綺麗な死刑囚と、嘘の罪 3 〜滑稽な罪悪感と、遠ざかる鐘の音〜
3.
すっかり夜の帳が下りた頃。
刑務所を後にした一人と一匹は、宿へ戻る前に、まずは報酬を受け取るため古びた薬草店へと足を運んだ。
カランコロンとカウベルを鳴らして店内に入ると、店主と奥さんが縋るような目でカウンターの奥から身を乗り出してきた。
「戻ったよ。ちゃんと手渡ししてきた」
「お、おお……!そうか、ご苦労だったな」
「ねえねえ……何か言ってた?ほら、なんかさ、恨み言とか……?」
店主も奥さんも、一人と一匹が戻って来るまで気が気じゃなかったようだ。
「ん、別に?『ありがとう』って言ってたよ。あと、あのお兄さん、初めから無実を証明する気なんてなかったみたい」
コロはカウンターに置かれた『白影草の倍額の買い取り金』と『銀貨3枚』の入った革袋を確かめながら、地下牢で聞いた真実を淡々と語った。
男が復讐も弁明も放棄し、この街の死刑制度を利用して、ただ恋人の元へ行こうとしていること。
街の人間たちの裏切りすらも、彼にとっては『切符』を得るための好都合な手段でしかなかったこと。
それを聞いた薬草店の夫婦は、一瞬ぽかんと口を開けていたが、やがて店主が大きく、ひどく安堵したような息を吐き出した。
「な、なんだよ……。じゃあアイツ、俺たちの証言を恨んでるわけじゃねえんだな」
「そりゃあ……へえ、そうかい」
「恋人が殺されて、すぐに後を追うってんなら、それはそれでアイツにとってはいいのかもしれないな」
「そうさね。どうせこの鎮静剤の金だって、元を辿れば領主のところから出てるようなモンだしね。……ああ、なんだか自分たちが悪いことをしたっていう後ろ暗さが晴れて、スッとしたよ」
「だなぁ。いやぁ、こんな事言っちゃあれだけど、久しぶりにぐっすり眠れそうだ」
夫婦は顔を見合わせ、憑き物が落ちたように晴れやかな顔で笑い合った。
自分たちの保身のせいで無実の人間が死ぬという事実は何も変わっていないのに、「本人が望んでいるから」という都合のいい理由を見つけた途端、彼らの心からは罪悪感が綺麗さっぱり消え去ったのだ。
『……反吐が出るな。自分たちの勝手な証言で同族を死地に追いやっておいて、相手がそれを望んでいたと知るや否や、まるで良いことをしたかのように自己完結している。身勝手にも程があるぞ』
「まあまあ。これが人類の逞しいところだから」
『それは「逞しい」ではなく「欠陥」というんだ』
「ははは、悪く言えば、だね」
『掲示板の依頼と考えたら『おいしい仕事』だったか?』
「たしかにそうだけど、如何にも掲示板に貼り出されそうな仕事だね。普通の人類なら胸糞が悪い仕事だと思うもん」
自己正当化に花を咲かせる夫婦をその場に残し、サクッと薬草店を後にした一人と一匹。
コロは銀貨の入った革袋をしまった鞄をポンと叩いた。
その後、コロとウルが宿屋の食堂に戻ると、店内は夕食のピークを過ぎているというのに、どんよりとした重苦しい空気が漂っていた。
従業員のガイやリリーたちも、片付けの手を止めてそわそわと入り口の扉を気にしており、カウベルが鳴って一人と一匹が姿を見せると、弾かれたように視線を向けた。
「おじさん、ただいま。商談の完了報告だよ。ちゃんと届けておいたからね」
コロが空になった鞄をポンと叩くと、カウンターの奥から宿の主人が、ひどく強張った顔で歩みみ出てきた。
「お、おう……ご苦労だったな。……で、あいつ、何か言ってたか?」
「『宿の主人や皆には、美味しい食事をありがとうと伝えておいてくれ』って。喜んでたよ」
「……そうか」
主人は痛む胃のあたりを抑えるようにして、深く、ひどく重い息を吐き出した。
「まぁ、あれだ。約束通り、食事は用意してある。……ほらよ、大きな狼さんには特大の肉だ」
主人が厨房から運んできたのは、コロの顔よりも大きな、こんがりと焼き色のついた特大の骨付き肉だった。
そしてコロの席には、温かい野菜のスープと、焼きたてのパンがいくつか並べられる。
『おお!待っていたぞ!』
「良かったね、ウル」
『大して何もしてないんだがな!』
「ウルが隣に居てくれるだけで、私も気軽に歩き回れるんだから、何もしてないことはないよ」
『そうか、それでは遠慮なくいただくとするか』
ウルは黄金色の瞳を輝かせると、床に置かれた大皿の上の肉塊に躊躇なくかぶりついた。
ガブリ、と野生の牙が分厚い肉を食いちぎる。
