翠の涙と、お腹の弱い人類たち 2 〜弾けた熱狂と、冷徹な契約書〜
2.
翌朝。
コロとウルがふかふかのベッドから起き出し、屋敷の門を出ると、町の広場はかつてないほどの熱気に包まれていた。
「皆の者、聞くがいい!深き森の奥底で、一人の賢者が精霊の息吹を封じ込めた奇跡の原石!これぞ伝説の『翠の涙』である!!」
特設された台座の上。豪奢なビロードのクッションに鎮座した緑色の塊――基、腹痛薬を前に、町長が声を張り上げている。
「手にした者に幸運を呼び、家に飾れば一切の魔を払う!限定三十個、銀貨二十枚はくだらないところ、今日は特別に銀貨十二枚だ!早い者勝ちだぞ!!」
最初こそ「なんだあの石は」と半信半疑だった町民たちも、町長の異常な熱量と「限定」「幸運」という甘い言葉に、一人、また一人と財布の紐を緩めていく。
「おお……見ろよ。太陽に透かすと、信じられないくらい綺麗な緑色だ……」
「しかも、嗅いでみろ。この青々しい匂い……!大地の精霊の力が満ち溢れている証拠だ!これがあの『翠の涙』か……」
「言われてみれば……普通の宝石じゃこんな匂いはしないぞ!!」
「触ると少しペタペタするが、それも大地の精霊のお陰か?」
「馬鹿野郎、それは幸運が手に吸い付いているんだ!ありがてえ、俺は買うぞ!!」
集まった民衆の『半信半疑』は、気がつけば『熱狂』に変わっていた。
「……本当に売れてるね」
『信じられん。あんな草の塊に金を払うのか』
「いや、まぁ元を正せば薬だからね。お金を払うのは普通だよ」
『銀貨十二枚などと宣っていたぞ?』
「私からは一個あたり銀貨三枚で買い上げているから、相当あくどいね。あんなの一粒、大銅貨一枚とかそんなもんだよ」
『銀貨三枚で売るお前も相当あくどいことになるぞ』
「ははは、それは町長自らが提案した額だよ。それにしても――」
広場の熱狂を横目に、コロは小さく息を吐いた。
「あの調子じゃ、町長はいくらでも買い取る気だね。……でも、私一人で作るのには限界があるし、第一手が疲れちゃう」
『どうするつもりだ』
「ちょっと『下請け』を雇いに行こうか」
『下請け?』
「うん。宛があるんだ」
コロの言葉に、小さく首をかしげるウル。
そして、一人と一匹が向かった先は、昨日門前払いを受けたあの古ぼけた薬草店だった。
「……はあ!?あの『深緑草』を煮詰めただけの腹痛薬を、町の連中が伝説の宝石だと思い込んで買ってるだと!?」
水色の鱗を持つ恰幅の良いリザード族の店主は、コロから事の顛末を聞いて、目玉が飛び出そうなほど驚愕していた。
無理もない。彼のような専門家からすれば、道端の石ころを黄金だと信じてありがたがっているような異常事態である。
「この町の連中は頭が腐ってんのか!?あんな青臭くて苦いだけの草の塊に、銀貨を十二枚も払う奴がゴロゴロいるなんて……!」
「集団心理って怖いよね。でね、おじさん。今日はちょっとした『仕事』の相談があって来たんだ」
「仕事、だと?」
「うん。町長が『あるだけ全部買い取る』って言うから、私一人じゃとても生産が追いつかなくて。だから、おじさんにこの薬の大量生産を裏で手伝ってほしいんだけど」
コロはカウンターから身を乗り出し、氷藍色の瞳でリザード族の店主をジッと見つめた。
「これから私とウルが、群生地から草を山ほど摘んでくる。おじさんの店には、薬草を煮詰める大きな鍋も機材も揃ってるでしょ?おじさんはひたすら煮詰めて『ネリネリ』してくれればいい。出来上がったものは私が回収して、町長に納品するよ」
「……俺に、その詐欺の片棒を担げってのか?」
「詐欺じゃないよ、需要と供給だよ。私は『翠の涙』だなんてひと言も言ってないし、そんなに価値があるのかって確認したよ」
