9句 乙女の願い
桜の満開を祝う花火大会から早1ヶ月。
憩は護身術を習う許可をもらい、日々稽古に励んでいたのだが……。
「憩様、形が違います」
「こ、こうですか?」
「いいえ、手と足が同時に出ていますので違います」
少女の専属である矢桐が指南役を務めているのだが、未だこの状態だった。
「ではこうですか?」
「それは足を開きすぎです。はしたないですよ」
「も、申し訳ございません……」
側から見れば、使用人としてあるまじき態度なのかもしれない。
しかし、他の使用人たちから侯爵令嬢として扱われる憩にとって、矢桐は親身になって接してくれる唯一の他人だった。
「そろそろ休憩にしましょうか」
「でも……」
「焦らなくてよいのです。ゆっくり進めましょう」
憩の専属とはいえ、矢桐にも矢桐の仕事がある。
その時間を使って、自分に稽古をつけてくれているのだ。
ちゃんとできないから、矢桐さんにも迷惑かけて……。
稽古着の裾をグッと握りしめる主人を見て、矢桐は小さく息を吐く。
「憩様、1つ1つでよいのです。姿勢はとてもお綺麗ですし、あとは身体が覚えていきますから」
「でも、もうひと月は稽古をつけていただいています。それなのに……」
「まだひと月、ですよ。旭様も和様も、そして朔夜様も、誰1人急には成長しておりません。日々の積み重ねの結果、今のお姿があるだけです」
そっか。お兄様もお姉様も朔夜も、たくさん努力したんだ。
それなのに私は、ひと月稽古をつけてもらったくらいでできるようになると思ってた。
……なんて、甘い考えだったんだろう。
憩は大きく頷くと、真っ直ぐに矢桐を見つめる。
「そうですよね! 矢桐さん、これからもご指導よろしくお願いいたします!」
「えぇ、もちろんでございますよ。では、休憩にいたしましょう」
「はい! 私、クッキーが食べたいです!」
「かしこまりました。紅茶と一緒にお持ちしますね」
新たな決意を胸に笑う、まるで娘のような主人。
――これからも、私が憩様をお支えする。
矢桐自身も改めて決意を固めたのだった。
*
「さすが和様、今日も大変お美しゅうございます」
「あら、嬉しいわぁ。ありがとう」
憩たちが稽古をしている頃、別部屋では和が舞の練習をしていた。
指南役も、もはや教えられることは何もない。
そのため、こうして褒め称えることだけが役目となっていた。
――芸のみを売る、吉原の芸花魁。
肩書きこそ輝いて見えるが、それは汗にまみれる努力あってのものだ。
「憩ちゃんは? まだ稽古中なのかしら」
「先ほど稽古場を出ていかれたようですので、休憩中かと」
「あら! じゃあ私も!」
指南役を部屋に置き去りにしたまま、和は愛する妹の元へと駆け出した。
「憩ちゃん!」
居間で紅茶を飲んでいた妹に飛びつく。
そばに仕えていた矢桐は、彼女の分の紅茶を淹れるためその場を離れた。
和は妹の隣に腰をかけると、とびきりの笑顔を向けた。
「稽古お疲れ様! 大丈夫? 疲れてはいない? ケガは? こんなに汗もかいて……」
「お姉様、そんなに心配なさらなくても私は大丈夫ですよ」
「そんなこと言わないで。心配させてちょうだい」
手拭いで妹の汗を拭いながら、その身体を注意深く観察する。
幸いにも少女が言うように、どこにもケガはないようだ。
……よかった。アザもできていないわね。
組み手ができる段階でもないのだから、アザもケガもしようがない。
しかし、そんなことを知らぬ姉は安堵の息をこぼす。
憩が護身術を習いたいと旭に告げた際、もちろん最初は却下された。
しかし、愛憎渦巻く世界に身を置く和が、その願いを後押ししたのだ。
「ねぇ、憩ちゃん。稽古は楽しい?」
「はい! でもまだまだ全然で……。これからも精進いたします!」
「そう、でも無理はしないでちょうだいね?」
「はい! ありがとうございます!」
笑顔でクッキーを頬張る愛おしい妹。
まだまだあどけなさの残るその姿に、和は胸が締め付けられた。
——自由に生きてほしい。
そう思いつつも、護るために閉じ込めるしかない現実。
だからこそ、少女の願いを少しでも多く叶えてあげたかった。
それがたとえ、エゴだったとしても。
「お姉様? どうされました?」
「ううん、なんでもないのよ。クッキー美味しい?」
「はい! お姉様も一緒に食べませんか?」
「ありがとう、いただくわね」
差し出されたカゴからクッキーを受け取ると、和は無理に笑顔を作った。
憩ちゃん、私もお兄様もあなたが何よりも大切なの。
何にも縛られず、好きなように生きてほしい。
それがあなたにとって、危険なことだとしても。
そのためなら、私とお兄様はなんでもするから——。
鳥籠でしか生きられない。
そんな少女の未来を、和は考えたくもなかった。
夏が始まりました( ✌︎'ω')✌︎
まだまだ飛べない憩ちゃんを応援していただけると嬉しいです




