翠の涙と、お腹の弱い人類たち 1 〜ネリネリの錬金術と、狂騒の幕開け〜
1.
「悪いね、お嬢ちゃん。うちじゃあその草は扱ってないんだ」
鄙びた空気が漂う、とある片田舎の町。
天井から無数に吊るされた乾燥ハーブの束が、生温かい風に揺れてカサカサと乾いた音を立てている。
年季の入った木のカウンターには、薬草の染みや刃物の傷が無数に刻まれており、むせ返るような独特の匂いが店内に充満していた。
そんな古ぼけた薬草店のカウンターで、水色の鱗を持つ恰幅の良いリザード族の店主はコロが差し出した籠の中身を見て、すげなく首を振った。
「え、どうして?葉脈に魔力もちゃんと通ってるし、品質は悪くないはずだけど」
「品質は文句なしどころか完璧さ。いやね、品質じゃなくて種類の問題なんだ」
「種類?」
「ああ、それは『深緑草』だろ?」
「うん、そうだね」
「大陸の北部じゃあ腹痛薬としてメジャーらしいがな、この辺りの気候じゃあ、もっと安くて即効性のある別の薬草が幾らでも採れるんだよ」
「あっ、しまった……!だからあんなにあちこちに生えているんだ……」
珍しく動揺するような声をあげたコロ。
隣で行儀よく座っていたウルがギョッとしてコロの顔を見つめた。
視線の先では、苦い表情を浮かべているコロがいた。
「そうなんだよ。わざわざそんな苦い草、この辺りじゃ誰も金を出して買わないのさ」
「この辺りは『八夜草』の方が主流なんだっけ?」
「お、その通り。なんだ、知らんかった訳じゃないんだな」
「うっかりしちゃった。群生地を見つけたから、ついつい……」
コロは氷藍色の瞳でカウンターの上の草を見つめた。
せっかく道中で手間をかけて採取し、品質も完璧に保ってきたというのに、需要がなければただの雑草と同じだ。
「……そっか。分かったよ、おじさん」
「悪いな。他にもなんかあったら持ってきてくれ」
「そうする」
コロはあっさりと引き下がると、再びパンパンに膨れた鞄を抱えて店をあとにした。
『どうする。捨てるのか?』
「この辺りじゃ需要がないんだもんね。……でも、捨てるのは勿体ないな」
ゆっくりと歩みを止め、空を仰いだコロ。
視線の先に広がる空は雲一つない快晴だ。
容赦なく照りつける太陽が、乾いた土の道を白く飛ばしている。
遠くで家畜の鳴き声がのどかに響くばかりで、この町には行き交う商人の活気も、冒険者の喧騒も全く感じられない。
「……そうだね。日持ちするように『固形剤』にしておいて、もっと北の町に高く売れるまで取っておこうか」
『ふむ』
再び歩みを進める一人と一匹。
コロとウルは、町長の屋敷の裏手にある、水汲みする人が途絶えた昼下がりの共同井戸へと向かった。
そこから綺麗に澄んだ水を汲み上げると、コロは手持ちの小さな鉄鍋で深緑草を煮詰め始めた。
苔生した井戸の石組みの傍らで、小さな焚き火がパチパチと爆ぜる。
やがて、グツグツ、ドロドロと水分が飛び、青臭い薬草の匂いが辺りに立ち込める。
煮詰まっていく深緑草は、強烈な苦味を孕んだ濃密な蒸気へと変わり、夏の熱気と混ざり合って鼻の奥をツンと突いた。
やがて鍋の底にドロリとした濃緑色のペーストが残ると、コロはそれを手のひらに取り、無心で作業を開始した。
「ネリネリ、コネコネ……。ネリネリ、コネコネ……」
『……何をしているんだ、お前は』
「薬を練り固めてるんだよ。こうして水分を完全に抜いて丸めておけば、何年も腐らないからね。……ネリネリ、コネコネってね」
コロの小さな両手の中で、薬草のペーストは体温と圧力を受けて次第に硬度を増していく。
