男子禁制の森と、虫のいい事情 2 〜神聖な森の精鋭部隊と、実務的な不法侵入者〜
2.
鬱蒼とした森の中。
一人と一匹は罠のない安全な岩場に腰を下ろし、のんびりと水筒の水を飲んでいた。
周囲の茂みからは、針で刺すような濃密な殺気が幾重にも向けられている。
しかし、森のプロフェッショナルである彼らにとっては、それは心地よいそよ風程度のプレッシャーでしかなかった。
やがて、喉を潤したウルが低く唸り声を上げた。
『……おい、コロ』
「うん、分かってる」
コロは小さく頷き、水筒の蓋をキュッと締める。
そして、一切視線を向けることなく、鬱蒼と茂るシダ植物の奥へ向かって淡々と声を放った。
「……飛ばすのは、『殺気』だけにしておいたほうがいいよ」
静寂の森によく通る、平坦な声。
「それ以上、別のものを飛ばしてきたら、こっちの『対応』が変わっちゃうよ」
ピタリ、と。
茂みの奥で、何人もの人類が息を呑む気配がした。
こちらの位置はおろか、弓を引き絞る筋肉の僅かな動きすら完全に捕捉されていると悟ったのだ。
「人の庭に勝手にお邪魔してるのはこっちだけど、無駄なケガ人を出したりして効率の悪いことはしたくないでしょ?」
数秒の、ひどく重苦しい沈黙。
やがて――カサリ、と落ち葉を踏む音がして、木々の隙間から風の音すら立てずに数人の人影が姿を現した。
「……我らの罠をすべて見抜き、一つも作動させずにここまで入り込んだ挙句、我らの伏兵すら完全に掌握しているとは。貴様、集落への侵入を企てる工作員か。それとも、あの『害虫ども』の仲間か?」
低く、よく通る凛とした声が響く。
周囲の木々や茂みと同化するような緑褐色の服を纏った、アマゾネスの偵察隊だった。
彼女たちの目は、明らかな警戒と氷のような敵意に満ちている。
鍛え上げられた褐色の肌、一切の無駄を削ぎ落とした筋肉、そして油断なく構えられた穂先の鋭い槍。
それは蛮族などではなく、洗練された国境警備の精鋭部隊そのものだった。
切っ先を向けられ、鋭い殺気を放つ戦士の代表格。
しかし、コロは全く動じることなく、首から下げたカゴの中身を淡々と見せた。
「工作員?……そんな風に見える?私、さっきからそっちの罠を一つも壊してないし、町で頼まれた薬草しか摘んでないよ」
『フン。虫けらが『害虫』呼ばわりか』
「ウルは黙ってて。言葉が分かる人が居たらどうするの」
『その時は、害虫駆除で力を発散してスッキリするまでだ』
「はいはい。拗れるから後でね」
一人と一匹の、まるで散歩の途中のような緊張感のないやり取り。
しかし、アマゾネスの戦士の代表格は、銀髪の少女の底知れなさと、背後に控える魔狼が放つ規格外のプレッシャーに、微かに冷や汗を流していた。
ただの薬草採りではない。
ここで戦闘になれば、自分たちを含め森の被害は甚大なものになる。
そう判断した戦士は、槍を少しだけ下げて告げた。
「……貴様らがただの侵入者でないことは分かった。だが、このまま野放しにするわけにはいかん。我らの集落へ来い。お前たちの処遇は、そこで判断する」
「ま、別にいいよ」
『おい。わざわざ虫の巣の中に入っていくのか』
「どういう風の吹き回しか分かんないけど、ずっと横に立たれて監視されながら採取するのなんて嫌でしょ」
『まぁ……それはそうだが』
コロはあっさりと頷き、カゴの持ち手を握り直した。
戦士たちに案内をされて辿り着いたアマゾネスの集落は、コロの推測通り、極めて実務的で無駄のない『兵舎』のような造りだった。
華美な装飾は一切なく、効率よく外敵の侵入を防ぐための柵や見張り台が配置され、広場では若い女性たちが黙々と槍の訓練に励んでいる。
一切の男の匂いがしない、徹底された女だけの軍事施設。
コロたちが物珍しそうに周囲を観察していると――突如、集落の外縁部から、情けない男の悲鳴が響き渡った。
「ひぃぃぃぃッ!?た、助け……ッ!!」
ビターン!と何かが地面に叩きつけられる音と共に、悲鳴は強制的に途切れる。
コロたちを案内していた戦士の代表格が、面倒くさそうに舌打ちをした。
そこへ、見張りの若い戦士が足早に駆け寄ってくる。
「隊長」
「なんだ」
「また西の境界線の網に『害虫』がかかりました。どうやら街の傭兵のようです」
「……生きてはいるな?」
