偽りの皮殻と、揺るがぬ本質 2 〜完璧な皮殻と、誤魔化せない本質〜
2.
明け方。
うっすらと白み始めた薄明時の空の下、コロとウルは巨大な防壁の門へと辿り着いた。
深夜にすれ違った顔なじみの門兵が、二人の姿を認めてホッとしたように息を吐く。
「おお、お嬢ちゃんたち。無事だったか」
「うん、ただいま。これ、帰りの街道の茂みで見つけたんだけど」
コロは懐から布包みを取り出し、門兵の掌にコロンと乗せた。
「ん?なんだなんだ?綺麗な石ころでも――」
布の隙間から覗く、血と消化液に塗れた真鍮の憲兵バッジを見た瞬間、門兵の顔から血の気が引いた。
「なっ……こ、これは……ッ!?」
「街道を少し歩いたところの茂みに、これを身につけていた人の他の遺留品……剣とか胸当ても残してきたよ。石を積んで目印にしてあるから、すぐ分かると思う」
「お、お嬢ちゃん、これは一体……!?」
「昨日の夜に渡したメモの『清掃人』と同じ匂いがするから、何か面倒な事件だと思う。あとは憲兵の人たちで調べてみるといいよ」
コロはそれだけを淡々と告げると、呆然とする門兵を尻目に、さっさと街の中へと足を踏み入れた。
まだ眠りから覚めきっていない、静かな早朝の街。
コロとウルは、朝一番で薬草を納品するため、すっかり顔なじみになった薬草店の前へとやってきた。
丁度、大きな欠伸をしている人間族の店主の女が、箒で店先の掃除を始めているところだった。
「あら、コロちゃん。今日は随分と早起きだね」
「いや、夜通し歩いてたんだ」
「あらあら!随分と頑張るわね!夜ってことは『ルクレルモドキ』かしら?」
「うん。少しここで待たせてもらうね」
「コロちゃんが採取してきた物なら――ふふ、急いで用意するわ!」
バタバタと店の中へと入っていった店主を尻目に、コロは店の外の冷たい石段に腰を下ろし、ウルもその隣で大きな欠伸をした。
しばらく、向かいの雑貨屋の店主が箒で石畳を掃く長閑な音だけが響いていた、その時だった。
――カチャ、カチャ……
通りから、規則正しい金属の足音がこちらへ向かってくる。
現れたのは、磨き上げられた銀色の鎧と、鏡の前で練習したかのように整えられた『完璧な笑顔』を纏った、憲兵だった。
「おはよう。銀髪の少女と、魔狼……ふむ。君たちが今朝、門兵に重要な遺留品を届けてくれた薬草採取の方だね?」
男は、鈴を転がすような誠実な声で話しかけてくる。
絵に描いたような善良な公僕だ。
しかし、コロの隣で丸くなっていたウルの耳は不快そうに後ろへ伏せられ、マズルには深いシワが寄っていた。
ウルの嗅覚は、男が言葉を発するたびに、空気に混じる異臭を捉えていた。
鎧の金属臭でも、男の体臭でもない。
あの『清掃人』と同じ血の匂いと、嘘をつき相手を欺こうとする時に放たれる、焦りと強欲が入り混じった『腐りかけた果実のような匂い』。
コロは無表情のまま、目の前の男を見つめ返した。
「……うん、そうだけど」
「ご協力に感謝する。君たちのおかげで、捜査が大きく進展しそうだ。……だが、一つ問題があってね」
男は周囲を警戒するように声を潜め、コロに顔を近づけた。
「犯人は、君たちの顔を見ている可能性がある」
「だね。バッチリ見ていたよ」
「だろう?そんな子が、今回の事件に関連していると思しき遺留品を見つけて持ち込んだ」
「そうだね。同じ匂いがする」
「君たちが滞在している安宿は、誰でも出入りできてセキュリティが甘い。口封じに狙われる危険性が高いんだ」
「へえ、そうなの?」
「ああ。だから念のため、我々憲兵隊の方で安全な宿を手配した。『銀の梟亭』という宿の、二階の角部屋だ」
