鋼の虚飾と、影の口封じ 1 〜ピカピカの虚飾と、嘲笑われる騎士道〜
1.
とある王国にて。
王都から少し離れた場所に位置する、ランブイエ子爵領の領都。
歴史ある石造りの子爵邸の重厚な門から、一人の少女と、その傍らに付き従う魔狼が悠々と姿を現した。
「やっぱり、お貴族様はお金持ちだね。これだけあれば、しばらくは贅沢できるよ」
少女――コロは、ずっしりと重い金貨の入った袋を揺らし、ホクホクとした顔で笑った。
領都の薬草店からの紹介で、街の掲示板に貼り出されていた、子爵直々の依頼である「霊峰の最深部にのみ自生する希少薬草、聖白羊の産毛」の採取を請け負った一人と一匹。
人類にとっては一流の冒険家や傭兵ですら命を懸ける難事業だが、コロとウルにとっては、天気の良い日のハイキングとさして変わらない。
道中の凶悪な魔物たちは、ウルの威圧感に当てられて自ら道を空けるか、運悪く立ち塞がったとしても、一閃の黒雷によって消し炭に変わるだけだからだ。
『人類の言う「到達困難」など、鼻で笑いたくなるな』
「こっちにはウルがいるからね。食糧や水の量が多いっていうのは「困難」ではあるけど」
『フン。ただの散歩道ではないか』
「まあまあ。おかげでこれだけ稼げたんだから、いいじゃない。私たちがこの街に立ち寄らなかったら、ずっと子爵様の依頼が掲示板に貼り出されたままだっただろうね」
『渡りに船というやつか。しかし人類は阿呆だ。ただのフワフワしている草に、家畜肉で山を作れる程の価値を見出すとはな』
「あの霊峰に住んでいたゼノフォンの番も呆れてたね」
『あの大鷲か。俺は少し恥ずかしさすら覚えたぞ』
「ふふ、『貴様ほどの力がありながら、わざわざここまで登ってきて欲しかったのが、その『ただの草』か?そいつは食えぬし、腹の足しにもならんぞ?』なんて言ってたもんね。ポカーンとしてたよ」
『だな。……人類というものはある意味凄いな。一番最初に、あんなしょうもない草の価値を見出したヤツは、どれだけ暇を持て余していたんだ……』
二人が屋敷の敷地内を通り抜けようとした時、横に位置する演習場から、鋭い気合の声と金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
「ん?」
『なんだ、人類どもの内輪揉めか?』
そこでは、細かな装飾が施されたピカピカの銀色長剣を振り回す、一人の青年がいた。
その身に纏う甲冑は、意匠を凝らした彫金が施された贅沢な一品だ。
彼は並み居る子爵家の私兵たちを、鮮やかな剣筋で次々となぎ倒していた。
「はぁっ!騎士道教本、第十五項――払い斬り!」
「ぐッッッ――!?」
「エドワード様、さすがですッッッ!!」
「感心しとる場合か!!立て直すぞッッッ!!」
「まだまだ行くぞ!騎士道教本、第十八項――重撃!」
「うわぁぁぁッッッ!!」
私兵たちは、あからさまに太刀筋を緩めて転がり、エドワードの勝利を演出している。
演習場の地面は、本来なら兵たちの汗や泥で汚れているはずだが、そこには白砂が丁寧に敷かれ、毎日掃き清められているようだった。
エドワードと呼ばれた男が剣を振るたびに、彫金細工の隙間に嵌め込まれた小粒の宝石が陽光を弾き、チカチカと不快な火花を散らす。
それは命を奪うための道具ではなく、ただ持ち主の虚栄心を飾るための「高価な玩具」そのものだった。
『……旅芸人の練習か?』
ウルが足を止め、心底呆れたようにポツリと漏らした。
「たぶん、子爵様の倅じゃない?適当に負けて、適当に煽てて……そんな感じだと思うよ。あの腰の入り方じゃ、本物の魔物を前にしたら一秒も持たないもん」
