4句 愛される少女
「ただいま戻りました!」
相楽邸に響き渡る、憩の明るく弾む声。
その言葉を待ってましたとばかりに、ものすごい勢いで階段を降りてくる者がいた。
「憩ちゃん!! お帰りなさい!!」
「和、行儀が悪いよ」
「仕方ないでしょう? ずうっと帰ってくるのを待っていたんですもの」
兄の言葉に、和は不満げに頬を膨らませる。
ずるいわ、お兄様ばっかり……。
私だって、憩ちゃんとお出かけしたいのに。
彼女の望む姉妹だけでのお出かけ。
その願いが叶うことはないとわかっていた。
自身も有名な芸花魁であり、妹は珍しい金色の瞳。
そんな姉妹が2人だけで出歩くなど、拐かしてくださいと言っているようなものだからだ。
「ところで、今日は休みなのかい?」
「そうよ! だから憩ちゃんとお花見でもしようと待っていたの!」
「それなら丁度よかったです。お土産にお団子を買ってまいりました!」
「嬉しいわぁ、早くお庭に行きましょうね!」
和にがっしりと肩を抱かれ、旭から引っ剥がされるかのように連れて行かれる憩。
遠ざかる兄の背に、少女は笑顔で声をかけた。
「お兄様も一緒に行きましょう!」
*
帝都が緋色に変わる頃。
朔夜の担当領土である西領は、ひと足遅れて夜を迎えようとしていた。
「そ、杣さん! お疲れ様です。ご報告申し上げます」
腕を組みながら部下の報告に耳を傾ける青年の顔は、いつもの如く険しい。
その表情が、今季入隊したばかりの隊士の心を綺麗に抉っていた。
「い、以上です! 何か不足ありますでしょうか……」
「ねぇよ」
「か、かしこまりました……」
「つーか、そんな報告しなくていいんだけど」
冷たく突き放すようなその言葉に、隊士の顔色はみるみるうちに悪くなる。
——西門の死神
冷酷無慈悲と恐れられる、帝国陸軍内での彼の二つ名だ。
それを知らぬ者はおらず、 入隊したてとはいえ、この隊士ももちろん知っていた。
「も、申し訳——」
「あー! そんなだと誤解されますよー!」
青ざめてしまった新人を肩を抱きながら、別の隊士が朔夜に声をかける。
部下に指摘された青年は、面倒くさそうに唇を歪めると口を開いた。
「うるせぇな、別にいいだろ」
「よくないっすよ! 杣さん誤解されやすいけど、本当は優しいじゃないっすか!」
「んなこたねぇよ、普通だろが」
「素直じゃないなー」
上官に向かって軽い口調で絡む先輩を、新人隊士は怪訝な顔で見つめる。
それに気づいた隊士は、笑顔で口を開いた。
「杣さんは伝え方が下手なだけで、怖い人じゃないんだぜ!」
「でも、報告も……」
「あぁ! あれは、そんなかしこまらなくていいって意味だよ」
「んなこと教えてんじゃねぇ!!」
朔夜が大声を上げると、隊士が楽しそうに笑う。
「な! 怖くねえだろ!?」
「チッ……、お前はこいつみたいになんなよ」
西門の死神と恐れられる上官は、西日に照らされながら目を細めた。
*
その夜、憩は自室で机に向かっていた。
手には万年筆が握られ、便箋には几帳面な字が並んでいる。
「これも一緒に入れて……」
昼間、神社で手に入れた桜の花。
アイロンで丁寧に水分を飛ばし、押し花にした桜の花。
それを便箋と共に、丁寧に封筒へと忍ばせる。
「喜んでくれるかなぁ……」
ふと窓の外を見ると、綺麗な星空が広がっていた。
「わぁ……、今日はいい天気だったから星も綺麗……」
ガス灯が淡く帝都を照らし、それを包み込むかのように広がる星々。
たとえ隣にいられなかったとしても、同じ空の下にいて、同じ空を見ている——。
その事実だけが、少女の心を支えていた。
「いつになったら、帰ってきてくれるんだろう……」
そう希望を口にしつつも、わかっていた。
——ここに、帰ってくることはないのだろうと。
お兄様が言ってたもん、朔夜は西門になったって。
領土長が、こっちに帰ってこられるはずがないんだ……。
書き終えた手紙を掲げる。
送り先はもちろん朔夜だ。
「手紙、読んでくれてるのかなぁ……」
彼が相楽家を出た3年前から、憩は手紙を書き続けていた。
読んだ本、覚えた詩、兄姉と話したこと、無事を祈る言葉。
そして、早く帰ってきてくれると嬉しいな。と。
しかし彼から返事が来たことは、この3年間で1度もない。
「迷惑なのかなぁ……」
静かな部屋に、少女の声だけがこだまする。
ふいに、身に付けていた髪飾りが外れ、床に落ちた。
少女を見上げる、桜を模した桜色の髪飾り。
朔夜が憩の11歳の誕生日に贈ったものだ。
「朔夜は、もう私のことなんて忘れちゃったのかな……」
歪みかけた視界には、書き終えた手紙と桜の髪飾りが滲んでいた。
憩ちゃん、夜いつも泣いてない?
次回、朔夜回です。