やがて出来上がったのは、親指ほどの大きさの、半透明で深い緑色をした「硬いゼリー状の塊」だった。
表面にはコロの指紋がくっきりと残り、中に小さな気泡や微細な繊維の燃えカスが幾つも混じっている。
宝石と呼ぶにはあまりにもチープで、いかにも『手で捏ねて丸めました』という不格好な仕上がりだ。
『見た目だけなら宝石だな』
「そうだね。エメラルドに似てるかもね」
『しかし匂いが薬草だ』
「ははは、そりゃそうだよ。すぐにもっと固くなるよ。だから今のうちに、こうして指紋を消せば――」
そう言いながらコロが、器用に親指で表面をゴシゴシと磨くと、武骨に削り取られたようなエメラルドの塊に見えなくもない仕上がりになった。
「ね?何も知らない人類が見たら、途轍もない錬金術に見えちゃうかもね。ほら、見てよウル。光を――」
コロがそれを太陽の光に透かして出来栄えを確認しようとした、その時だ。
「な、ななな……なんということだ!!」
背後から、ひっくり返ったような大声が響いた。
驚いて振り返ると、立派な絹の服を着た初老の男――この町の町長が、目玉が零れ落ちんばかりに見開いて、コロの手元を指差していた。
「お、お、お嬢ちゃん!今、君が太陽に翳したその石は……まさか!!」
「えっ?石?違うよ、これは……」
「おおお!太陽の光を吸い込んで透き通る、その深いエメラルドグリーン!そしてその不揃いで荒々しい原石の形状!間違いない、言い伝えに聞く伝説の『翠の涙』ではないか!?」
町長は興奮のあまり顔を真っ赤にして、コロの手をガシッと両手で握りしめた。
額に脂汗を滲ませ、上等な絹の服の袖口を汚すことも気にせず、ブルブルと感極まったように震えている。
コロはドン引きしたような氷藍色の瞳で、目の前の男を見上げた。
『こいつは何を言っているんだ?』
「いや、おじさん。これ、ただの……」
「謙遜するな!子供の君がどうやってそんな奇跡の代物を手に入れたのかは分からんが、これは我が町に神がもたらした奇跡だ!おお、見れば見るほど美しい……!」
町長がうっとりと見つめるその『奇跡の原石』からは、どう誤魔化しても『青臭い草の匂い』が漂っているし、よく見ればコロの手の汗で表面が少しベタベタしている。
しかし、思い込みという名の熱病に冒された町長の目には、もはやそれが最高級の宝石にしか見えていなかった。
『……おい。こいつ、鼻と目が腐っているのか?』
「ウル、しーっ」
呆れ果てるウルを制し、コロの頭の中で、冷徹な算盤が高速で弾かれた。
「……おじさん、これ、そんなに価値があるの?」
「あるとも!伝説では『手にした者に幸運を、飾れば魔を払う』と言われている!お嬢ちゃん、頼む!それを、いや、君が持っているその『翠の涙』を、私に全て買い取らせてくれないか!!」
鼻息を荒くして迫る町長。
コロは手の中にある『腹痛の薬』を見つめ、そして、にっこりと無垢な子供のような笑みを浮かべた。
そんな白々しい笑顔を見たウルは、呆れてため息をついてしまう。
「……うん、いいよ」
「おおっ!!そ、そうか!!」
「私ね、これを作る方法を知ってるから、材料さえあればいくらでも用意できるよ」
「なんと!!君は賢者様か!!」
「その代わり、毎日の美味しいご飯と、それなりの『報酬』……約束してくれるよね?」
「勿論だ!!そうと決まれば……!!」
「あとで『契約書』がほしいな」
「おお!賢いのだな、いいぞいいぞ!」
町長はコロが作った『翠の涙』という名の『腹痛の薬』を片手に、頭の中でパチパチと算盤を弾いているようだ。
ここから、この静かな片田舎の町を巻き込んだ、歴史に残る経済バブルが幕を開けようとしていた。
