手数の理論と、百年後の恩返し 1 〜噂に踊る人類と、天文学的な遭遇確率〜
1.
乾燥した山岳地帯特有の、細かい砂埃を孕んだ風が吹き抜ける宿場町。
切り立った山肌にへばりつくように伸びる一本の街道沿いに形成されたこの町は、他に安全な迂回路がないこともあって、辺境でありながらも常にそこそこの往来があった。
流通の経路がここしかないという地理的優位から、全体的に物価は旅人たちの足元を見るように、高めに設定されている。
それでも、ここを素通りしては次の町まで水や食料が持たないため、行き交う商人や傭兵たちは渋々この埃っぽい町で銀貨を落としていくのだ。
そんな宿場町の広場。
つい先程、町に着いたばかりのコロは、乾いた風でバタバタと煽られる大きな木製の掲示板の前に立ち、乱雑に貼られた羊皮紙の依頼書や手配書を、硝子玉のような氷藍色の瞳で淡々と眺めていた。
「……ふぅん。デーモンの目撃情報ね」
『デーモン、か。厄介だな』
コロの足元で座っていたウルが、忌々しそうに鼻を鳴らす。
「うん。縄張り意識の強い魔物と違って、デーモンばかりは特定の縄張りを持たずにフラフラ徘徊するからね。どこで遭遇するか予測が立てづらくて嫌になるよ」
『全くだ。それに、デーモンと一口に言ってもピンキリだからな。小鬼に毛が生えた程度の有象無象から、一帯の生態系を狂わせるような上位種まで幅が広すぎる』
「そうだね。しかも、目撃情報が『黒い影を見た』とか『不気味な声を聞いた』程度じゃ、信憑性も微妙だしね。ただのデカいカラスか何かの見間違いかもしれない」
『どうするつもりだ』
「え?どうもこうもないよ。デーモンに縄張りがない以上、引き返したが故に遭遇するかもしれないしね。というか、目撃情報が曖昧過ぎるし、これは多分空振りだと思うよ」
そしてコロは別の紙に視線を移すと、深い溜息を吐き出した。
『どうした?そっちには何が書いてる?』
「こっちのほうが厄介。足止めだね。この先でドラゴンが通せんぼしているってさ」
ウルの顔に視線を向けて肩を竦めるコロ。
『なんのドラゴンだ?ドラゴンと言ってもピンキリだろう』
「それが書いてないんだ。書いてない以上、これはリスクでしかないよ」
『はぁ……またあの荒野を引き返すのか……』
「どうせ進んでも荒野だよ。でも、とんだ徒労だったね。別の街道に行くのに、果たして何日かかることやら……」
『数日は滞在して様子見するか?』
「だね。アル・ラルゴ街道の宿って尽く割高なんだけどな……」
『そんなに渋るほど路銀に困ってはいないだろう』
「そりゃそうだけどさ、そういう問題じゃないよ」
コロが手配書から興味を失い、くるりと背を向けようとした、その時だった。
――ウオォォォォッ!!
突然、町の大通り口から、地響きのような大歓声が沸き上がった。
何事かとコロとウルが視線を向けると、屈強な馬八頭立ての巨大な荷車が、山の斜面に沿った狭い門をくぐり、ゆっくりと広場へ向かって凱旋してくるのが見えた。
荷車の上に無造作に縛り付けられていたのは、見上げるほど巨大な赤銅色の鱗を持つ魔物の死骸――『アースドラゴン』だった。
「おい見ろよ!アースドラゴンだ!」
「マジかよ、あれを狩ったのか!?誰がやったんだよ!!」
「あれだよ、例の傭兵だよ」
「え?あの傭兵、頗る腕が立つとは聞いたけど、たしか一人だって言ってなかったか?」
「すげえ……!一体どんな魔法を使ったんだ!?人間族らしいぜ?」
興奮した群衆が荷車を取り囲み、狂乱とも言える熱気を放っている。
コロは背伸びをして群衆の隙間からその巨大な死骸を一瞥し、ふうんと短く息を吐いた。
「……へえ。なんだ、アースドラゴンか」
『……フン。蓋を開けてみれば、人類が勝手にドラゴンと呼んでいるだけのオオトカゲではないか』
「だね。掲示板にあった『ドラゴン』の正体がアースドラゴンだったとはね」
『討伐されようとされまいと、引き返す理由にはならんかったな』
「あの手の魔物はさ、死骸をどうするかってやりとりが面倒臭いんだよ。まさか放置して立ち去るわけにもいかないし、すごく悪目立ちするし」
