偽りの皮殻と、揺るがぬ本質 1 〜深夜の屑拾いと、血塗られた残り香〜
1.
巨大な交易都市の夜は、どこか人工的で空々しい熱気に包まれていた。
大通りに一定間隔で並ぶ魔導灯は、どぎつい原色の光で白い石壁を容赦なく塗りつぶしている。
しかし、その光が強ければ強いほど、一歩路地裏へ足を踏み入れれば、行き場を失った強欲と、安っぽい香水の匂いがヘドロのように重く澱んでいた。
「……都会の空気って、どうしてこう、色んなものが混ざりすぎてて息苦しいのかな」
コロは、関節にほんのわずかな軋み――人類という不自由な『器』を動かす上での違和感を覚えながら、小さく息を吐いた。
隣を歩く魔狼、ウルもまた、不快そうにマズルに皺を寄せている。
『光も匂いも、人類の営みは何もかもが過剰すぎる。もっと簡素に生きられんものか……』
「同感。ちょっとこういうところに定住しようとは思えないね」
『当たり前だ。お前がここに定住するなどと世迷言を言い始めたら、俺は全力で街の外へ引っ張り出す』
「ははは、ないない。あり得ない仮定だよ。それにしても人類の器は本当に不便だね。まだアチコチが痛いもん」
『フン。延々と中腰で採取したツケが回ったんだろう』
一人と一匹は、夜露に濡れる前に特定の薬草を採取するため、街の外へと向かっていた。
喧騒を避けるように薄暗い路地を歩いていたその時。
――ガラガラガラッ……タッ、タッ……!
背後の暗がり――門の方角から、ひどく軋む車輪の音と、周囲の淀んだ空気を切り裂くような焦燥に満ちた足音が急速に近づいてきた。
コロが振り返るよりも早く、ウルが音もなく横へスライドする。
直後、そこを弾丸のように駆け抜けようとした手押しの荷車が、ウルの見えない威圧に弾かれるように急ブレーキをかけ、コロのすぐ脇で立ち止まった。
荷車を牽いていた男と、コロの視線がバッチリと交差する。
男は薄汚れたツナギを着た、この街の夜間清掃人の格好をしていた。
街のゴミや汚物を、壁の外の投棄場へ捨てに行く業者だ。
仕事を終えた帰りなのだろう、荷車は空っぽになっている。
だが、すれ違ったほんの一瞬。
ウルの鼻が捉えたのは、日常的な生ゴミや埃の匂いなどではなかった。
男は舌打ちをし、何かを誤魔化すように不自然なほど深く帽子を被り直すと、再び空の荷車をガラガラと鳴らして夜の闇へと駆け出していった。
『……おい、コロ』
「ん、分かってる」
ウルの鼻腔を突いたのは、ゴミの異臭の奥底に隠された、喉を焼くような、あまりに鮮烈で、鉄錆のように濃い『人類の血の匂い』だった。
それも、解体されてから時間の経ったものではない。
つい先ほどまで脈打っていたような、生々しい残り香。
コロは感情の動かない硝子玉のような瞳で、遠ざかる男の後ろ姿を静かに見送った。
「……身の丈に合わない、随分と上質な革のブーツだったね。それに、帽子を直す指先が、小刻みに震えていた」
『随分と面倒な匂いだな。ただの「清掃人」が纏う匂いではない。空の荷台の残り香もな』
「だね」
『同族の肉を専門に取り扱う人肉屋があるのなら、話は別だがな』
フンと鼻を鳴らしながらそう吐き捨てたウルの言葉に、コロはつい笑ってしまう。
「あはは!そうだね。じゃあ、あの人肉屋は今ごろ、上客の魔物に御用聞きに行ったのかな。「すいません、何体分欲しいって言ってましたっけ?」「内臓はいりますか?」って」
『クハハッ!わざわざ対価を払ってまで喰らう肉ではないだろう!あれやこれやと食う生き物の肉は総じて臭いからな、人類の肉など、事の成り行き上喰らう肉だ』
「だね。という事は――」
『……同族殺し、だろうな』
コロの脳内で、男の特徴がただの『情報』として冷徹に記録される。
街の正門。
夜間外出の許可を求めるため、コロは門兵へと歩み寄った。
「おや、お嬢ちゃん。こんな夜更けに薬草採りかい?」
「うん。朝には戻るつもり」
気さくに声をかける門兵に対し、コロは無機質な動作で滞在許可証を提示した。
そしてその際、許可証の裏に挟み込んだ『小さな紙切れ』を、一切の言葉を発さずに静かに手渡した。
そこには、先ほどの「人肉屋の男」の特徴と、彼が向かった方角が、乱れのない文字で簡潔に記されている。
門兵の表情が僅かに引き締まったのを視界の端に収め、一人と一匹は、夜の帳が下りた街を後にした。
街の喧騒から遠く離れた、深夜の深い森の中。
コロは目当ての薬草を慣れた手つきで摘み取り、鞄へと放り込んでいた。