コロとウルは町長の屋敷の離れに賓客として迎え入れられた。
その日、用意された夕食は、テーブルに並びきらないほどの豪勢な肉料理。
部屋の中に鎮座するベッドもふかふかで、試しに横になった一人と一匹は、しばらくウットリと目をつぶっていた。
明日からのコロの仕事といえば、日中にウルを連れて町外れに出向き、誰にも見向きもされない『深緑草』をタダでむしり取ってきては、屋敷の裏庭でひたすら「ネリネリ、コネコネ」と煮詰めて丸めることだけだ。
一方、町長は、今日コロから買い取った『腹痛の薬』を、豪奢なビロードのクッションに鎮座させ、ニヤニヤとしている。
部屋の明かりを落とし、月明かりだけが差し込む離れの客室。
最高級の羽毛が詰まったふかふかのベッドの上で、コロは幸せそうにゴロゴロと寝返りを打っていた。
床にはこれまた分厚く見事なペルシャ風の絨毯が敷かれており、ウルがその上で心地よさそうに丸くなっている。
『……しかし、本当にいいのか?』
静寂を破り、ウルが呆れたような低い声で尋ねた。
「ん、何が?」
『あの強欲そうな町長のことだ。ただの腹痛の薬を伝説のナントカだと思い込んだまま、明日から町中で売り捌くつもりらしいぞ』
ウルの言葉に、コロは小さくクスッと笑ってしまう。
「ふふ、いいんじゃない?私、一言も「これはその『ナントカの涙』です」なんて嘘は言ってないよ」
『それはそうだが……』
「私はただ、ちゃんと「これを作る方法を知ってる」って言っただけだし」
『完全な屁理屈だな』
「事実だよ」
コロは身を起こし、窓の外に見える町長の屋敷の母屋を眺めた。
あそこでは今頃、町長がニヤニヤと腹痛薬を磨いていることだろう。
「人類って不思議だね。ただの金色の柔らかい金属とか、透明な硬い石ころに途轍もない価値を見出して、お金や命まで懸けるんだから」
『俺には理解できん感覚だ。あんな石、腹の足しにもならん』
「でしょ?価値なんて、結局は『集団の思い込み』でしかないんだよ。町長や町の人たちが、あの薬草の塊を『幸運を呼ぶ宝石』だと信じて、それに金貨を払うことで幸せを感じるなら、それはもう彼らにとって立派な宝石なんじゃないかな」
『……詭弁だ。いつか必ずボロが出るぞ。なんせ、匂いが青臭い草だからな』
ウルの至極真っ当な指摘に、コロは「ふふっ」と小さく笑った。
「うん、間違いなくいつか幸せは弾けるね。だって、ただの腹痛薬だもん。こういう実態のない熱狂は、必ずどこかのタイミングで破綻するよ」
『分かっているなら、なぜ加担する』
「美味しいご飯と、ふかふかのベッド、それにたんまりと路銀が手に入るからだよ。それ以外に理由がある?」
コロは再びベッドにダイブして、滑らかなシーツに頬をすりすりした。
「弾けるまでの間、せいぜいこの人類の『都合のいい思い込み』の恩恵に与らせてもらおうよ。おやすみ、ウル」
『……いい性格をしている。おやすみ』
呆れ返るウルのため息を聞きながら、コロは柔らかい闇の中で心地よい眠りへと落ちていった。
※ ※ ※
――ふわり、と。
豪華だがどこか埃っぽい町長の屋敷の空気から一転して、鼻腔をくすぐるような甘く清らかな香りがコロを包み込む。
気がつけばコロは、真っ白な空間で女神の温かい腕の中にいた。
「おかえりなさい、私の愛おしいコロ」
「ただいま、女神様」
「今日は随分と、ふかふかのベッドで眠りについたのね」
「うん、町長が私を『賢者様』だって言って、特別なお客さんとして迎えてくれたからね」
「ええ、見ていたわ。ふふふっ!傑作ね!」