『それにしても人類が単騎で討伐と聞こえてきたな』
「そうみたいだね。まぁ、噂が本当なら」
『フン。随分と生意気な真似をする』
ウルの言葉には、上位の魔物としての苛立ちと、不快感が滲んでいた。
どれだけ人類が束になろうと、本来であればアースドラゴンの強靭な鱗と膂力の前には無力なはずだ。
「まあまあ。たぶん、サンオセール伯爵とかさ、この前の『人肉屋』みたく、人類の規格から外れた何か特別な力を持つ者なんだろうね」
『チッ……また『特別な力』か』
「伯爵は別だけどさ、そういう『特別な力を持つ人類』って、基本的には自己中心的で歪んだ連中ばかりじゃない?力を持てば持つほど、人類の枠から外れて魔物寄りの思考になっていく。……あのドラゴンを仕留めた人類も、きっと似たようなもんだよ」
『己の努力の上にない力をひけらかすなど、不愉快極まりない』
「ふふ、何もそこまでプリプリしなくてもいいじゃない」
『プリプリなどしてない!ただ、癇に障るだけだ!』
「私たちには無関係だよ。ほら、とりあえず安心して宿を探そう」
コロは群衆の熱気から早々に距離を置くように、アースドラゴンの凱旋パレードに背を向けた。
「このあたりを拠点にして、私たちは私たちで、堅実に高山植物でも採取して小銭を稼ごう。相場が高いこの町なら、希少な薬草は良い値段で売れるはずだし。……それに、私たちがデーモンに出くわす確率なんて、天文学的な数字だろうしね」
『フン。ドラゴン、ドラゴンと騒ぎ立てて、その結果が、人類からドラゴンなどと呼ばれながら、会話する頭を持ち合わせていないアースドラゴンだ。そのデーモンとやらの黒い影と不気味な声など、まるで当てにならん』
「はは、まあ人類からすれば魔物の大半って、黒い影とか不気味な声とかさ、どっちかに当てはまるとは思うね」
自分たちには関係のない、どこかの「特別な誰か」の英雄譚。
コロとウルは、その騒ぎを他所に、いつものように淡々とした足取りで、町の中へと消えていった。
コロとウルが拠点として部屋を取った宿屋の一階は、むせ返るようなエール酒の匂いと、脂の強い肉を焼く煙、そして熱狂的な喧噪に包まれていた。
『……チッ。どいつもこいつもうるさいな』
部屋の隅のテーブル席。
周囲の騒音に苛立ったようにマズルを顰めながら、ウルは割高な魔物肉を噛みちぎる。
客のほとんどは荒くれ者の傭兵や、長旅の商人たちだ。
彼らの酒の肴は、先ほど広場に凱旋した『アースドラゴンの死骸』と、それを単騎で討伐したという正体不明の『英雄』の噂話で持ちきりだった。
「おい、見たかよあの巨大なアースドラゴン!」
「ああ、見た見た!」
「どんだけデカい剣を使えばあんなに綺麗に斬り落とせるんだ!?」
「なんでも、天を穿つ伝説の魔剣?とやらを一振りしただけで、山ごとドラゴンを両断したらしいぜ!」
「馬鹿言え、俺は聞いたぞ。神の加護を受けた黄金の鎧の聖騎士だってな!」
「いやいや、傷一つ付かない鍛え上げられた筋肉をしていて、覇気だけでドラゴンを気絶させた武道家とか聞いたぜ?」
「おい、本当かよ?その覇気とやらで覇権を取れそうだな!」
「いいよなぁ、あの死骸だけで金貨何百枚になるんだろうなぁ……」
「金貨1枚でいいから、俺にもくれねえかな?」
「馬鹿言え!なんでお前みたいなむさ苦しい男に分け与えるんだよ!」
「あーあ、俺が傾国の美女とかだったらなぁと思うぜ。ちょろっと色目を使っておこぼれなんか貰ってよ?」
「ウハハ!生きているうちにどれだけ善行を積み重ねたら、んな美女になれんだよ!」
尾ひれに胸びれまでついて、勝手に肥大化していく英雄像。
ジョッキがぶつかり合う音と誇張された武勇伝をBGMに、コロは頼んだ木苺の果実水を啜りながら、呆れたように小さく息を吐いた。
「ほらね。巨大な魔物なんて、倒したあとがすごく面倒臭いんだ」
『……同感だ。ただのオオトカゲ一匹でここまでどんちゃん騒ぎになるとはな。鬱陶しいことこの上ない』