その背後の木陰で、空間そのものがグニャリと歪み、不定形な闇が人のような輪郭を結ぶ。
人類の視覚や聴覚を狂わせ、幻術で深い森の奥へと誘い込んで喰らう影の魔物――幻魔だ。
だが、その魔物はいつものように獲物を狙う凶悪な気配を一切出さず、ウルの前で平身低頭に縮こまりながら、愛想笑いのような気配を漂わせていた。
『……俺の視界で幻術を弄ろうとは、いい度胸をしているな』
『でへへ、いやあ!こんな夜更けにアンタらみたいな上位種が散歩とは珍しいなぁと!俺の幻術なんて、旦那の前じゃ児戯みたいなもんでさあ!どうかお見逃しを!』
ウルが低く唸ると、影の魔物は地面に張り付くようにして震え上がった。
コロは薬草の土を払いながら、世間話でもするように魔物へ声をかけた。
「私たちに手を出さないなら何もしないよ。……ところで、最近この森の景気はどう?街から近いし、迷い込む人類も多くて迷惑してるじゃない?」
すると、影の魔物は少し安堵したように輪郭を揺らし、呆れたような、不思議そうな口調で語り始めた。
『それがですね……最近妙なことに、俺が幻術で人類共を騙さずとも、人類が自ら人類を運んできてくれるんでさあ!変な人類がガラガラと手で牽く小さな馬車みたいなので』
「へえ、そんなことになってるんだ?」
『ええ!もう息絶えてるやつとか?死にかけのやつとかをね、この森にポイーッと捨てていくんでさあ!初めのうちは『はて、これは喰らっていいのかね?』なんて思ってましたけどね?こう、ちょくちょく持ってきてくれるんで、慣れちまったんでさあ!』
幻魔は嬉しそうに身体をユラユラと揺らしながらそう言った。
『しかし、つくづく不思議な生き物ですなあ。だって、同族ですよ?同族同士で殺し合ってる場合か?ってさ、騙して喰らう前に、とっ捕まえた人類から意見を聞きたくなりますよ、まったく』
「本当だね。私たち『こっち側』からすれば、理解できない非効率だよ」
『フン。人類など往々にしてそんなものだ。強欲で、ひどく非効率な生き物だからな』
ウルの冷ややかな同意に、影の魔物は『ですよねえ』と深く頷くような動作を見せた。
『ま、あっちからご馳走を持ってきてくれるんで、文句ないんですけどね!』
コロは摘み終えた薬草をしまいながら、ふと思いついたように問いかける。
「ねえ、その運ばれてきた人類の所持品とか、残ってる?残っているなら、すぐに地面に埋めるなり、池に放り込むなりしたほうがいいよ」
『え?何でですかい?』
「ほら、また別の人類が探しに来るかもしれないんだ」
そんなコロの言葉に、幻魔の身体がユラリと揺らぐ。
『それなら平気でさあ!面倒だからね、着てる布ごと全部丸っと食べてるんでさあ!』
「そっか。なら平気かな」
コロが立ち上がろうとすると、幻魔は慌てたように付け加えた。
『あ、でも金属は不味いから、人類の武器とか鎧とか、簡単に外せる物は適当にペッて吐き出して捨ててますぜ?いいですよ、持ってきます?えーと……』
そう言うと、ユラユラと茂みの方へ音もなく移動し、ガサゴソと漁り始めた。
『ほら、ここ!こんなのとか?』
「え?あー……」
コロが幻魔に案内された茂みを掻き分けると、そこには血と泥に塗れた金属片がいくつか転がっていた。
一般的なロングソード。肉を切るための業務用の分厚い包丁。
そして、街の憲兵が身につける、認識番号が刻まれた真鍮のバッジと、銀色の胸当ての一部。
コロはそれらを拾い上げ、硝子玉のような瞳で静かに見つめた。
「……ふうん、なるほどね」
『おい、どうする?わざわざ持ち帰るのか?』
コロは血のついた憲兵のバッジを布で包み、懐へとしまった。
「ここなら幻魔が食べてくれるのを知ったうえで、敢えて捨てに来ているんだ」
『フン。だろうな。だが、持ち帰れば面倒なことになるぞ』
「あの『人肉屋』に顔を覚えられた時点で、もう面倒なことに巻き込まれていると思う。それに、あっちの点と、ここの点……繋がっちゃうかもしれないと考えると……」
コロの深いため息に、ウルもマズルを顰めてしまう。
『持ち帰って、人類共に押し付けるか』
「だね。証拠品として押し付けて、後はお任せしようかな」
『どこに転がろうと面倒だな。しかし、人類に紛れて暮らしている時点で、十分に面倒、か』
思わずため息をついてしまうコロとウル。
「さてと。ありがとう。参考になったよ」
コロが振り返って幻魔に向かってお礼を言うと、彼はグワッと身体を大きくしてみせた。
