自由の熱病と、賢者たちの退路 1 〜無防備な革命と、命がけの金勘定〜
1.
容赦なく照りつける太陽が、ひび割れた赤茶色の台地から陽炎を立ち昇らせている。
乾燥しきった風が吹き抜けるたび、細かな砂埃が舞い上がり、旅人たちの喉や外套を容赦なくザラザラにしていった。
そんな過酷な乾燥帯を効率よく抜けるため、一人と一匹は、巨大な荷馬車を何台も連ねた商人たちのキャラバン隊に同乗させてもらっていた。
「……自由だ!俺たちはついに、あの忌まわしい独裁者の首を獲ったぞ!!」
「革命が成功したんだッッッ!!ついに俺たちは真の自由を勝ち取ったんだ!!」
「新しい時代の幕開けに乾杯!」
キャラバンが立ち寄ったオアシス近くの小国は、異様な熱狂の渦に包まれていた。
広場の中央では、引き倒された豪奢な石像――おそらくかつての王や独裁者のものだろう――が粉々に砕かれ、その残骸の上で、ボロボロの服を着た市民たちが安い酒を煽って歌い踊っている。
街中のあちこちに不格好な手作りの『自由』を掲げる旗がはためき、通りには血と酒と、興奮した人々のむせ返るような汗の匂いが充満していた。
だが、そんな歴史的偉業の熱気から完全に切り離された場所があった。
「よし、こっちの荷車の安酒は全部売り払ったな」
「ああ!飛ぶように売れちまったぜ!」
「代わりに、街の倉庫で投げ売りされてる香辛料と塩をありったけ積めるだけ積め」
「宝飾品はどうする?」
「それはまだだ!まずは畑と塩田だ。税が消えた今、あいつらは『本当の相場』ってやつを知らねえ!安くても高くても、とにかく今は売り急ぐハズだ!だが気をつけろ、全員が全員そうじゃねえ!抱え込む連中も出る!だからこっちから取りに行くんだ、『今なら得だ』と思わせろ!」
「だな!分かった!」
「いいか、ここで根を張る気はねえ!全部さらって、燃え上がる前に消える!税がねえ?結構!だがな、代わりに『誰でも奪える』って意味だ!足枷になる重い荷は捨てろ。価値を詰め込め。逃げ切った奴が勝ちだ!」
広場の熱狂から少し離れた、分厚い布で覆われた幌馬車の陰。
キャラバン隊の頭であるカシムは、広場でバンザイを繰り返す市民たちを一瞥すらせず、脂ぎった顔で猛烈な勢いで算盤を弾いていた。
カチャカチャという乾いた珠の音が、狂騒の音楽に混じって冷ややかに響く。
「すっごく忙しそうだね」
馬車の荷台の上で、干し肉を齧りながら街を見下ろしていたコロが、不思議そうに声をかけた。
傍らでは、ウルが退屈そうに大きなあくびをしながら伏せている。
「おお、嬢ちゃんか。忙しいに決まってるだろう。こんな美味しい『特売セール』、数十年行商をやっててもそうそうお目にかかれねえからな」
「特売セール?」
「ああ。あの馬鹿どもが革命だなんだと騒いで上の連中を皆殺しにしたおかげでな。今、この国には『税金』って概念が存在しねえんだ」
カシムはニヤリと、商人の顔にしか浮かばない卑しい、しかし極めて合理的な笑みを浮かべた。
「役人が死に絶えて、関税もゼロ。街の商人たちは明日のパン代のために、倉庫の在庫をタダ同然で投げ売りしてる。税金が激減した今のうちに限界まで仕入れて、さっさと次の国で売り捌く。……関税が機能していない今が、この国で荒稼ぎできる最後の一週間だからな」
カシムの言葉に、コロは干し肉を咀嚼する手を止め、氷藍色の瞳で小さく首を傾げた。
「この国が終わるってわかってて商売するんだね」
「そりゃあな!崩壊するに決まってんだから、徹底的に美味いところだけ毟り取る」
カシムはペンをインク瓶に突っ込み、羊皮紙の帳簿に乱暴な字を書き殴りながら鼻で笑った。
「本当に賢い貴族や金持ちの連中はな、血の匂いを嗅ぎつけてとっくの昔に国外退去済みだ。今この街に残ってるのは、熱病に浮かされて『明日から自分たちが王様だ』と勘違いしてる哀れな素人だけだ。国を回す金も、システムも、とっくに空っぽなんだ」
カシムは羊皮紙をパチンと弾き、広場で踊る市民たちを冷たい目で見やった。
「俺たちも、連中の熱が冷めて、本当の火の手が上がる前にずらかる。お前さんたち『逃げ出す時の威圧係』の役目は暫くねえから、ゆっくりしてろ」
「薬草店とかでも投げ売りしていたら――「あと数日もしたら隣国が攻め込んでくるって噂が広まって、薬草需要が馬鹿みてえに跳ね上がる!報酬はきっちり払うから、ここで薬草を買うのは諦めろ!」