「はい。毒矢の麻痺が回っているので、半日は動けません」
「なら、さっさと拘束して牢にぶち込んでおけ」
「はっ!」
若い戦士は一礼し、すぐさま害虫の『処理』へと向かっていった。
一連のやり取りを眺めていたコロは、感心したように口を開いた。
「へえ、お姉さんたちも大変だね。こうやって侵入者をうまく使って繁殖しているわけだ」
「……子供のくせに、随分と達観した物言いだな……」
「でも事実でしょ」
「我らの掟だ。男は等しく排除する。森の神聖な土を汚すことは許されん」
戦士の言葉に、ウルが鼻で笑う。
『神聖な土、か。処理を街に押し付けているだけのくせに、よく言う』
「ウル。聞こえちゃうから」
コロはウルのマズルを軽く叩きつつ、再び戦士へと向き直った。
「それで?私たちをここまで連れてきたってことは、何か『相談』があるんじゃないの? 処遇を決めるって言ってたけど、森の中の罠の周到さを見る限り、お姉さんたちも無駄な手間はかけたくないはずだよね」
コロの氷藍色の瞳が、戦士を真っ直ぐに射抜く。
交渉の主導権は、完全にコロの側に握られているようだ。
戦士の代表格は小さく息を吐き、静かに首を縦に振った。
「……察しがいいな、小娘。お前のその後ろの獣、ただの魔狼ではないな」
「そうか、この辺りで生きていたら、アッシュウルフなんて見たことも聞いたこともないかな。うん、ただの魔狼なんかじゃないよ」
「ふむ……その腕を見込んで、一つ仕事を頼みたい」
「仕事?」
『……』
また皮肉の一つでも言おうと口を開きかけたウルのマズルに、サッと手を載せたコロ。
ウルは抵抗することなく、ジッと戦士の顔を見つめている。
「ああ。この集落の北側に、我らが仕掛けた罠すら強引に食い破り、縄張りを脅かしている魔物が居座っている」
戦士の顔に、微かに苦々しい色が浮かぶ。
「我ら総出で狩ることもできるが、手負いにすれば被害が出る。戦士に負傷者が出るリスクは避けたい。……代わりにそこの獣が仕留めてくれるなら、この森で採れる最上級の薬草を、必要なだけ保証しよう」
「……なるほどね。自分たちの被害をなくすために、通りすがりの私たちを使うんだ」
コロは顎に手を当て、少しだけ考え込む素振りを見せた。
リスクとリターンの計算。
それはほんの数秒で完了する。
「それじゃあお姉さんたちが採取する薬草を見せてほしいかな」
「なぜだ?」
「なぜって?どんな品質のものを採取できるのか見てからだよ。私が納得できる品質じゃなかったら、交渉材料にならないでしょ。私の採取家としての格が落ちるような品質のお粗末な薬草ならいらないよ」
「……小娘、貴様は今、どこにいるのか忘れているのか?」
槍を持つ手に力が籠もるが、コロはウルの頭を軽く撫でながら肩を竦めるだけ。
「お姉さんこそ、目の前にいるのが、ただの魔狼じゃないってことをもう忘れてない?どうして私がホイホイとここまでついて来たと思っているのかな」
コロの淡々とした、しかし有無を言わさぬその言葉を合図にしたかのように。
周囲を取り囲んでいた若い戦士たちの空気が一変した。
「……ッ、この小娘が!」
「我らを愚弄するか!」
数人の若い衆が、殺気と共に手持ちの吹き矢や投擲用の短槍を一斉に構える。
しかし――
「待て!!手を出すなッ!!」
戦士の代表格が、悲鳴に近い声で鋭く制止した。
その顔には、先程までの余裕は欠片もなく、滝のような冷や汗が浮かんでいる。
「隊長!?なぜですか、こっちは何十人もいるんですよ!こんな子供と獣一匹――」
「馬鹿者ッ……!!その何十人で、一体何秒持ちこたえられると思っているんだ……!」
隊長の押し殺したような、しかし確かな恐怖を孕んだ声に、若い戦士たちが息を呑む。
彼女たちが隊長の視線の先――コロの隣に控える巨体へと目を向けると、そこには絶望が具現化したような光景があった。
『……』
ウルは一歩も動いていない。
ただ、その額から天を衝くように伸びた二本の角の間に、チリチリと空間を焦がすような『黒い雷』がバチバチと不気味な音を立てていた。
そして、その奥で妖しく光る金色の双眸。
それは、群れを成す蟻を見るような、圧倒的な上位存在としての『捕食者の眼』だった。
もしあの黒雷が一つでも解き放たれれば、この広場にいる数十人は一瞬で消し炭になる。