『やはり人類は阿呆だ』
「いかにも人類らしいじゃない。あんなのでもお爺さんになるまで元気に過ごせるんだもんね。素直に凄いと思うよ」
『だな……』
一人と一匹は歩みを止めず、舞台演劇を観るような冷ややかな一瞥をくれただけで、そのまま邸宅を後にした。
二人は邸宅を出て、入り組んだ路地の奥にある馴染みの薬草店へと向かった。
店主は、シワだらけの顔をさらに深く刻んで笑う、ドワーフ族とも見紛うほどに頑強な体躯をしたフェアリー族の老婆だ。
店内には、乾燥させた薬草のツンとする青臭さと、得体の知れない煮込み薬の甘ったるい匂いが混ざり合い、重く澱んでいる。
天井からはトカゲの干物や、魔物の肝らしき黒ずんだ塊がいくつも吊るされ、外光を遮っている。
その薄暗がりの中で、老婆の持つモノクルだけが、コロたちが持ち込んだ薬草が持つ『産毛』の純白までも冷徹に、そして欲深く反射していた。
彼女はコロが持ち込んだ「余り」の薬草を慣れた手つきで仕分けながら、茶目っ気たっぷりに問いかけてきた。
「ひっひっひ、お疲れさん。……ところでコロにウル、あんたら、子爵様がなんでこんな大層な『聖白羊の産毛』なんて欲しがったか、察しはついてるかい?」
薬草の品質をモノクル越しに確認しながら、老婆がそう尋ねる。
コロは老婆の手先に視線を向けたまま、僅かに眉間にシワを寄せた。
「うーん。あの草から作れるのは、即効性の高い強力な治癒薬だよね」
「そうさ?大怪我をしたって治っちまうような代物さ」
「あの屋敷の規模なら、不測の事態に備えて常備しておきたいんじゃないの?全然切羽詰まっていなかったあたり、そんな大層な大怪我をしている人がいるとは思えないしね」
コロの答えに、老婆は肩を竦めてカラカラと笑った。
「ひっひっひ!そう思うだろう?」
『ん、違うのか?』
黙ってカウンターの薬草を見ていたウルが、そう唸って老婆に視線を向けた。
コロも首をかしげて老婆を見つめる。
「分かった。困っている他の貴族家の足元を見て、高く売りつけるんだ」
『フン。如何にも貴族という人種のヤツらが考えそうな商売だ。同族同士で――』
「ひっひっひ、コロもウルも大外れさ」
テイマーとしての嗜みも併せ持つ老婆は、一人と一匹の言葉を受け、カラカラと笑いながらモノクルを外した。
「それがさ、あの子爵様のところの三男坊、エドワード坊ちゃんが今年成人するんだよ。あの子、ちっちゃい頃から『高潔な騎士になる』なんて豪語しててね。今度、たった一人で修行の旅に出るんだと。……『産毛』から作る特製ポーションはね、その坊ちゃんの門出を祝うお守りってわけさ」
「あー……さっき演習場で踊ってた人かな」
コロは、先ほど見た「旅芸人の練習」を思い出し、納得したように頷いた。
『あの旅芸人か』
「あの腕前だったら、薬を準備するより先に、腕の立つ護衛を数人雇ったほうが効率的だと思うけど」
辛辣なコロの言葉に、老婆は腹を抱えて笑い出した。
「ははは!違いないねぇ!だがね、あの子爵様も馬鹿じゃない。坊ちゃんには内緒で、ちゃーんと腕利きの『密偵』を影として張り付かせる予定さ!坊ちゃんが一人で魔物を倒したと思い込めるように、裏でせっせと掃除をさせるんだとさ」
『……「単独の試練」と言いつつ、裏では護衛と特注の薬か。人類の虚飾というのは、もはや芸術の域だな。馬鹿じゃないと出来ない芸当だ』
ウルが呆れ果てたように喉を鳴らす。
「呆れた。見えない壁に守られた箱庭の中で、お芝居を続けるわけだ。……変なの。そんなことに大金払うなんて」