ボリッ、メキメキッ!という硬い骨を噛み砕く暴力的な音と、ジュワリと溢れ出す肉汁の匂いが、重苦しかった食堂の空気を一気に野生の活力で塗り替えていく。
「ふふ、ウルったらすごく嬉しそう。……いただきます」
コロも椅子に座り、スープに浸したパンを静かに口へ運んだ。
死刑囚の面会という陰鬱な仕事を二度もこなしてきたというのに、一人と一匹の食欲は全く落ちておらず、むしろ見事な商談を成功させた後の清々しさすら漂っていた。
「……なぁ、お嬢ちゃん」
ウルの豪快な食べっぷりを遠巻きに見ていた主人のガイが、恐る恐るコロのテーブルに近づいてきた。
その後ろには、リリーやマルセルも不安げな顔で続いている。
「ん、なに?」
「あいつ……その、どうだった?泣いてたか?それとも、俺たちのことを恨んで、呪いの言葉の一つでも吐いてたか……?」
彼らの顔にあるのは、純粋な好奇心ではない。
自分たちの無責任な証言や保身が、ひとりの無実の青年を死に追いやったという、押し潰されそうな罪悪感だ。
せめて彼に恨まれていると知ることで、自分たちの罪を確かなものとして罰してほしかったのかもしれない。
「ううん。全然」
コロはパンを咀嚼して飲み込むと、不思議そうな顔で大人たちを見上げた。
「恨み言なんて一つも言ってなかったよ」
「そ、そうなのか?」
「ただ、『明日には出発できる』って、すごく穏やかに微笑んでた」
「しゅ、出発……?」
想定していなかったであろう『出発』という言葉に、目を丸くしてしまうガイたち。
「うん。あのお兄さん、初めから無実を証明する気なんてなかったみたい」
コロはスープの器を両手で包み込みながら、薄暗い地下牢で見た、あの狂気的なまでに澄み切った瞳を思い出した。
「あのお兄さんにとっては、誰が真犯人かとか、誰の証言のせいで捕まったかなんて、死ぬほどどうでもいいことだったんだよ」
「どうでも……?」
ガイの後ろから聞いていたリリーがそう鸚鵡返しで繰り返すと、コロは目の前のスープに向かって小さく頷いた。
「そう、どうでもいい。あのお兄さんが欲しかったのはね、大好きなアンっていう恋人がいる場所に、自分を連れて行ってくれる『切符』だけだったから」
「切符……?おいまさか、アイツ……」
「そう、そのまさか。自分で命を絶つ勇気がないから、この街の『自分たちの平穏を守りたいっていう薄汚い保身』と、『都合のいい死刑のルール』を利用して、殺してもらおうとしただけ。……だから、おじさんたちが気に病むようなことは何もないよ」
コロの氷藍色の瞳が、大人たちを順番に射抜く。
「おじさんたちが無責任に彼を見殺しにしたことも、彼にとっては『恋人の元へ行くための便利な手段』でしかなかったんだから」
その冷徹な事実の羅列に、食堂は水を打ったように静まり返った。
自分たちの罪悪感が、実は一人の狂気的な男の手のひらの上で踊らされていた結果に過ぎなかったという事実。
それを知った大人たちの顔から、押し潰されそうだった「罪悪感」は確かにスッと薄れていった。
彼が望んで死を選ぶのであれば、自分たちが彼を殺すわけではないという免罪符になるからだ。
だが、彼らの表情は決して晴れやかではなかった。
むしろ、得体の知れない薄気味悪さと、どこにもやり場のない虚無感に包まれ、誰もが気まずそうに視線を彷徨わせている。
「な、なんだよそれ……。じゃあ俺たち、ただアイツの自殺の手伝いをさせられただけじゃねえか……」
ガイが力なく呟き、主人は何も言えずにカウンターの奥へと引っ込んでいった。
リリーとマルセルも、どこか腑に落ちない様子で、それぞれ客の対応に戻っていった。
『……フン、滑稽だな。自分たちの罪が軽くなったというのに、今度は利用された事実を受け入れられずに落ち込んでいる。人類の心というのは、つくづく面倒にできている』
骨の髄までしゃぶり尽くしたウルが、呆れたような唸り声を上げている。
「そうだね。でも、それが人類の『お人好しで不器用』なところなんだよ」
『欠陥が酷すぎるのに、何故か生きながらえている。謎だ』
「ほらウル、水飲む?」
コロは大人たちのどんよりとした沈黙など気にも留めず、ウルの口元に水桶を差し出しながら、冷めたスープの残りをゆっくりと飲み干した。
※ ※ ※
その夜。
特大の骨付き肉を腹に収めて高いびきをかくウルの横で、コロは心地よい微睡みの中へと落ちていった。
ふわり、と。