「そっか。わかった」
「さあ、野郎ども、急げよ!日が沈む前に積み込みを終わらせるぞ!」
醒めた目で街の喧騒を眺めているコロとウル。
町の熱狂が高まれば高まるほど、一人と一匹との温度差が際立つようだった。
コロとウルを乗せたキャラバン隊の荷馬車が裏通りに止まると、そこにはすでに『自由の熱病』が悪化し、暴徒と化した市民たちが押し寄せていた。
「おい!そこの商人ども!その荷馬車の中身を全部置いていけ!」
「そうだ!俺たちは長年搾取されてきたんだ!革命を成し遂げた俺たちには、持てる者から正当に奪う権利がある!」
血走り、酒に酔った数十人の男たちが、手に松明やこん棒、奪ったばかりの錆びた剣を掲げて車列を取り囲んでいる。
彼らの目は、先程まで広場で歌っていた「解放者」のものではなく、ただの「飢えた強盗」のそれに成り下がっていた。
「おい、さっさと荷物を下ろせ!嫌ならその馬車ごと燃やしてやるぞ!」
「もう俺たちを縛る法律も、邪魔をする憲兵なんていないんだからな!はははっ!」
熱狂に任せて一斉に荷馬車に飛びかかろうとした暴徒たち。
だが、彼らの足は、その一歩を踏み出す直前で完全に凍りついた。
『五月蝿いぞ、羽虫共』
――ズドォォォォォォンッ!!
空が晴れ渡っているというのに、突如として耳を劈くような轟音と共に、漆黒の雷光がキャラバン隊のすぐ目の前の石畳に突き刺さった。
一瞬にして地面が爆ぜ、黒く焦げた石の破片と猛烈な熱風が暴徒たちの鼻先を掠める。
「ひぃっ!?」
「な、なんだ!?」
粉塵の中からゆっくりと姿を現したのは、このあたりの地域に出るサンドウルフなんかとは比べ物にならない程に禍々しい狼――ウルの姿だった。
青白く燃える黄金の瞳が、暴徒たちを「餌」以下のゴミを見るような目で睥睨する。
喉の奥から漏れる地響きのような唸り声と、毛皮からバチバチと放たれる黒雷の余波に、暴徒たちは腰を抜かし、持っていた松明を取り落とした。
『近づくなら、炭の塊になる覚悟をしておけ』
圧倒的な暴力の具現化。
その背後から、荷馬車の荷台で帳簿を広げていたカシムが、ニヤァッと底意地の悪い笑みを浮かべて身を乗り出した。
「いやあ、素晴らしい革命だ!全くお前さんたちの言う通り、もう憲兵がいないってのは本当に最高だな!」
カシムは脂ぎった顔を歪め、片手にペンを握ったまま、暴徒たちに向かって声高に嗤った。
「おかげで、俺の用心棒がここで何十人ぶっ殺して黒焦げにしようが、誰にも咎められねえ!犯罪になりゃしねえんだもんな!さあ、荷物が欲しい奴から順番にかかってこい!この用心棒に勝てたやつには、このキャラバン隊を丸ごとプレゼントしてやる!」
カシムの狂気じみたハッタリと、ウルの放つ本物の殺気を前に、暴徒たちの顔から一瞬にして血の気が引いた。
彼らが持っていたのは「弱い相手から奪うための熱狂」であり、文字通り命を懸けて死地に飛び込む覚悟など微塵もない。
「ば、化け物……!」
「ひ、ひぃぃぃっ!」
「アイツらはダメだ……!」
誰かが悲鳴を上げて逃げ出したのを皮切りに、数十人の暴徒たちは蜘蛛の子を散らすように裏通りから逃げ去っていった。
残されたのは、焦げた石畳と転がった松明だけだ。
「威圧係のお仕事、完了だよ。……でもおじさん、よくウルのあの威圧に怯まなかったね。普通なら、後ろにいるだけでも腰を抜かすのに」
コロがのんびりとした足取りで馬車に戻りながら声をかけると、カシムはすでに暴徒たちが逃げた方向など見ておらず、羊皮紙に向かって猛烈な勢いでペンを走らせていた。
「馬鹿言え!こちとら一分一秒を争う金勘定で必死ってこった!この特売セールでいくら儲かるか計算するのに忙しくて、ビビってる暇なんざねえよ!」
カチャカチャカチャカチャッ!と、狂ったような速度で算盤の珠が弾かれる。
すぐ目の前で特大の雷が落ち、数十人の暴徒が襲いかかってきたというのに、この商人の頭の中にあるのは「利益の計算」だけだった。
『……全く。人類の「欲望」という病は、時として俺の殺気すらも凌駕するのか。本当に、呆れるほどに逞しい生き物だ』
呆れ果てたウルの唸り声が響く中、カシムが帳簿から顔を上げ、キャラバン隊の面々に向かって怒鳴り声を上げた。
「よし!いいぞ!次は――」