「んで、その契約書がそれってわけか」
「うん。私はあくまで腹痛薬として売っているつもりだけれど、それをどう捉えて、どう販売しようと、それは買った人の自由だよ。売った人には関係のない話だよね」
「ま、まぁ……な?」
目の前の少女が淡々と繰り出す屁理屈全開の言葉に、店主はすっかり高房を担ぐ方へ靡き始めているようだ。
コロの足元に座っているウルは大きな欠伸をして、退屈そうにぼんやりと店主の顔を眺めている。
「もちろん、おじさんを矢面に立たせるつもりはないよ」
コロはにっこりと、無邪気な子供のような笑みを浮かべた。
「納品も契約も全部私がやってるから、もし万が一バレて騒ぎになっても、おじさんは『ただ依頼されて薬草を煮詰めただけ』って言い張れるでしょ?反感を買うのは私。よそ者の私が背負う。だから、利益の配分はおじさんに三割を回すよ。どう?」
悪魔の囁きである。
リザード族の店主は、「そんな危ない橋を渡れるか」と喉まで出かかった言葉を飲み込み、頭の中で猛烈な勢いで算盤を弾き始めた。
元手はタダ同然の雑草。それを裏で煮詰めて丸めるだけで、銀貨、いや金貨の利益が転がり込んでくるのだ。
「よ、四割だ!」
「三割五分。一つ当たり銀貨一枚と銅貨五枚。本来なら大銅貨一枚とかで買えるものが、銀貨一枚と銅貨五枚だよ」
「……くっ、商魂逞しいガキだぜ。……よし、交渉成立だ!バレる前に、やれるだけやって稼ごうじゃねえか!」
店主とコロが、カウンター越しにガッチリと固い握手を交わす。
それを見ていたウルは、深々と呆れたような溜息を吐いた。
『……お前たち、やっていることが完全に裏社会の密売組織だぞ』
「密売組織?人聞きの悪いこと言わないでよウル。適材適所を活かした、健全な業務委託だよ。表の社会ね」
コロの言葉しか聞こえない店主は、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「どうやら、相棒の魔狼の方が、よっぽど真っ当な感覚を持ち合わせているみたいだな」
『フン。正解だと言っておけ』
「はいはい。そうだね、ウルは『正解だ』って言ってる」
ウルの尻尾がボフンと床を叩く。
3.
それから数日間。
コロの『外注化』により生産体制が盤石となったことで、町には大量の「翠の涙」が供給され、熱狂という名のバブルは留まることを知らずに膨れ上がっていった。
町長の屋敷や広場には連日行列ができ、少しでも形の良い「ネリネリ」を手に入れようと、大人たちが血走った目で揉み合いの喧嘩を始める始末。
中には、手に入れた塊をさらに高値で別の町から来た商人に転売する者まで現れた。
そんな異常な熱気に包まれた町の目抜き通りを、籠を背負った一人と一匹が悠然と歩いていた。
道のあちこちで、緑色のペーストの塊を後生大事に握りしめ、恍惚とした表情を浮かべる大人たち。
その狂騒のど真ん中を抜けながら、ウルは呆れ果てたように鼻を鳴らした。
『……狂っている。ただの腹痛の薬が、本気で宝石に見えるのか?匂いが完全に青臭い薬草だろうが』
「人類がどういう価値を見出しているか知らないけど、高く買うっていうなら止めないよ。みんな幸せそうだし、これでいいんじゃない?」
『まぁ……幸せそうではある』
「そうだよ。今この瞬間、あの腹痛薬はね、みんなの中で、たしかに『幸運を呼び込んで、魔を払う効果』をもっているんだ」
コロは肩をすくめると、熱狂する群衆を冷ややかに見つめた。
その時、前方で「翠の涙」を見せびらかしていた男が、人波に押されて手からそれをポロリと落とした。
コロはスッと足を止め、隣を歩く漆黒の巨狼の鼻先を軽く叩いた。
「ほら、ウル。そこ、踏まないでよ。町長が銀貨三枚で買ってくれる『奇跡の原石』が潰れちゃうからね」
