります。
憩ちゃんが朔夜に贈った詩。これは作者の創作です(._.)
いつも通り、創作に創作を載せるスタイルぶちかましました。
季語とか細かいことは考えていません。
何故なら、憩ちゃんが朔夜を想って書いたことが大事なので……。
次話は、ちょっとした人物紹介&用語説明を挟みます。
ですので、物語が進むのはその次の話からになるのですが、まとめて更新するので土曜日は2話上がります( ✌︎'ω')✌︎