「凄く高い宿だよね」
「ああ、事件が解決するまで、どうかそこへ身を隠していてくれないか?」
男はそう言って、真鍮の鍵をコロの掌にそっと握らせた。
心配そうな、気遣いに満ちた完璧な演技。
コロは鍵の感触を確かめ、硝子玉のような瞳で偽憲兵を見つめ返した。
「……都会の憲兵さんって、すごく親切なんだね。ありがとう、お言葉に甘えようかな」
コロが素直に頷くと、男は「民の安全を守るのが我々の仕事だからね」と一瞬だけ瞳の奥に冷たい光を宿し、完璧な笑顔のまま踵を返した。
金属の足音が遠ざかっていくのを確認してから、コロは石段から立ち上がった。
『……おい、コロ』
「うん、分かってるよ、ウル」
立ち上がったウルが、低い唸り声とともに、珍しく首を傾げてみせた。
『しかし……どうなっている?姿形も、声も、纏っている金属の匂いも違う。あの『中身』から放たれる匂いは昨夜の清掃人と同じだが……ただの変装や、幻影の類ではないぞ』
「うん」
『骨格から何から、物理的に全くの別物だ。どう考えても見た目が明らかに違う。……どんな手を使っている?魔物でもないぞ?魔力で何かやっている痕跡もない』
ウルの疑問はもっともだった。
匂いこそ同一人物だが、目の前に現れた男の構造は、昨夜すれ違った男とは別物だったのだ。
もはや、変装でごまかせるような変化ではない。
コロは手の中の鍵を、放り投げてはキャッチして遊びながら答える。
「多分だけどね……人類の中でも稀にいるでしょ。妙な力を持つのが」
『ほう。ああ……あの、時間を跳躍する伯爵のようなヤツか』
「あんな人肉の匂いがする人類と、伯爵を同列に語るのはアレだけど……まぁ、そんな感じじゃないかな」
コロは肩をすくめた。
「その力と、奪ったのかなんだか知らないけどさ、とにかく憲兵の権力を使って、私たちを密室に隔離してから確実に仕留めようってわけだ」
『フン。自分が上手く誘導できたと勘違いして、今頃はほくそ笑んでいることだろうな。吐き気がするほど不快な匂いだ』
「まあまあ。おかげで、あっちから特等席まで用意してくれたんだからね。今、連泊している『青い風見鶏亭』なんかより断然高いんだよ?」
僅かに口角を上げてみせるコロ。
その後、コロは薬草店の店主に納品を済ませ、金貨を受け取ると、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「さ、薬草も売ったし。朝ご飯を食べる前に、もう一仕事しようかな」
『ん、どこへ行く』
「本物の憲兵の詰め所だよ。『親切な憲兵さんに、この宿に泊まれって言われたんだけど』って、報告しに行かないとね。人間の面倒事は、人間に任せるのが一番だから」
コロの悪辣で、しかし極めて合理的な提案に、ウルは呆れたように鼻を鳴らした。
『……悪辣なヤツめ。徹底して、人類の悪意を、人類の組織を使って潰すか』
「そりゃそうだよ。だって、効率がいいでしょ?『銀の梟亭』の食堂で、美味しいスープを飲みながら特等席で見物させてもらおうよ」
『そういえばお前、高い宿とか言っていたな』
「きっと出てくる料理も格別に美味しいよ」
『ふむ、悪くないな』
「素泊まりじゃなければ、だけどね」
『むぅ……あの『人肉屋』がケチでない事を願うとするか』
「だね」
一人と一匹の、静かな『観測』と『狩り』の準備が、こうして完璧に整えられたのだった。
本物の憲兵の詰め所での『おつかい』を手早く済ませたコロとウルは、偽憲兵――もとい、ウルの言うところの『人肉屋』から指定された高級宿『銀の梟亭』の一階食堂に陣取っていた。