足元で男が涙目で腹痛薬を拾い上げる滑稽な光景に、ウルは『グルル』と深い嘲笑を漏らした。
そして、最初の熱狂から『六日後』のこと。
広場の特設ステージで、町長はこれまでにないほど巨大な『翠の涙』を掲げていた。
「皆の者、刮目せよ!これぞ精霊の加護の結晶!特大の『翠の涙』である!!」
「おおおおっ!!」
今、町長が掲げている巨大な『翠の涙』は、昨日の晩、いい加減練るのが面倒になってきた店主とコロの悪ノリにより出来た代物だった。
さすがに怒られるかと思いきや、町長は大興奮し、いつもの十倍の銀貨三十枚の値をつけてコロから買い取ったのだった。
「町長様!頼む、金貨五枚出す!私にそれを譲ってくれ!!」
そんな裏話など知らない民衆の熱狂は、天上を知らない。
そこに、巨大な背負い袋を抱えた一人の行商人が通りかかった。
安価な天然石や日用品を売り歩いているその行商人は、不思議そうに首を傾げ、人波を掻き分けて最前列へと進み出た。
「おい、邪魔だぞ余所者!」
「まあ待て、お前もこの精霊の奇跡を拝みたいのだろう?」
町長が誇らしげに特大の塊を突き出す。
行商人は目を細め、鼻をヒクヒクと動かしてその匂いを嗅ぎ、それから……ポカンと口を開けた。
「えっ……?あ、いや……」
「んー?どうした?呆気にとられてしまったかぁ?」
「いや、失礼。……それ、大陸北部の安宿なんかによく置いてある『練り腹痛薬』です……よね?」
行商人の気の抜けた声が、広場に響き渡った。
「な、なにを馬鹿なことを言っている!これは精霊が……!」
「いやいや!えっ?あの、どう見ても深緑草を煮詰めた薬でしょう?ほら、ちょっと表面が手の汗で溶けてベタついてるし、青臭い匂いもする。……お湯でふやかしてから飲むやつですよね?日持ちするから便利ですけど。……え? 皆さん、まさかこれをお守りにしてるんですか?奪い合うほど熱心に集めずとも、その辺の草で子供でも簡単に作れますよ?」
広場を包んでいた熱狂が、まるで冷水を浴びせられたようにピタリと止まった。
「あの……よそ者の私を担ごうとしていますか?いや、まさかな……えっ?これは、一体何が起きているのですか?」
行商人の頭の上の『クエスチョンマーク』の数は増える一方のようだ。
「あの、なんなら私、常備薬として持っていますよ?」
そう言って、斜めがけの鞄をガサゴソと漁り、取り出したものは、布に包まれた無数の『翠の涙』――基、腹痛薬だった。
「……た、たしかに……宝石にしては、なんか傷がつきやすいし……」
「そう言われてみれば、ずっと草の匂いが強すぎねえかとは、薄々思ってたんだよな……」
「お、俺は……その辺の草を丸めただけの草団子に、銀貨を何枚も払ったのか……?」
真実の露呈。
一人が呟いた疑念は瞬く間に伝染し、熱狂は一瞬にして「怒り」へと反転した。
「ふざけるな!!騙したのか!?町長!!」
「俺の金を返せ!こんな臭い草の塊、誰が要るか!!」
暴徒と化した町民たちがステージに向かって、つい先程まで宝物のように扱っていた「翠の涙」を一斉に投げつけ始める。
すっかり硬くなっている腹痛薬が、町長の顔や立派な絹の服に次々と命中し、鈍い音を立てて砕ける。
その阿鼻叫喚の喜劇を、少し離れた広場の隅から、コロとウルが串焼きを齧りながら冷ややかに見物していた。
「……うーん。六日、か」
暴動を眺めながら、コロは氷藍色の瞳を細めて小さく呟く。
『ん? なにか言ったか?』
「ううん、なんでもないよ。さ、魔法が解けたみたいだし、最後の納品に行こっか」
コロは足元に置かれた、今日の分の「ネリネリ」がぎっしり詰まった重い麻袋を持ち上げると、足取りも軽く町長の屋敷へと向かうのだった。
4.