カシムの号令と共に、キャラバン隊の男たちは威勢のいい返事と共に、再びどこかへと消えていく。
「報酬が破格なわけだよ」
『楽でいいな』
馬車に残ったコロとウルは、そんな背中を退屈そうに眺めていた。
それから三日後。
熱病のように浮かれていた街の空気は、一転して重苦しいパニックへと変わっていた。
「隣国が国境に軍を集結させているらしいぞ!」
「治安維持を名目に、この国を飲み込む気だ!」
そんな噂が瞬く間に広がり、手にしたばかりの『自由』は、早くも『死の恐怖』へとすり替わっていた。
国を治めるノウハウを持たない素人上がりの革命軍は完全に浮き足立ち、怪我人に備えて慌てて物資をかき集め始めていたが――時すでに遅し。
街の物資は、あらかたカシムたちのような行商人に買い叩かれ、その殆どがとっくに国外へと逃げ出した後だった。
かつての領主の館、今は革命軍の本部として使われている荒れ果てた広間で、どういう経緯でパイプを作って革命軍にすり寄ったのか、カシムはこれ以上ないほどの人の良い笑みを浮かべていた。
もちろん、用心棒としてコロとウルも同席している。
「さあさあ、将軍閣下!ご要望の通り、各種ポーション、それに止血効果の高い『白影草』の束をかき集めてまいりましたぜ!」
「おお!助かる、カシム殿!……だが、足元を見るにも程があるぞ!数日前の何倍の値段だと思っている!」
革命軍の将軍――数日前まではただの平民だったであろう、サイズの合わない豪華な鎧を着た男が、カシムの提示した金額を見て顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
しかしカシムは顔色ひとつ変えないまま、飄々とした態度を貫いている。
「いやいや、将軍閣下。戦の噂を聞いて、他の商人たちはこれら物資を買い叩いて、皆逃げ出しちまいました。うちらは危険を冒して!物資を!どうにか確保して運んできたんです!これでも良心的な価格ですよ?それに、自由と国を守るための聖戦でしょう?命には代えられませんぜ」
「た、たしかにそうかもしれん……!いや、たしかにそうだ」
カシムの淀みない口上に、将軍はぐぬぬと唸りながらも、傍らの部下に命じてかつての領主の金庫から奪い取った金貨の袋を差し出した。
彼らには、物資の相場も、商人との交渉術も、何もかもが決定的に欠けているのだ。
「毎度あり!……ほら、嬢ちゃん。追加の品を出してくれ」
カシムに合図され、コロは背負っていた鞄から、道中で採取した薬草の束を次々とテーブルの上に並べていった。
「はい、これ。品質は保証するよ。腕のいい薬師がこの街に残っていれば、かなり良い物が作れるはずだよ」
「うむ、助かる。……しかし、こんな小さな子供を商売に同行させるとはな」
「彼女は優秀な用心棒でしてね。では、我々はこれで!」
金貨の重みを確認したカシムは、恭しく頭を下げて早々に館を後にした。
表に出た途端、カシムは先程までの愛想笑いを消し去り、ニィッと邪悪な笑みを浮かべた。
「へへっ、聞いたか?『良心的な価格』だってよ!」
「言ってたね。あれはとんでもない素人だよ」
「だな!数日前に底値で買い叩いた薬草と、お前さんが道端で摘んだ安い薬草が、領主の金庫の金貨に化けたぜ!」
「おじさん、本当に立ち回りが上手だね。度胸も凄い」
「商人はいつだって正義の味方さ!金払いのいい正義の、な!」
コロは、慌ただしく防衛の準備に奔走する市民たちを冷めた目で見つめた。
『自由』を勝ち取って手に入れたはずの富は、結局のところ、国を守るための「恐怖の代金」として、他国の商人の懐へと吸い込まれていくのだ。
『無能な群れの末路だな。自分たちで守る手段も用意せずに首魁を殺せば、こうなることくらい少し考えれば分かるだろうに』
機嫌良さそうに風を切って歩くカシムの後ろで、ウルがそうボヤくように唸った。
「そうだね。……これでこの国から毟り取れるものは、殆ど残ってないよ」
「ん?ああ、その通りだ。最後の締めくくりとして、宝飾品を即金に変えてやって、ケツの毛も毟れなく直前で、さっさとトンズラだ!」
カシムの商売に対する情熱は、留まるところを知らない。
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