カビ臭い地下牢の匂いや、宿屋のどんよりとした空気から一転して、鼻腔をくすぐるような甘く清らかな香りがコロを包み込む。
真っ白な空間で、コロは女神の温かい腕の中にいた。
「おかえりなさい、私の愛おしいコロ。……今日も、なんだか少し埃っぽいわね」
「ただいま、女神様。うん、今日はちょっとカビ臭い地下牢でお使いをしてきたからね」
女神はクスクスと笑いながら、コロの銀髪を優しく撫でつける。
人類たちが自己保身と罪悪感に塗れて回している社会の歯車も、女神にとって見れば、愛しい我が子が少し「埃っぽい場所」へ出向いた程度の、死ぬほどどうでもいい些事に過ぎなかった。
「……ねえ、女神様。明日、そっちに一人の男の人が行くよ」
「お使いで行っていた、あの?」
「うん。大好きな人に会えるって信じて、笑って殺される予定のお兄さん」
コロの言葉に、女神は少しだけ目を瞬かせた。
「そう……。その子は、ここで誰かを見つけられるかしらね」
「無理じゃない?だって、女神様のところは、そういう仕組みじゃないでしょ」
魂は洗浄され、ただの純粋な愛し子へと還る。
ただ、自分はかなり稀な例であり、女神が暇つぶしに摘み上げた魔物の魂の一つ。
本来、個としての記憶や愛着を持ったまま、死後に想い人と再会するなどというロマンチックな奇跡は、この無機質で絶対的なシステムの中には存在しないというのは、コロも察していた。
「でも、もし会えなくても……女神様が、その人をいっぱい抱きしめてあげてね」
「……そうね」
「あのお兄さん、一生懸命、自分を騙してここまで来たんだから」
コロの不器用で、ひどくドライな優しさに、女神は慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
「ふふ。ええ、約束するわ。どの子もみんな、私の腕の中で同じように眠るのよ。そこに寂しさなんて、ひとかけらも残らないようにしてあげるわ」
「うん……よろしくね」
女神の温かい声と匂いに包まれながら、コロは再び深い眠りの中へと溶けていく。
※ ※ ※
翌朝。
太陽が昇り切る前に、一人と一匹は宿屋を後にし、北へと向かう乗合馬車の荷台に揺られていた。
おつかいを依頼してきた人類たちから巻き上げた銀貨のおかげで、干し草がたっぷり敷かれた乗り心地の良い馬車だ。
ガタゴトと車輪が街道を鳴らす中、遠く離れていく街の方角から、低く、重々しい鐘の音が響いてきた。
――ゴォーン、ゴォーン……
「あの鐘……」
『夜明けの鐘はもう鳴ったぞ。昨日は鳴ってなかった時間だ』
「そうだね。なんの鐘だろう」
「死刑執行の合図の鐘ですな」
御者台に座る初老の男が小さく肩を竦めてそう言うと、御者の隣に座っていた護衛の傭兵が、忌々しそうに葉巻に火をつけた。
「……例の無罪男か」
「そうですな」
「やりきれねえ話だな。街の連中もあからさまな無罪だって分かってて、お貴族様の都合に合わせて『ハイ有罪』って見殺しにしたんだろ。胸糞悪りぃ」
「ですな。我々のような平民には、堪りませんな」
護衛の吐き出した紫煙が、朝の冷たい空気に溶けていく。
そんな大人たちのやりとりを聞きながら、コロは隣で寛いでいるウルの首元に手を乗せた。
「……あのお兄さんが、女神様のもとへ出発した合図、か」
死刑執行を告げるその鐘の音を、コロはひどく静かな目で見つめていた。
街の広場では今頃、自分たちの罪悪感を消し去るために集まった群衆が、一人の狂気的な純愛を見届けているのだろう。
「あのお兄さん、最後に食べたミートパイは美味しかったかな」
『フン。鉄板で焼いた羊肉には劣るだろうがな』
「あはは、ウルは羊肉が好きだもんね」
コロは鞄の中から、宿で出された朝食の残りのパンを取り出し、小さく千切って口に放り込んだ。
「ちゃんと恋人には――」
コロはそこまで言うと小さく首を振り、自分の口元を緩めた。
『ん?恋人には――なんだ?』
「ううん、なんでもない」
それを教えるのは、人類がいう『野暮』というものだ。
本人が幸せな結末を信じて逝ったのだから、無関係な外野がそこに介入する必要はどこにもない。
「野暮ってやつだもんね」
コロは呆れたように小さく苦笑すると、それ以上は街を振り返ることをやめた。
澄み渡る青空の下、一人と一匹を乗せた馬車は、人間の身勝手な正義と狂気的な愛の残る街から、軽やかに遠ざかっていった。
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