朝日が差し込む清潔な食堂は、焼きたてのふかふかなパンと上質なバター、そして香ばしい肉の焼ける匂いに満ちている。
「凄いね、ウル。素泊まりじゃなくて、朝食からしっかり手配してくれているみたいだよ。随分と太っ腹だね」
『フン。これから始末する相手に最後の飯を振る舞うとは。悪趣味なことだ』
「始末するのか、口止め料のつもりか、その辺を一体どうしたいのかは、まだ分からないよ」
『そんなもの、決まっているようなものだろう』
「まあね。あ、ほら。料理が運ばれてきた」
『堪らん匂いだな……!』
ウルの鼻がヒクヒクと動くのと同時に、糊の効いた清潔な制服を身に纏った給仕が、足音一つ立てずにテーブルへと近づいてきた。
給仕は無言のまま恭しく一礼すると、銀色のトレイから料理を静かに移していく。
表面がカリッと焼かれ肉汁が弾ける厚切りのベーコン、とろけるようなチーズを包み込んだふかふかのオムレツ、そして澄んだ琥珀色のコンソメスープ。
高級宿の名に恥じない、洗練された料理の数々と静かな身のこなしだ。
カチャリ、という食器同士が触れ合う音すら立てず、流れるような手付きでテーブルの上を色鮮やかに彩ってゆく。
「……ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
給仕がしっとりとした所作で一礼し、優雅に去っていく。
残された極上の香りに、コロは嬉しそうにフォークとナイフを手に取った。
コロがその厚切りのベーコンにナイフを入れようとした、その時だった。
二人のすぐ隣の空席に、一人の男がスッと腰を下ろした。
異国の華やかな衣装を纏い、首元にはじゃらじゃらと金銀の装飾品をぶら下げた『旅人』風の男。
強烈な香水の匂いが、周囲の美味しそうな朝食の匂いを強引に上書きするように漂ってくる。
しかし男は、コロたちに話しかけようとはせず、ただ無言でメニューを眺めるふりをしていた。
やがて。
男の右手が、ゆっくりと、音もなく懐へと滑り込んでいく。
刃物か、それとも毒薬か。
『……コロ』
ウルの極めて低い、しかし絶対的な殺意を孕んだ警告の声。
それに呼応するように、コロはフォークとナイフで器用に肉を切り分け、口に運びながら――隣の男へは一切視線を向けずに、淡々と呟いた。
「……そこから先は、対応が変わっちゃうんだけどな」
ピタリ、と男の動きが止まった。
コロは美味しそうに肉を咀嚼し、ゴクリと飲み込んでから続ける。
「清掃屋、憲兵ときて、次は異国の旅人。お兄さんかお姉さんか知らないけど、ずいぶんと忙しい人だね。その懐――異国の旅人の前には薬師だったのかな?」
「……ん、私のことかな?な、なんのことだか……私はただの――」
「口封じのついでに、次は私のこの『器』でも奪うつもりだったのかな?確かに、獣人の少女なら使い勝手が良さそうだ。でも、生憎とこの器は非売品なんだよね」
コロはフォークを置き、初めて硝子玉のような瞳で男の顔を見据えた。
「肉屋の脂、憲兵のインク、そして旅人の香水。……どれだけ上書きして着飾ってもね、あなたの本質にこびりついた『血と嘘の匂い』は消せていないよ」
男の顔から、完全に表情が抜け落ちた。
「私の大切な相棒の鼻をね、舐めすぎだよ」
彼は弾かれたように立ち上がろうとするが、コロはスプーンを手に取りながら、冷ややかに告げた。
「尤も、そんな怖い顔をしても、もうすでに『詰んでいる』んじゃないかな」
コロの言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
――ガタンッ!!