コロは冷めた笑みを浮かべ、老婆から代金を受け取った。
「大声じゃ言えないけどさ、先代も馬鹿、当代も馬鹿、次に領主になる長男坊は輪をかけた馬鹿ときた。お陰でうちは儲かって儲かって仕方ないよ!ひっひっひ……」
商魂逞しい老婆を、感心した様子で見つめる一人と一匹。
その日の夜。
コロとウルは、連泊している宿屋の一階にある酒場の隅で、軽い夕食を摂っていた。
店内は仕事終わりの領民たちで賑わっており、酒精と料理の匂い、そして容赦のない『噂話』が充満している。
「おい、聞いたか?領主様の話……」
「あー、例の薬の話か?」
「なんだよ、知ってんのか!」
「ひっひっ、知ってるも何も!みんな噂してるぜ?」
隣のテーブルに座る肉体労働者風情の男たちが、ジョッキを煽りながら声を弾ませた。
抜群に耳がいいコロとウルの耳がピクッと動く。
「あのドラ息子の『試練』だか何だかのために、大枚はたいて特別な薬を作らせたらしいじゃねえか」
「そうらしいなぁ。羨ましい限りだぜ」
「ったく、その無駄な金を俺たち平民に回してほしいな」
「本当だよなぁ。そんなに安全に旅させたいんなら、てっとり早くよ、旅芸人の一座に盗賊団に扮してもらって、屋敷の演習場あたりに押しかけさせるんじゃダメなのかね?」
「うはは!そこでいつもの私兵どもみたいに『うわー! さすがですぅ!坊ちゃん最高ですぅ!』ってか!」
「ガハハハ!そうそう!それ!そうすりゃ安全だし安く上がるじゃねえか!なあ?」
「傑作だな!もはや誰の『試練』だよ、それ!」
「なんなら俺も盗賊役くらいやるぜ?『ぐへへ、命が惜しくば有り金全部よこしな!』ってな!」
「いいな!どうせあのお坊ちゃん、本物の盗賊なんて見たこともねえんだ。わかりゃしねえってんだよなぁ!?」
男たちがガハガハと馬鹿笑いをしていると、そこへ追加の酒を運んできた宿の女将が割って入った。
「なんだい、あんたたち。盗賊の頭目なら、アタシがやってやってもいいよ?『ふふーん、可愛らしい坊やだねえ。アタシが味見したいから、傷つけるんじゃないよ!』ってさ」
女将の迫真の演技に、酒場全体がドッと沸いた。
「ウハハ!女将、あんなのが好みなのかよ!趣味が悪いぜ!」
「ちょいと!まさか!あんなヒョロっちくて弱っちい男、ゴメンだよ! 抱く前にこっちが潰しちまうよ!」
女将が豪快に笑い飛ばすと、客たちもさらにジョッキを打ち鳴らして盛り上がる。
「安心しなよ、女将!大枚はたいて作らせた薬があるぜ!」
「誰か屋敷に行ってよ、『そのバカ高い薬、もう十本くらい用意したほうが良いですよ』って進言してこいよ!」
「ウハハハハッ!『さすがですぅ!』だな!」
「笑いすぎて酒が飲めねえ!!笑いを止める薬を持ってこいよ、馬鹿野郎!!」
彼らにとって、エドワードの「騎士の試練」は、酒の肴にちょうどいい喜劇でしかなかったようだ。
『……ククッ。愛されているな、あのお坊ちゃんは』
ウルが骨付き肉を齧りながら鼻を鳴らした。
「領主様がそうやって金をばら撒いてくれるおかげで、街の経済が回ってるんだから、ある意味では愛されてるのかもね。……みんな、あのお兄さんが『本物の外の世界』に出た瞬間にどうなるか、ちゃんと分かってるんだ」
コロは、冷めかけたスープを静かに啜った。
「お芝居の舞台は、町を出た瞬間におしまいなのにね。……ま、私たちには関係ないけど」
木の床はこぼれた酒と長年の油で黒ずみ、歩くたびにベタつくような音がした。