『いやいや!旦那もあんたも、お気をつけて!人類ってのは訳わかんなくて面倒臭いですからね!』
「この辺りにね、しばらくの間、人類がゾロゾロ来るかもだから、どこか離れた森を縄張りにしたほうがいいと思うよ」
そんなコロの助言に、幻魔の身体がキュウと細くなってしまった。
『えっ!?そりゃ本当ですかい!?』
『ああ、同族殺しの犯人に繋がる『何か』を、また別の人類が探しに来るかもしれん。人類を喰らうお前がこの森に居たんじゃ、あらぬ疑いをかけられるやもしれんぞ』
『ひえー!つくづく面倒ですなあ!じゃあ俺は縄張りを変えまさあ!情報ありがとうございまさあ!』
同族殺しを恐れる人食い魔物に見送られながら、一人と一匹は、事の真相と決定的な『証拠品』を手にして、再び夜明け前の街へと足を踏み入れた。
深夜の街道。
深い森の湿った空気が、ようやく夜風の吹き抜ける街道の匂いへと変わった頃、コロは道端にあった大きな切り株を見つけて、どさりと腰を下ろした。
「……ふう。やっぱり、この『器』で重いものを持って歩くのは、非効率の極みだね。関節が悲鳴を上げてるよ」
コロは、幻魔のゴミ捨て場から拾い上げてきた重いロングソードや胸当て、そして分厚い包丁を、足元の茂みへと押し込んだ。
ウルは荷物など持てないし、自分一人でこれらを抱えて門をくぐるのは、いらぬ怪しさを招くだけだ。
「ここなら、憲兵の人たちが探しに来ればすぐに見つかるでしょ。……よし、目印はこの石でいいかな」
コロは茂みの前に、近くの小石を不自然な形に積み上げた。
『器用に積み上げるな』
「人類の器の便利なところだね。やたらと器用――よし、こんなもんかな」
そして懐から、唯一持ち帰ることにした戦利品――真鍮の憲兵バッジを取り出し、月光に透かして眺めた。
「これだけあれば、あの清掃人が『ただの清掃人じゃない』って証明するには十分だね」
『どのガラクタからも、あの『人肉屋』の匂いがする。これなら、獣の犬でも分かるだろう』
「だね。きっと、死体を魔物に処分させていた小狡い殺し屋か、何かだろうね」
『フン。同族を殺し、自らの手を汚さず魔物に後始末をさせていたというわけか。浅ましい人類の知恵だな』
ウルもコロの隣で足を止め、不快そうに鼻を鳴らした。
コロはふと思いついたように、茂みに隠す前のロングソードを再び両手で握り、よっこらせと持ち上げてみた。
「……ねえ、ウル」
『ん、どうした?まだ何か垂れる講釈でもあったか?』
「違うよ。私もこういうのを一本くらい持っておくべきかな?ほら、あの……なんだっけ、ナントカって騎士みたいに、泥臭く剣を振るって戦うのも、案外悪くないかもしれないし」
不器用に刃を夜闇へ向けるコロに対し、ウルは一歩踏み出し、その絶対的な凄みを含んだ声で、ピシャリと言い放った。
『戯言を。その重いだけのガラクタを捨てろ』
「えー、少し試してみるくらい……」
『俺が隣にいる限り、お前が自らそんなガラクタを振るう機会など、未来永劫来ない。……分かったら、そのガラクタから手を離せ』
一切の揺らぎもない、守護者としての力強い宣言。
その言葉を聞いた瞬間、コロの胸の奥に、人類の『器』特有の微かな高揚感が走った。
コロはロングソードをあっさり茂みの中へドサッと放り捨てた。
「……ふふっ。だね」
コロは少し嬉しそうにはにかむと、ウルの首元のふさふさとした毛並みを軽く撫でた。
「ウルの言う通り。こんな重いもの、私が持つ必要なんてない」
『そんなこと、分かりきっているだろうが』
「だね。ありがとね。嬉しい」
『フン。そうか』
そんなぶっきらぼうなウルの首元に、ボフンと顔を埋めたコロ。
一人と一匹の間に、穏やかな空気が流れる。
たっぷりとウルを堪能したのか、コロが顔を上げた。
「……さて。明日の朝一番で、このバッジを持って詰め所に行こうか。あの清掃人は私とバッチリ目が合っちゃったからね。私が顔を覚えていると思って、きっと口封じに来るはずだよ。……そこを、タイミング良く、憲兵たちに捕まえてもらえばいい」
『人類の、人類に向けた悪意だからな。人類の組織を使って潰すに限る』
「面倒は極力避けたいもんね。さ、帰って少しでも寝よう。明日は忙しい朝になりそうだからね」
月明かりの下、一人と一匹は再び歩き出した。
巨大な防壁に守られた街の門が、静かな闇の中にぼんやりとその輪郭を現していた。
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