女神は愛おしそうにコロの銀髪を撫でながら、クスクスと、まるで滑稽な喜劇でも見たかのように楽しげに笑った。
「でしょ。ははは、ビックリしちゃったよ」
「ただの薬草のペーストを、伝説の石ころだと思い込むなんて。……彼らは本当に、自分たちの欲で作り上げた『虚像』の上で踊るのが好きなのね」
「価値なんて、集団の思い込みだからね。私は『これを作る方法を知ってる』って言っただけだし」
「ええ、あなたは何も間違っていないわ。あの哀れな人類が、勝手に薬草団子を宝石だと錯覚して、自分から罠に飛び込んでいっただけ。……本当に、愚かで愛おしい子たち」
「罠じゃないよ。私は罠なんて張ったつもりはないよ」
「あら?ふふ、そうね」
女神の甘い声の奥底に、人類の滑稽さを見下す絶対零度の冷酷さが滲む。
「ねえ、女神様」
「なあに、コロ」
「あの滑稽な熱狂……何日後に弾けると思う?」
コロの問いかけに、女神は少しだけ目を丸くした後、悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「そうね……。コロは、どう思うの?」
「うーん……二日くらいかな。いくらなんでも、あんな青臭い薬草の塊、本物の行商人や薬師が見たら一発で分かるもん。それに、ギュッと握ってたら手汗でベタベタしてきちゃうし」
「ふふっ。私はね……案外、十日はもつと思うわ」
「え?そんなに?まさか」
まさかそんなに長い期間を指定すると思っていなかったコロが、腕のなかでガバっと女神の顔を見上げた。
女神は悪戯っぽい笑みを浮かべてウインクを送った。
「ええ。人類というのはね、一度大金を払ってしまった『自分の愚かさ』を認めるのが、何よりも怖い生き物なの。だから、心のどこかで『おかしい』と気づいても、必死に『これはナントカ石だ』って自分に言い聞かせるはずよ。……見栄とプライドという鎖は、とても頑丈だから」
「前にあった、あのナントカって嘘の国みたいな……」
「ええ。人類は集団になればなるほど、そんな二日くらいで真実を見抜くほど賢くはないわ」
女神の冷徹な人間分析に、コロは「なるほど」と感心したように頷いた。
「じゃあ、どっちの予想が当たるか楽しみだね」
「そうね……。もしコロの予想が当たったら、ご褒美に可愛いコロのほっぺに口づけをしてあげるわ」
「え?当たらないとしてくれないの?」
「〜〜っ!」
目をギュッと閉じた女神は、コロのほっぺに口づけの雨を落とす。
「あはは!まだ結果も出てないのに!」
「コロが可愛いのがいけないわ!ふふっ!それ!」
「えへへ、女神様、好き!」
「私もよ、私の愛おしいコロ。……ああ、ずっとこのまま、この腕の中に閉じ込めておきたいくらい」
「……でも、明日はまたいっぱい『ネリネリ』して、美味しいお肉を食べないと」
「ふふっ、本当に可愛い子」
女神はコロを抱きしめる腕の力を、ほんの少しだけ強めた。
その温もりと甘い香りに包まれながら、コロの意識は再び心地よい微睡みの奥底へと沈んでいく。
「ゆっくりお休みなさい、私のコロ。明日もしっかり美味しいものを食べてくるのよ。……良い夢を」
地の果ての楽園で、名もなき男がたった一人で朽ち果てるように。
愚かな町民たちが、ただの腹痛薬に金貨を支払い、見栄と欲に溺れようとしていようとも。
それは、ただ気ままな旅を続けるコロにとっても、愛おしいコロを慈しむ女神にとっても、最高にどうでもいい、ただの極上の暇潰しでしかなかった。
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