安酒の刺激臭が熱気に混じり、天井にたまった煙草の煙を揺らしている。
領民たちの笑い声は、単なる喜びではなく、自分たちを搾取する「馬鹿な支配者」を笑い飛ばすことでしか得られない、一種の毒を含んだ快楽のようだった。
ジョッキが卓を叩くドスンという鈍い音が、喜劇の終わりを告げる拍手のように鳴り響く。
周囲の爆笑を余所に、一人と一匹は淡々と食事を済ませる。
誰もが「悲劇」を予感し、それを「喜劇」として笑っている街。
その歪な平穏を、コロたちは数日後に自らの足で、物理的に粉砕しに行くことになるのだった。
酒場の喧騒を背に、二人は宿の二階にある自室へと引き上げた。
部屋は簡素だが、使い込まれた木の家具には手入れの行き届いた艶があり、開け放たれた窓からは夜の領都の冷ややかな空気が流れ込んでくる。
コロは寝支度を済ませると、窓辺の縁に腰を掛け、ぼんやりと夜の街並みを眺めていた。
ウルは床に敷かれた上等な絨毯の上で丸くなっている。
街灯の魔法具がぽつりぽつりと石畳を照らし、昼間の活気が嘘のように静まり返った目抜き通り。
そこへ、夜の静寂を乱す規則正しい金属音が響いてきた。
――カチャ、カチャ、カチャ……。
『ん……見回りの音か?』
あくまで姿勢を崩さないまま、ウルがコロに向かってそう問いかけた。
「だね……あ」
『どうした?』
「あのお兄さんだ……」
コロの視線の先。
月光を浴びて不自然なほど銀色に輝く甲冑を纏ったエドワードが、数名の私兵を引き連れて、街の巡回を行っていた。
腰に下げた宝飾剣は、夜の闇の中でも隠しきれない虚飾の光を放っている。
彼は時折足を止め、周囲の暗がりに鋭い――と本人は思っているであろう視線を送りながら、堂々たる足取りで歩を進めていた。
「この時間に自ら見回りなんて」
『ご苦労だな』
「尤も、あの人が見回ったところで、本物の悪党や魔物がどうにかなるわけじゃないと思うけど……」
『それを言ってやるな』
「それでも、ちゃんと自分の足で行動しようとするのは、素直に偉いと思うかな」
コロが膝を抱えながら独りごちると、部屋の隅で丸くなっていたウルが、のっそりと大きな身体を起こした。
ウルは音もなく窓辺まで歩み寄ると、銀色の頭を窓の外へ出し、眼下を行く「騎士様」の背中を金色の瞳で見下ろした。
『フン。本人に悪意がないことだけは、その淀みのない足取りを見れば分かる。……本人が悪いのではなく、周囲の環境が本人の目を潰している。典型的な「箱庭の王」の例ではないか?』
ウルの低い唸り声のような分析に、コロは小さく頷いた。
「だね。誰も本当のことを教えず、ただ優しく包み込んで、お芝居の主役にし続けちゃう。……本人が『自分は強い』と信じ込めば信じ込むほど、外の世界との境界線は、残酷な断崖絶壁になっちゃう」
エドワードは、自分が守っているはずの領民たちから、酒の肴として笑われていることなど微塵も疑っていないようだった。
彼は再び、私兵たちの「さすがです、坊ちゃん!」という囁きに満足げに頷き、夜の闇の向こうへと消えていく。
「さてと、寝よっか。……数日後の『本物の外側』で、あのお兄さんが何を思うかは、あのお兄さん次第だもんね」
『だな。感心こそするが、興味はない』
コロは窓を閉めると、月明かりを遮るように厚手のカーテンを引いた。
お芝居の幕が上がるのを待つ観客のような、冷めていながらもどこか憐れみを孕んだ視線を残して、一人と一匹は深い眠りへと落ちていった。
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