数時間後。
町長の屋敷の広間。
そこには、激怒した町民たちから返品され、文字通り山のように積み上がった「翠の涙」と、身体中あちこちを緑色のペーストまみれにした町長が絶望の表情で座り込んでいた。
「もう……終わりだ。私の財産も、町長としての地位も……」
そこへ、一人と一匹が、コロの腰ほどの高さがある麻袋を引きずりながら入ってきた。
「はい、町長さん。今日の分の『翠の涙』、納品に来たよ」
「ひぃっ!!あ、悪魔め!お前のせいで私は全てを失ったのだ!もういらん!誰も買わんのだ!契約は破棄だッッッ!!」
泣き叫ぶ町長に対し、コロは無表情のまま懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「困るよ。契約書には『私が用意したものは、町長が全て、一つにつき銀貨三枚で買い取る』って、町長のサイン入りでちゃんと書いてあるよ。ほら、今日の分、早く清算してね」
「しかし、そんなもの……!さ、詐欺ではないかッッッ!!」
「私はね、はじめからひと言も『これは翠の涙です』なんて言ってないよ。買う側だった町長がどう捉えようと、売る側の私は知らないよ」
「そ、そんな……」
「この街はただの腹痛薬を、随分と高く買い取ってくれるんだなって不思議だったんだけどね」
「うううっ……!」
町長のうめき声が、虚しく響き渡る。
反論の余地もなく、町長は震える手で金庫からなけなしの銀貨と金貨を取り出し、コロの前に積み上げた。
コロはそれを一気に懐に仕舞い込むと、満足げに頷いた。
「ありがと。それじゃ、私たちはもう行くね」
「この、悪魔め……。私は、この山のような緑のゴミと借金を抱えて、どう生きていけばいいのだ……」
絶望に暮れる町長の背中に、コロはにっこりと、無邪気な子供のような笑みを浮かべて言い放った。
「大丈夫だよ、町長さん。これ、保存が凄く効くから」
「……え?」
「街中に無償で配れば良いんだよ。『腹痛の際は溶かして飲みなさい』『足りなくなったら申し出なさい』ってね。腹痛薬としての効果は、この辺りでよく飲まれる物と同じくらい効くから、みんなからジワジワと感謝されると思う」
悪びれもせず放たれたひと言。
町長が白目を剥いて気絶するのを尻目に、コロとウルはパンパンに膨れた財布を揺らしながら、屋敷を、そして町を後にした。
町を離れて暫く経った街道沿い。
爽やかな風が頬を撫でる中、コロは先程から何やら難しそうな顔をして空を見上げていた。
『どうした。まだ誰かから毟り取る算段でも考えているのか』
「まさか、違うよ。ただね……人類は私が思うほど賢くもなかったけど、女神様が思うほど愚かでもなかったみたいだなって思って」
『ん、女神?』
「そう、ちょうど真ん中くらいだったね」
ウルの疑問には答えず、コロはクスクスと小さく笑った。
「結局、どっちの予想も外れ。……だから、ご褒美はなしで引き分けだね」
『……まさかお前、女神と賭けでもしていたのか?』
「ううん、こっちの話。さあ、次は海鮮が美味しい町に行こうか」
『信じられん……』
人類の愚かさも、女神の期待も、すべてを等しく煙に巻きながら。
一人と一匹の気ままな旅の足音は、青空の下へと軽やかに溶けていった。
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