アマゾネスの精鋭部隊を束ねる隊長だからこそ、その絶対的な『死の気配』を正確に嗅ぎ取ってしまったのだ。
「……武器を下ろせ。見誤ったな……。我々は今、とんでもないものをこの『庭』に招き入れてしまった」
隊長の言葉に、戦士たちは震える手でゆっくりと武器を下ろす。
広場を支配していた一触即発の殺気は、ウルが放つ圧倒的な暴力の予感の前に、霧散するように消え去った。
「……分かった」
隊長は深く息を吐き、完全に白旗を揚げるように肩を落とした。
「……すぐに腕利きを向かわせ、最高品質の薬草をいくつか採取してこさせる。それで貴様が納得すれば、取引成立でいいな?」
「うん、それでいいよ」
コロは氷藍色の瞳を細めて満足げに頷くと、ウルの頭を軽くポンと叩く。
すると、ウルの角に纏わりついていた黒雷は嘘のようにスッと消え去り、元の『ただの大人しい大きな犬』のような姿勢に戻った。
「別に急がなくていいから、傷をつけないように丁寧に採ってきてね。……あ、私たちはサンプルが来るまで、そこの丸太で休憩させてもらうよ」
『フン。干し肉でいいから食わせろ、コロ』
「そうだね、小腹が減ったでしょ」
何十人もの武装した戦士たちに囲まれた敵陣のど真ん中。
一人と一匹は、まるでピクニックの途中のような態度で適当な丸太に腰掛け、のんびりと水筒と干し肉を取り出し始めた。
アマゾネスたちは、自分たちの神聖な集落が完全に『部外者の休憩所』と化している現実に歯噛みしながらも、誰一人として文句を言うことはできなかった。
丸太に座り、のんびりと干し肉を齧っていた一人と一匹の前に、森の奥へ向かっていた腕利きの戦士が戻ってきた。
彼女は無言で、採れたての一握りの薬草をコロの前に差し出す。
「……さて、どれどれ」
コロは干し肉をしまい、硝子玉のような瞳で薬草を検分し始めた。
葉の裏の色、茎の張り、そして根の先端の千切れ具合まで、一切の妥協なく観察し、鼻先で微かな匂いを嗅ぐ。
数十人のアマゾネスたちが固唾を飲んで見守る中、コロはふっと表情を和らげた。
「……うん、根の傷も最小限だし、薬効成分の詰まった葉脈も潰れてない。摘み取った後の処理も悪くない。さすがは森を管理してるお姉さんたちだね」
コロは薬草を丁寧にカゴへ収めると、隊長に向かって頷いた。
「私の基準でも、十分に『合格』だよ。これなら自信を持って交渉のテーブルに乗せられるわけだね。リストを渡すから、それを採ってきて欲しいんだ」
「……そうか。ならば――」
「で? その代わりに私たちが始末する魔物って、どんな魔物なの?」
安堵した隊長が言葉を続けようとしたのを遮り、コロが本題を切り出す。
すると、横で退屈そうに欠伸をしていたウルが、忌々しそうに鼻先を顰めて唸った。
『……フン。さっきから臭くて堪らんこの猫臭さは、お前たちがここで飼っているわけではない、というわけだな』
「あ、猫の魔物なの?」
「そうだ」
ウルの指摘を代弁したコロの言葉に、隊長が苦々しく頷く。
「四つの目を持つ、巨大な妖猫だ。知性が異様に高く、我らの仕掛けた罠をことごとく掻い潜って縄張りの北側を荒らしている。我ら総出で狩ることもできるが、手負いにすれば素早いあいつのことだ、被害が出る。戦士に負傷者が出るリスクは避けたい」
「なるほどね。いいよ、そういう合理的な判断は嫌いじゃない」
コロは立ち上がり、パンパンと服についた土を払った。
「交渉成立だよ。ウル、行ってくれる?」
『チッ。道理で鼻を突く下劣な匂いがすると思った。あの手の猫の魔物は、俺のような狼を見ると、本能で問答無用に立ち向かってくるからな。……目障りだ』
ウルは不快感を露わにしながら、ゆっくりと巨体を立ち上がらせた。
人類たちの事情など知ったことではない。
ただ、自分の嗅覚を乱す生意気な猫の魔物がいるというだけで、魔狼にとってそれは立派な『排除の理由』になった。
「運動不足の解消だと思ってさ。ほら、さっきの害虫駆除の分まで溜まったストレスを発散しておいでよ。私はここで報酬の検分を済ませておくから」
『フン……まあいい。その『出来損ない』とやらを片付けてくる』
ウルが低い唸り声を上げると、アマゾネスたちはその圧倒的な威圧感に再び半歩後ずさった。
ウルは地を蹴り、黒い旋風となって森の奥へと消えていった。