「こんなに悪目立ちして祭り上げられちゃったら、宿を取るにも目立って仕方がないし、私たちの静かな旅がとてもやりにくいものになっちゃうよ。やっぱり、無駄な戦闘は避けるに限るね」
コロの徹底した「英雄的行為への忌避感」に、ウルも深く同意するように鼻を鳴らす。
「天の魔剣だか、神の加護だか知らないけどさ。……結局、人類ってそういう『自分たちには到底手の届かない特別な力』に縋りたい生き物なんだよ。だからこうやって、有る事無い事をでっち上げて、勝手に英雄を作り出す」
『フン。群れでしか生きられん弱者の習性だな。己の手で戦おうとしない連中が、他人の武勇で酒を飲んでいる姿など滑稽の極みだ』
「これで私たちがサクッと討伐しちゃっていたら、今頃、この酒場での話題だって『山よりも大きな神獣の天の裁きが〜』とか、『全身金色の鎧を纏った謎の獣人が〜』とか騒がれていたかもよ」
『フン。くだらん』
ウルは不快そうに視線を逸らし、残りの魔物肉を丸呑みした。
「ま、私たちには関係のないお伽話だよ。明日は早起きして、さっさと霊峰に向かおう。あんな高くて空気が薄い場所なら、アースドラゴンも、やかましい『英雄サマ』もいないだろうしね」
『ああ、賛成だ。静寂と冷たい空気が待ち遠しい』
コロはテーブルに銀貨を置き、ウルと共に喧噪の食堂を後にした。
人類が思い描く「特別な力を持った英雄」の妄想話など、自分たちの旅には一切干渉してこない。
そう信じて疑わない一人と一匹の背中を、酒場でのどんちゃん騒ぎがいつまでも見送っていた。
翌朝。
霊峰へ向かうための食料を調達すべく、コロは早朝から開いている町のパン屋に立ち寄っていた。
焼きたての黒パンの香ばしい匂いが漂う店内には、朝の買い出しに来た近所の主婦たちが集まり、カゴを片手に井戸端会議に花を咲かせている。
話題は当然、昨日の『英雄様』のことだった。
「ねえ、その英雄様ってどんな御方なんだい?」
「さあねぇ。うちの旦那が警備の兵隊から聞いた話だとさ、なんでも神様の使いみたいな美しい青年らしいよ!」
「えー?やだ、素敵!」
「いやいや、私が聞いた話じゃ、腕がまるで女の腰くらい太くてさ、目つきの鋭い豪傑だったって!」
「そっちも良いねえ!わぁ、素敵ねえ!」
「でも、そんな頼もしい英雄様に見初められたりしたら、こんな万年肌が乾燥するような砂埃まみれの荒野で、毎日カツカツの平凡な暮らしなんて送らなくて済むのにねぇ!」
「アハハハ!違いない!ああ、私を王都のふかふかのベッドに連れてってくれないかねぇ!」
「アタシなんかさ、元気な子供を10人は産んであげるよ!」
「私だってもう屁はこかないし、鼻だってほじらないって女神様に誓うよ!」
「ハハハハ!ムリムリ!そりゃ難しいわー!」
ゲタゲタと大きな笑い声を上げながら、てんで的外れなそうな噂話と、都合の良い妄想で盛り上がる主婦たち。
コロは無表情のまま硬い黒パンをいくつか包んでもらい、銀貨を払ってそそくさと店を出た。
店の外で待っていたウルが、店内の騒ぎに呆れたように耳を伏せている。
『……朝からよくもまあ、あんなにキャンキャンと喚けるものだ』
「だね」
『昨夜の酒場の連中といい、この町の連中は英雄の話しかできんのか』
「まぁ、いいじゃない。人類って、ああやって『いつか白馬に乗った英雄が私を救い出してくれる』みたいな都合の良い空想に浸って、日々の不満や鬱憤を誤魔化す生き物なんだから。……まあ、この環境じゃあ肌の乾燥も死活問題だろうしね」
『フン。己の足で立とうとしない弱者の現実逃避か。下らない』
コロは買ったばかりの黒パンを一つ鞄にしまいながら、苦笑した。
「ま、私たちを都合よく助けてくれるお伽話の英雄サマなんて、どこにもいないってことだよ。さ、行こっか。お伽話じゃなくて、現実の薬草を摘みにね」
『ああ。さっさとこんなやかましい町を出よう』
一人と一匹は乾燥した風が吹く町を背に、険しい霊峰への山道へと足を踏み入れていった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