左右のテーブルで、優雅に朝食を楽しんでいる「宿泊客」を装っていた男たちが、一斉に立ち上がった。
彼らは流れるような動作で『旅人』の両腕を捻り上げ、テーブルに顔面を叩きつける。
彼らこそ、コロが本物の詰め所で直接配置を指示していた『本物の潜入憲兵』たちだった。
「ぐ、がぁっ!?貴様ら、離せッ!!」
「大人しくしろ! 本物の憲兵を殺害し、成り代わった容疑だ!」
「ぎ、ぎぃぃぃぃぃぃッッッ!!」
取り押さえられた男が、苦悶と共に人間のものとは思えない絶叫を上げた。
その瞬間、華やかな旅人の姿がドロドロと溶け崩れ、子供から大人、人間族だけでなく獣人族や精霊族など、様々な姿に変様しながら悶えている。
食堂は一時的なパニックに包まれたが、訓練された憲兵たちが即座に魔封じの枷をはめ、異形を床に押さえつける。
「……なるほどね。他人の皮を被る力を持っていたってわけだ」
『フン。だから魔力も骨格も関係なかったというわけか。つまらん手品だ』
どれほど完璧に外見を模倣し、香水や脂で匂いを誤魔化そうとも、魂の奥底から放たれる『特定の匂い』だけは、ウルの鼻から逃れることができなかったのだ。
「人類は嘘をつくために膨大なリソースを割くけれど……事実は常に一つしかないよ」
コロは、床で暴れる異形を冷ややかに見下ろし、それから何事もなかったかのように再びスープを啜り始めた。
やがて、騒ぎの中心である異形が、応援に駆けつけた憲兵たちによって外へと連行されていく。
食堂に残ったのは、潜入任務を終えてホッと息を吐く数名の憲兵と、特等席で優雅に朝食の続きを楽しむ一人と一匹だけになった。
一人の年配の憲兵が、コロたちのテーブルへと歩み寄り、深く頭を下げた。
「……君たちには、なんとお礼を言えばいいか。ずっとこの王国を騒がせ、多くの者を葬ってきた大物……『擬態王』を、漸く捕まえる事ができた。我々憲兵隊だけでは、到底なし得なかった快挙だ」
長年の懸案が解決した安堵からか、憲兵の声は微かに震えていた。
しかし、コロはコンソメスープを飲み干して口元を拭うと、硝子玉のような瞳で彼を見上げた。
「お礼なんていいよ。私は、手に入れた情報を提供しただけ。……それに、街の面倒事は、憲兵に任せるのが一番だからね」
「そ、そうか……。いや、それにしても、君たちは本当に――」
「あ、それより。一つ確認してもいいかな?」
「ん? なんだね。我々にできることならなんでも……」
コロは口角を僅かに上げつつ、宿の二階を指差した。
「あの擬態王とかいう人、私たちの宿泊費とご飯代を前払いで払ってくれてたみたいなんだけどさ、明日の朝までこのままここに泊ってもいいんだよね?」
「……へ?」
年配の憲兵は、一瞬何を言われたのか理解できず、ぽかんと口を開けた。
先ほどまで、王国の治安を揺るがす大悪党と命懸けの心理戦を繰り広げているように見えた少女が、直後に気にするのが『身の安全』ではなく『タダ宿とタダ飯の権利』だったからだ。
数秒の沈黙の後。
周囲にいた憲兵たちから、堪えきれないような吹き出し笑いが漏れ、やがてそれは食堂を包む大きな笑い声へと変わった。
「はははっ!ああ、全く!大捕物の後に気にするのがそれとは、君の肝っ玉には恐れ入るよ!」
「もっちろんだ!気にせず泊っていくといい!」
憲兵の太っ腹な宣言に、コロは「やった!」と小さくガッツポーズをした。
『フン。あの『人肉屋』も、最後くらいは役に立ったようだな』
「だね。案外面倒じゃなかったし、なんなら得しちゃったよ」
騒乱などどこ吹く風。
一人と一匹は、呆れ笑いする憲兵たちに見守られながら、悠々と豪華な朝食の続きを満喫し始めたのだった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




